女の落書帖

旅の楽しみは美しい景色や美味しい食べ物に大きいが、人と出会うことにもある。見知らぬ人と気軽に話ができるのが旅。先だって出掛けた先で印象に残ったのは、四人組のおばさまたちだった。待合室で出発を待つ間に、どちらからともなく世間話となった。まずは「どちらから」で始まって、簡単な自己紹介となる。
「栃木から来ました。私たち後家のグループです。」後家という名乗り方をされたのが珍しくて、「あらまあ、それはそれは。」と何だかわからない返事をした私。
「主人が亡くなって、泣いていましたが、このお連れができて楽しくなりました。普段はつましく暮らしてみんなで旅をします。気兼ねなく家を出られて私たち幸せです。」「それはそれは。」ご主人いなくて幸いですねと言うわけにはいかない。苦労を乗り越えた女性たちは強い。明るい。自身の境遇さえも笑いの種にして、相手の心をほぐす。賑やかに大声で話し、笑い声を上げる。素晴らしい方々、素晴らしい生き方である。
夫婦同時に逝くことはほぼない。片方が残った時に、後ろを見て悔やんだり恨んだりしても連れ合いは戻らない。
そうなったら一人で生きることを受け容れて、こんなふうに笑いたいし、連れ合いにもこんなふうに笑って生きてほしい。良いモデルを見せてもらったと心から思った。      (舞)

春、我が家にメダカがお輿入れしてきた。友人の家で増えすぎたメダカ水槽の一つがやってきたのである。
緋色や白色の観賞用メダカが数十匹。子どもの頃から見慣れた野生種みたいなのも数匹いる。ホテイアオイを浮かべたら、メダカの美しさが際立った。
餌を持って近づくと、メダカは水面に寄ってくる。水槽の縁を軽く叩く合図に、メダカたちは水面に目を上げ、尾びれをプルプル震わせる。人を覚えてくれていると思うとかわいい。
水面に思わぬ影がさすと、餌を食べていてもとたんに身をひるがえす。一斉に同じ方向に逃げるのだが、しなやかで俊敏な動きは美しく、見ていて飽きない。
初夏が来て、メダカの世話が一つ増えた。メダカが卵を産んだのだ。ホテイアオイの根に1・5ミリほどの透き通った球体が付いている。それを根から外して別水槽に隔離する。
うれしいことに、卵は毎日見つかる。卵を移した水槽には五ミリほどの透き通ったものが俊敏な動きを見せるようになった。続々と稚魚が誕生しているのである。
命を育てるのはなんと楽しいことだろう。透き通った稚魚に色が付いて、メダカの形に見えるようになって、餌をねだるようになって、そしてまた卵を産むだろうか。待ち遠しいことがあるのは幸せだ。
(舞)

田んぼがすっかり緑色になった。稲の上を渡る風はすべてのものを緑色に染めてしまいそうだ。昔ならこの時期は野上がり。田植えが終わる頃、農家は野上がりという休みを取り、大量にイバラ餅を作ってご近所親戚に配ったものだ。
母のイバラ餅も美味しかったけれど、よその家のイバラ餅はもっと美味しかった。家ごとに味が違って、珍しい味が美味しいのは自家製あられと同じだ。
私の好きだったのは、母方の祖母が作ったソラマメ餡のイバラ餅。薄暗い台所の天井から吊るされたカゴに、何十個も入っていた。六月のある日、そのイバラ餅を作ろうと決めた。まず、葉っぱ探し。サルトリイバラの葉を求めて車に乗って山に向かった。
すると里山の変化がまざまざと見えた。サルトリイバラが好むような日当たりの良い林縁は、どこもかもクズに覆われて、ひどい有様。今の季節の里山なら、笹原にササユリが咲いていたのに、ユリどころか笹原もない。錫杖湖まで車を走らせて、サルトリイバラを見つけることができた。葉さえあればイバラ餅は半分できたようなもの。小麦粉を熱湯で溶いた餅で餡をくるんで蒸せばよい。市販の餡を使えば、時短ができる。
少々不格好だけど、スーパーで買うより美味しいイバラ餅ができた。十二個作って、まるで田植えを終えたような達成感。       (舞)

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