女の落書帖

春、我が家にメダカがお輿入れしてきた。友人の家で増えすぎたメダカ水槽の一つがやってきたのである。
緋色や白色の観賞用メダカが数十匹。子どもの頃から見慣れた野生種みたいなのも数匹いる。ホテイアオイを浮かべたら、メダカの美しさが際立った。
餌を持って近づくと、メダカは水面に寄ってくる。水槽の縁を軽く叩く合図に、メダカたちは水面に目を上げ、尾びれをプルプル震わせる。人を覚えてくれていると思うとかわいい。
水面に思わぬ影がさすと、餌を食べていてもとたんに身をひるがえす。一斉に同じ方向に逃げるのだが、しなやかで俊敏な動きは美しく、見ていて飽きない。
初夏が来て、メダカの世話が一つ増えた。メダカが卵を産んだのだ。ホテイアオイの根に1・5ミリほどの透き通った球体が付いている。それを根から外して別水槽に隔離する。
うれしいことに、卵は毎日見つかる。卵を移した水槽には五ミリほどの透き通ったものが俊敏な動きを見せるようになった。続々と稚魚が誕生しているのである。
命を育てるのはなんと楽しいことだろう。透き通った稚魚に色が付いて、メダカの形に見えるようになって、餌をねだるようになって、そしてまた卵を産むだろうか。待ち遠しいことがあるのは幸せだ。
(舞)

田んぼがすっかり緑色になった。稲の上を渡る風はすべてのものを緑色に染めてしまいそうだ。昔ならこの時期は野上がり。田植えが終わる頃、農家は野上がりという休みを取り、大量にイバラ餅を作ってご近所親戚に配ったものだ。
母のイバラ餅も美味しかったけれど、よその家のイバラ餅はもっと美味しかった。家ごとに味が違って、珍しい味が美味しいのは自家製あられと同じだ。
私の好きだったのは、母方の祖母が作ったソラマメ餡のイバラ餅。薄暗い台所の天井から吊るされたカゴに、何十個も入っていた。六月のある日、そのイバラ餅を作ろうと決めた。まず、葉っぱ探し。サルトリイバラの葉を求めて車に乗って山に向かった。
すると里山の変化がまざまざと見えた。サルトリイバラが好むような日当たりの良い林縁は、どこもかもクズに覆われて、ひどい有様。今の季節の里山なら、笹原にササユリが咲いていたのに、ユリどころか笹原もない。錫杖湖まで車を走らせて、サルトリイバラを見つけることができた。葉さえあればイバラ餅は半分できたようなもの。小麦粉を熱湯で溶いた餅で餡をくるんで蒸せばよい。市販の餡を使えば、時短ができる。
少々不格好だけど、スーパーで買うより美味しいイバラ餅ができた。十二個作って、まるで田植えを終えたような達成感。       (舞)

梅雨に入ったら、また庭の草が伸びた。雨で膨張するのではないかと思うほどに雑草のボリュームが大きくなっている。腰を据えて草引きに取り組まねばならない。
草引きが嫌いだから、ついつい取りかかるのが遅くなる。すると草が種を蒔いてしまうのか、次の年にはもっと草が増える。悪循環である。それにドクダミのたくましいこと。春にがんばって引き抜いたのに、三カ月経たないうちに白い花をつけている。
この花は家の北側の暗がりを照らすように咲く。よく見ると葉はかわいいハート型。独特の臭気さえなければ、美しい部類の花であろう。薬効もあるから、庭に置いても良いかとも思う。
しかし、よそのお宅を見ていると、ドクダミの茂る家は、うらぶれて見える。うらぶれた家には落ちぶれた人が住んでいるような気がする。落魄に似合ってしまうドクダミは、やはり引いて捨てなければなるまい。
土を深く掘り返して、ドクダミの地下茎を注意深く取り除いていく。半端な草引きはドクダミ増殖のお手伝いになるようなのである。耕すなどして地下茎が刻まれると、土に残った地下茎の数だけ芽を出して、かえってドクダミが増えるという。
年を取るのはしかたがないけれど、落ちぶれるつもりはない。たんねんにたんねんに、少しも残さずに。梅雨時の課題である。     (舞)

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