女の落書帖

カレーを食べながら夫が言う。「カレーの嫌いな人なんておらんやろな」「嫌いな人もいると思うわ」毎回同じ会話となる。
レストランでアルバイトをしていた学生の頃、カレーライスを食べられない人が存在すると知った。そういう人向けにハヤシライスに変更できるカレー食事券が販売されていた。
とはいえ、私の周りにはカレー好きが多い。私も家で作る普通のカレーが好きだし、コロナ前にはインドカレー専門店にもよく行った。カレーにナンが合う。
ところが、本場インドでは、ナンをあまり食べないそうだ。食べてもあのしずく型ではなく丸いナンだという。たいていはチャパティという発酵させないパンかライスをカレーに合わせるそうだ。
それを知るまで、私はインドでは毎日カレーとしずく型ナンを食べていると思っていた。旅番組などで、皿のライスとカレーを指で混ぜて食べているインドの人を見ても、ナンが主食と決めつけていた。
これは昔の「フジヤマ、ゲイシャ、スシ」と同じで、よくある先入観。ものを知らないと勝手に思い込む。テレビなどで情報を得ても、思い込みを修正しない。
インドのナンに限らず、いろんなことを私は先入観というフィルター越しに見ているだろう。知りたい。謙虚に情報を取り入れて、柔軟にものごとを考えたいと思う。 (舞)

毎日使っているヨレヨレの枕カバーがとうとう裂けた。洗濯して洗濯して、柔らかくなった綿のカバーを、さらに裂けるまで使うなんて我ながら驚きだ。頬に当たる布の感触がお気に入りだったのに、さすがに捨てなければならない。
代わりのカバーを探して押入れを開けたが、気に入るものがない。買っても良いけれど、作ってみようと布を探した。布マスク作りから始まった私の裁縫熱はまだ冷めていない。
捨てようとしていた夫のワイシャツがある。その背の部分を使おうと思った。しっかりした綿ブロードの、少しくたびれた風合いが絶妙だ。
ファスナーやボタンで留めるようなカバーを作るのは面倒だから、ホテルなどで使われる封筒型にする。長い袋を作って枕を入れ、余った分を中に折りたたむ形式だ。
白地に青の縦じまと薄い水色のワイシャツの後ろ身頃でカバーの両面とする。長さの足りない分は縦じまの前身頃を横に使って長くする。枕を入れたときに折りたたむ部分となる。
デザインを考え、寸法をとって布を裁てば、工程の半分以上が終わっている。後は直線を何本か縫うだけで、ほどなく枕カバーが出来上がった。我ながら、なかなか良い感じ。
ここまで使えば、枕カバーもワイシャツも喜ぶだろう。物の命の最後まで使う。それが私のささやかなSDGsだ。               (舞)

あまりに気持ちのよい天気だったので、海風に吹かれながら海岸を歩いた。砂浜には浜昼顔がピンクの花を並べていて、「今日砂山にただひとり来て浜昼顔に聞いてみる」のフレーズが頭に浮かんだ。「君の名は」をリアルタイムで聞いたはずはないが、私は歌える。
口ずさみつつ歩いていたら、バケツを持った人たちに行き合った。潮干狩りのシーズンだ。海を見れば、潮は引き始めたところ。私は家に取って返して、潮干狩り道具とともに海岸に戻った。  この浜での潮干狩りは何十年ぶりだろう。子どもが小さい頃は、水遊びに来たり、潮干狩りに来たりしたものだ。もうずいぶん前から貝が少ないと聞いていて、潮干狩りしようとは思わなかった。
でも、このコロナ禍に出かけられるなら、貝の多寡など関係ない。海に入ってヤドカリや小蟹を見るだけでも楽しいだろう。風が通る。人がいない。バケツとクマデを持てば、おばさんが海で遊んでいても違和感はない。
しゃがみ込んで砂を掘る。ドンビが時々出てくる。一応バケツに入れる。小ぶりのバカガイも一応バケツに入れる。アサリはいない。目の前を三センチほどの蟹が横切る。すかさずクマデで通せんぼ。そんなことが楽しい。
食べるに至らぬものは海に返してやった。潮が良ければまた潮干狩りに行こうと思う。
(舞)

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