女の落書帖

 アナと雪の女王の大ヒットで、ありのままという言葉をよく聞くようになった。「ありのままの姿見せるの ありのままの自分になるの」ありのままの自分とは何だろう。
 この間友人と会った時に、「高校生の頃は」という話が出た。高校生の頃は、周りの人たちが素晴らしく思え、劣等感に苛まれた。自分のすることが何もかも中途半端な気がして恥ずかしく、かといってそこから抜け出す努力もしなかった。小さな失敗にもくよくよし、後悔ばかりしていた。
 今なら分かる。劣っているなら少し頑張ればよい。努力すれば、誰でも少しは向上するものだ。今なら分かる。失敗を恐れずやってみればよい。失敗したとしても、たいていのことは取り返せる。人は他人にさほど興味がないから、他人の失敗にほとんど気づかない。気づいて笑うことがあっても、人はすぐに忘れる。
 あるがままの自分を受け容れて、目の前のことに地道な努力を続ける。新しいことにも取り組む。そこから向上する時に、人は生きる喜びを感じるのではないだろうか。
 だから、ありのままの自分になるということは、現状のまま停滞することではない。自身を変えないまま、周囲に寛容を求めることではない。それは単なる甘えだ。
 ありのままとは、恰好つけずに人と向き合い、迷い失敗し悩む自分まで認めることだ。今なら分かる。
         (舞)

 盆が近いので、お磨きをした。磨きに「お」を付けると仏具を磨くことになる。
 一年に二回、盆と正月を迎える前にお磨きをする。祖母と一緒にお鈴を磨いた頃からやっているので苦にはならないが、磨いて磨いてピカピカになっても、まだ拭き布が黒くなる、切りがない仕事である。
 今年は少し手抜きをした。ネットで調べたら、鏡や仏具などの金具磨きには昔から梅酢が使われてきたそうだ。梅酢の主成分はクエン酸。それなら家にあるクエン酸でやってみようと思った次第。
 水にクエン酸を溶かし、真鍮製仏具をしばらく浸け置いた。その後丁寧に水洗いして乾いた布でキュッキュと磨いた。
 いつもの真鍮磨き剤より短時間できれいになった。磨き剤だと彫りの部分に白く筋状に残りがちなのだが、そういうこともなく大成功だ。反面、楽をしたことに後ろめたさも感じた。
 実家は特に信心深くはなかったけれど、仏壇はいつも身近にあった。そして、嫁ぎ先も特に信心深くもないが、仏壇が生活の近くにある。後ろめたい気持は信心に起因するものだろうか。
 手を動かしつつ、先祖がいて自分が存在し、また子孫も存在するだろうことに感謝した。そしてさらに、人の起源について、地球最初のDNAについて、世界の宗教がどう説明しているかを知りたくなった。   (舞)

 かぼちゃの季節がやってきた。外国産なら冬でも食べられるが、やはり日本の夏のかぼちゃが良い。
 実は去年から、すくなかぼちゃにはまっている。まるで栗かさつま芋かというほどに甘いかぼちゃだ。かぼちゃ好きが、すくなかぼちゃを食べてますます好きになった。
 産直にすくなかぼちゃがぼつぼつ出てきているが、買ってもすぐには食べない。熟成させるため、風通しのよい場所にころがしておく。とれたばかりのかぼちゃにはでんぷんが多く、熟成させることでそれが糖分に変わる。甘いかぼちゃを食べたいなら熟成期間が重要だ。
 先日一個切ってみたが、甘さが足りなかったのでサラダで食べた。しばらくは買うばかりで、熟成を待つつもりだ。
 すくなかぼちゃは飛騨地方が原産地である。岐阜県の道の駅で千円の値が付けられたすくなかぼちゃを見たことがある。へちまみたいな実は五キログラムにもなり、大きいと値段も高くなる。美味しそうだったが、かぼちゃに千円は出せなかった。かぼちゃにはかぼちゃの値段があるだろうと思ったのである。
 かぼちゃ好きは次々と新しいかぼちゃに挑戦する。一昨年はバターナッツかぼちゃの美味しさを発見した。昨年はすくなかぼちゃ。今年は、また別のかぼちゃの美味しさを見つけたい。かぼちゃの種の美味しい食べ方も知りたいものだ。 (舞)

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