女の落書帖

車で通った道路脇に、「みかん詰め放題」の文字があった。ちょうどみかんも切れているし、スーパーじゃない場所で買うのも面白いかと立ち寄った。
「詰め放題五百円」と書かれた平台には、小ぶりのみかんが山と積まれていた。用意された袋はいかにも小さいが、上手に詰めればそこそこ入るだろう。ぎゅうぎゅう詰めてもそうでなくとも、違いは数個と思われた。
それでも自ずと張り切ってしまう。袋を伸ばすという卑怯な手段は取らない。いかに効率よく詰めるかと考える。やみくもに詰めてはいけない。同じ向きに並べるか、それとも隙間を狙って満たしていくか、いろいろ考える。
みかんを手に取ると硬さの違いにも気付いた。美味しさや新鮮さは、みかんの硬度や形状に表れているだろうか。表面の艶や傷は味に関係があるだろうか。いろいろ考えてみることが楽しい。
こういうふうに観察したり、仮説を立てたり、検証したりするのは、まさしく科学的探求の手法である。重ねて言うが、一個二個にこだわっているのではない。探求が面白いのだ。
傍では夫が、「いい加減にしろよ」という目で眺めている。きっと「ケチくさい」などと思っているのだろう。長く連れ添ってもお互いへの理解が足りないのが、夫婦である。     (舞)

総合病院の廊下には人がいっぱいいた。午前の診療が始まってしばらくの頃で、私は検査を済ませて診療科に着いたところだった。病院には病気の人があふれている。
廊下の端にテーブルと椅子があり、後期高齢者と見える女性が一人座っていた。見るともなしに見ていると、女性はバッグから取り出した包みを開いた。コンビニサイズほどのノリを巻いたおにぎりが三個。女性はおにぎりを食べ始めた。
たぶん絶食して検査を受け、その後ようやくの朝食を摂っていると思われた。女性は小柄で痩せていて、おにぎり三個が食べられるかと気になった。
失礼ながらもちらちらと眺めていると、女性は勢いよくおにぎりを口に運び、気持ちよいほどにおにぎりが減っていく。お茶を飲んでおしまいになった時には、あっぱれと声をかけたくなった。
私も絶食して検査に臨んだのであったが、検査後にペットボトルの水を飲んだだけ。三食を大事にし、真剣に食べるべきだというのが持論であったのに、これではいけないと私は売店へ向かったのである。
考えるに、食べようとする意欲は生きる意欲である。人生に向き合う迫力を表す。あの女性はたぶんすぐに病院と縁が切れるだろう。そしてきっと元気に長生きするだろう。見習いたい姿勢だと思った。
(舞)

仏壇の花を整えながら、「ハクシコウコウセキ」とつぶやく。これは花色の順。白紫黄紅赤。白菊を真中に高くして、リンドウを次に、黄色い菊を少し下げて、その下に濃い紅と赤の小菊で、全体をひし形に整える。
たいていはそれほど豪華に揃えずに、白黄赤の順でとりあえずひし形に。その花色順をいつ覚えたのか記憶にないし、また正しいか否か確かめてもいないが、花を手に取ると、毎回ハクシコウコウセキが頭に浮かぶ。
味噌汁を作る時の味噌の量はカレースプーン一杯で一人分。これも毎回思い出す。覚えたのはたぶん高校生の頃で、それから何千回も味噌汁を作っているから、何千回も思い出しているはずだ。
何かする時に、必ず関連する記憶が浮き上がってくる。いったい人の脳の中はどうなっているのだろう。花色の順や味噌の量など、役に立つ知識ならば問題ないが、失敗したこと、恥ずかしかったことが浮かび上がってくることもある。もうずいぶん経っていて、忘れ去りたいものが。
それでいて、知っているはずの情報が出てこないことがある。しっかり覚えたはずの名前がどこにも見当たらなくて、「ほら、何とかいう、前に行ったレストラン」のような会話をしている。
要するに脳内の検索に難があるのだ。余計な検索結果を無視し、必要な記憶だけを取り出す検索能力がほしいと切に思う。                  (舞)

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