女の落書帖

総合病院の廊下には人がいっぱいいた。午前の診療が始まってしばらくの頃で、私は検査を済ませて診療科に着いたところだった。病院には病気の人があふれている。
廊下の端にテーブルと椅子があり、後期高齢者と見える女性が一人座っていた。見るともなしに見ていると、女性はバッグから取り出した包みを開いた。コンビニサイズほどのノリを巻いたおにぎりが三個。女性はおにぎりを食べ始めた。
たぶん絶食して検査を受け、その後ようやくの朝食を摂っていると思われた。女性は小柄で痩せていて、おにぎり三個が食べられるかと気になった。
失礼ながらもちらちらと眺めていると、女性は勢いよくおにぎりを口に運び、気持ちよいほどにおにぎりが減っていく。お茶を飲んでおしまいになった時には、あっぱれと声をかけたくなった。
私も絶食して検査に臨んだのであったが、検査後にペットボトルの水を飲んだだけ。三食を大事にし、真剣に食べるべきだというのが持論であったのに、これではいけないと私は売店へ向かったのである。
考えるに、食べようとする意欲は生きる意欲である。人生に向き合う迫力を表す。あの女性はたぶんすぐに病院と縁が切れるだろう。そしてきっと元気に長生きするだろう。見習いたい姿勢だと思った。
(舞)

仏壇の花を整えながら、「ハクシコウコウセキ」とつぶやく。これは花色の順。白紫黄紅赤。白菊を真中に高くして、リンドウを次に、黄色い菊を少し下げて、その下に濃い紅と赤の小菊で、全体をひし形に整える。
たいていはそれほど豪華に揃えずに、白黄赤の順でとりあえずひし形に。その花色順をいつ覚えたのか記憶にないし、また正しいか否か確かめてもいないが、花を手に取ると、毎回ハクシコウコウセキが頭に浮かぶ。
味噌汁を作る時の味噌の量はカレースプーン一杯で一人分。これも毎回思い出す。覚えたのはたぶん高校生の頃で、それから何千回も味噌汁を作っているから、何千回も思い出しているはずだ。
何かする時に、必ず関連する記憶が浮き上がってくる。いったい人の脳の中はどうなっているのだろう。花色の順や味噌の量など、役に立つ知識ならば問題ないが、失敗したこと、恥ずかしかったことが浮かび上がってくることもある。もうずいぶん経っていて、忘れ去りたいものが。
それでいて、知っているはずの情報が出てこないことがある。しっかり覚えたはずの名前がどこにも見当たらなくて、「ほら、何とかいう、前に行ったレストラン」のような会話をしている。
要するに脳内の検索に難があるのだ。余計な検索結果を無視し、必要な記憶だけを取り出す検索能力がほしいと切に思う。                  (舞)

一週間があまりにはやく過ぎていくので、困っている。この調子ではすぐに十年二十年が過ぎてしまいそうだ。
仕事では新しいことも難しいことも困ることもない。家でも日々のルーティンをこなしていくだけで問題はない。日常を決まった流れの中で生きていると、時間の速度が増すように思う。
今の私にとってやりたいことは何か、難しいことは何かと考えてみる。たいていのやりたいことはすでにやってしまった。洋裁もお茶もダンスも数年やってみたら十分だった。その先を学びたいとは思わず、いずれも趣味の域にも至らなかった。
何かもっと学びたいことはないだろうか。新しい趣味として楽しめることが。去年始めたガッコでのeラーニングを、今も続けている。ガッコは無料で学べる公開オンライン大学講座。パソコンでさまざまな分野の講義を聞き、修了証をいくつか取得した。
ただ、その時に覚えたつもりの知識が、しばらく経つと脳の中からぼろぼろとこぼれおちていく。三ヶ月も過ぎれば、知識の断片しか残っていなくて、徒労という言葉が頭をよぎるこの頃である。
こうなったら、頭ではなく体で覚えるものを探した方が良いかもしれない。少しだけ難しいことに挑戦したい。竹馬や一輪車か。転んでけがをしないもので、何かないだろうか。    (舞)

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