女の落書帖

テレビの出演者に文句をつけるのも何だかおこがましいけれど、近頃「させていただく」という表現が気になってしかたがない。使いすぎではないだろうか。
相手に許可を求める場合なら「させていただく」もありだが、自分の判断ですることにその表現を使われると違和感を覚える。「結婚させていただきます」「答弁させていただきます」など聞くと、どうぞご勝手にと言いたくなる。
丁寧に言っているつもりだろうが、しばしば不適切な敬語に聞こえる。「させていただく」より「いたします」を、「言わせていただく」より「申し上げます」を使った方が美しい。
敬語は本当に難しい。私もつい「拝見いたします」「お伺いいたします」など二重敬語を使ってしまう。「ご確認ください」「伺います」は良いけれど、「ご確認してください」「お伺いさせていただきます」はおかしい。
きちんとした敬語はコミュニケーションの基本。どこかでしっかり学ぶ必要がある。できたら、覚えの良い子どもの頃に見聞きして身に着けるのが望ましいと思う。
でも、テレビであんなに「させていただく」と言っているので、それが正しい使い方になるのも間近かもしれない。「させていただく」一つ覚えて敬語になるなら、それはそれで、便利かとも思う。(舞)

本棚の整理をしていたら、徒然草の解説本が出てきた。子どもが高校生の頃に使った参考書だと思う。
パラパラとめくって楽しくなった。すらすら読めるから。もちろん日本語だから読めて当たり前だけれども、古文を勉強した頃からもう何十年も経っている。何もかも忘れていると思っていたのに、「あはれ」「すさまじき」「をかし」といった古語の意味を覚えていた。脳はこれらの記憶をどこかに収納していたらしい。
それに、文中に分からない単語があっても文の意味は不思議と分かる。人が古くなると、自然と古文が読めるようになるものだろうか。
読んだ覚えのある文もある。「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなれば」とあり、「もの言わぬは腹ふくるるわざ」は徒然草出典だったと思い出す。
「善き友、三つあり。一つには物くるる友。二つには医師。三つには知恵ある友」高校生の時には、これはあまりにもひどい言い草だろうと思った。でも、この年になると現実的な考え方だと素直に認められる。
他の段も読んでいくと、うなずけることばかり。現代に通じる真理の数々。七百年も前の人が考えたことが、今の私にはすんなりと同意できる。徒然草は年を重ねてから読むべきだ。
さて、今から七百年後の人にも、同じように肯定されるだろうか。
(舞)

六月にはささゆりとあじさいと花しょうぶが咲く。毎年、花の名所に花行脚。ささゆりは梅雨の前に、花しょうぶとあじさいは梅雨の最中に花見に出かける。
今年のささゆりはもう見てきた。ささゆりを追っかけて伊勢や松阪の奥まで行った年もあるが、今年は亀山のささゆりの里にした。地元の人が育てているささゆりは、何百本もあるらしい。あんなに多くのささゆりの花を初めて見た。
私が子供の頃のささゆりは、そう珍しい花でもなかった。大人たちが田んぼの仕事に忙しい頃、田んぼと集落の境となる坂道に咲いた。笹原の中のピンク色を、私はいち早く見つけたものだ。
めったに母にものをねだらない私だったが、一度だけ「あそこに見えるささゆりがほしい」と言ったことがある。母はしぶしぶ笹原に踏み込んでささゆりを採ってきてくれた。甘え下手の私は、母の機嫌を損ねたと後悔したのだが、ささゆりを手にしてうれしかった。
ささゆりを見ると様々なことが思い出される。ささゆりが好きだという男の子に恋心を抱いたこともあった。彼はささゆりの花束を好きな女の子に贈ったことがあると私に言った。その子に代わって花束を受け取りたかったと思ったものだ。
いろんな花を見るたびに、その花にまつわる記憶がよみがえる。私の花行脚は、思い出をたどる旅でもある。
(舞)

[ 2 / 42 ページ ]12345...102030...Last »