女の落書帖

今年はマツバボタンを上手に咲かせることができた。一袋の種を蒔いたらたくさんの苗ができ、それが上手に育った。
今年咲いたマツバボタンは大きな花で、しかも八重咲。草丈も二十センチほどある。小さな植木鉢なら、一株植えで十分豪華だ。
同じ仲間であるポーチュラカと同様に、挿し芽で簡単に株を殖やすこともできる。日が当たらないと花が開かないことが難点ではあるが、暑さと乾燥に強くて夏の花壇にぴったりだ。
花が終わると当然ながら種を作ろうとするので、いまは花がら摘みに励んでいる。種を作らせると株が弱って次の花が咲いてこない。
そういうことを知っているのは、昔祖母がマツバボタンを育てていたからだ。広い前庭の縁取りに、何十本ものマツバボタンを植えていた。昔の品種だから、一重咲きで小さな花だったが、黄色、薔薇色、白、赤、薄ピンクのかわいい花が夏の日を浴びて鮮やかに咲いていた。
夏の終わりには、種採りをした。祖母と一緒にしゃがみこんで、茶色く枯れた花びらの下の芥子粒ほどの種を集めた。小学校低学年の私には難しい作業だったが、種が来年の花になることを知った経験だった。
私の花好き種蒔き好きはそこから始まったのかもしれない。私も孫と一緒に何かをすれば、孫の人生に影響を与えたりできるだろうか。      (舞)

ウォーキングするつもりで家を出ても、ついついだらだら歩きになってしまう。運動というより散歩の速度。でも、それはそれで周囲がよく見え、季節の変化を草木の様子で知ることができる。
歩道の端っこに生えていたブタナやマンテマは姿を消して、夏草がぐんぐん丈を伸ばしている。ヨモギは昔から知っているけれど、風に揺れる腰丈ほどのイネ科の草の名が分からない。コヌカグサだろうか。ネット図鑑で調べてもイネ科はよく似ていて決められない。
ヨモギやイネ科の草は地味だが、園芸種かと思うほど派手な雑草も見る。紫のヤナギハナガサや黄色のモウズイカなどは花瓶に挿したいぐらい華やかなのに、環境の悪そうな路肩で花を咲かせている。
足元を見れば、ヒメツルソバがピンクの金平糖のような花を並べている。隣にあるのはオオバコだが、従来のオオバコとは葉の形が違う。
どれも、私が子供の頃には見かけなかった草だ。これらの草は近年増えた帰化植物だろう。外国から持ち込まれたものが、日本の環境に順応して勢力を伸ばしている。貨物に付着してきたものか、園芸種として庭に植えたものが広まったのか。
人が移動すればほかの物も移動する。植物も動物も細菌もウイルスも。グローバル化は様々なものを運ぶ。良いことばかりではなさそうだ。   (舞)

新聞の川柳欄を楽しみにしている。川柳は人や社会を見つめ、風刺したりユーモアをまぶしたり。俳句より直接的な表現をするところが面白い。今朝の川柳欄には政治ネタが多かったが、私はそういうものより日常生活を切り取った川柳が好きだ。読んでいてくすっと笑ったりよく見ていると感心したりする。
今朝目に留まった一句は「咳をしたからひとり」。放哉の「咳をしても一人」のもじりで、一人居の静けさの中に響き渡る咳の孤独感が、コロナ禍の人間関係に置き換えられている。
川柳の魅力はこんな風に自由であることだ。五七五の十七音に自由な題材、自由な考え、自由な表現をはめ込み川柳になる。ただ、自己満足に陥らないこと。他人が読んで不快になったり、意味が伝わらなかったり、自慢話に聞こえたりではいけない。共感が得られよう客観的に句を見る姿勢が大事だと思う。
保険会社のサラリーマン川柳にはいつも感心する。こういうものの見方があったのかと気づくこともしばしばだ。今年は「会社へは来るなと上司行けと妻」がコンクールの一位で、コロナ時代を背景にサラリーマンの悲哀を表現し笑わせる。
こういうコロナネタは十年も経てば何のことかわからなくなるだろう。でも時事ネタがあるから川柳はいつも新しい。今を生きる人に寄り添える。(舞)

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