女の落書帖

 朝から冷たい雨が降っている。ひと雨ごとに秋が深まり、冬が忍び寄る。私はライトダウンのベストに手を通した。これからの季節はダウンを手放せない。軽くて暖かくて着ていることを忘れるような素材だ。
 西洋の童話のお姫様は羽根布団にくるまって寝るものだったし、北欧のバイキングも羽根布団で寝ていたと聞いた。
 だから、鳥の羽をむしって袋に入れた羽根布団の歴史は古いだろうと想像できる。綿を育てて綿花を集めたり、蛾の繭をほぐしたりするより、楽にふわふわが手に入りそうだ。
 しかし、最初に羽根を衣服にしようと考えた人は偉いと思う。それは、毛皮と同様、極寒地での作業用に作られたのではないだろうか。たぶん初めは袋に入れた羽毛を背中に当てるような形で。
 それが、布地の進化と縫製技術の向上によって、デザイン性も優れた衣服になった。毛皮は相変わらず庶民から遠いが、ダウンの方は円高のおかげもあって、巷にあふれている。誰もが重いコートを脱ぎ棄て、ダウンコートを新調した。
 冷たい雨の日に、ダウンの暖かさを背中に感じながら、窓の外を眺めている。雨には雨の幸せがあり、孤独には孤独の味わいがある……などと思えるのも、背中の暖かさのおかげである。寒ささえやり過ごせれば、冬には冬の楽しみがある。 (舞)

 服を買うときは友達と出かける。似合う服は自分より友達が知っている。決断力の乏しい私には、誰か背中を押してくれる人が必要だ。
 「どう?これ似合う?おばさんっぽくない?」などと相談する。しかし、どう見てもおばさんの私が、おばさんでない服を望むのはおかしいかも。「もうお姉さんに見えるはずもないから、おばさんっぽい服でもいいかな」と言ってみる。「そうやね。おばあさんに見えたら嫌だけど、おばさんっぽくても仕方がないね。」
 子どもからお姉さんになって、おばさんになっておばあさん。女の人生で一番長いのがおばさんの時代だ。私は二十代半ばから、おばさんだと思っていた。今思うと、三十代半ばぐらいまでお姉さんと名乗ってもよかったような気がする。もったいないことをした。
 とはいうものの、おばさんになって生きやすくなった。おばさんなら突然話しかけても驚かれないし、思ったことを言っても非難されない。カッコよく見せるための無理も背伸びも無縁である。
 この素晴らしいおばさん時代も、いつかは終わりになる。さて、いつからおばあさんになるのだろう。腰が曲がってからだろうか。顔が皺で覆われてからだろうか。見知らぬ人から、「ちょっとそこのおばあさん」と呼びかけられる日がきっと来る。なるべく遅く来てほしいけれど。
         (舞)

 この地方では、八月の下旬に稲刈りが始まる。だから彼岸の頃の田んぼは、切り株から伸びた緑の葉でまるで植えたばかりのように見える。
 今年は夏に雨が多くて、お米のできが心配だった。幸いに、日照不足も大雨もそれほど稲作に影響がなかったのだろう。いつもの年のように、新米が食べられるようになった。
 肉も刺身も美味しいけれど、炊きたての新米ほど美味しいものはない。つやつやした白いご飯の上に、辛子明太子を一切れ乗せて、箸でほぐす。赤く染まったご飯を口に入れると、舌の上に幸せが広がる感じ。そう、秋の幸せだ。
 塩鮭も良い。うす塩の身の厚い鮭をふっくらと焼き上げる。ほぐした身と白いご飯を交互に口に入れ、口の中でちょうど良い味にして食べる。
 ご飯は、味の濃いおかずと混ぜた時が一番美味しい。つまり丼物が最高のご飯の食べ方だ。丼でない時には、口の中でご飯とおかずを混ぜて味わう。いわゆる口中調味である。口中調味をする民族は珍しく、欧米人には難しい食べ方だそうだ。和食の基本は白いご飯。口中調味は日本の文化であるともいえる。
 ご飯と合わせて美味しいものは他にもたくさんある。しぐれも塩辛も、新生姜の甘酢漬も良い。それから、塩鯖や秋刀魚の塩焼き、間引き菜の塩漬。日本の秋に、日本の文化を思い切り楽しもう。       (舞)

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