女の落書帖

田んぼがすっかり緑色になった。稲の上を渡る風はすべてのものを緑色に染めてしまいそうだ。昔ならこの時期は野上がり。田植えが終わる頃、農家は野上がりという休みを取り、大量にイバラ餅を作ってご近所親戚に配ったものだ。
母のイバラ餅も美味しかったけれど、よその家のイバラ餅はもっと美味しかった。家ごとに味が違って、珍しい味が美味しいのは自家製あられと同じだ。
私の好きだったのは、母方の祖母が作ったソラマメ餡のイバラ餅。薄暗い台所の天井から吊るされたカゴに、何十個も入っていた。六月のある日、そのイバラ餅を作ろうと決めた。まず、葉っぱ探し。サルトリイバラの葉を求めて車に乗って山に向かった。
すると里山の変化がまざまざと見えた。サルトリイバラが好むような日当たりの良い林縁は、どこもかもクズに覆われて、ひどい有様。今の季節の里山なら、笹原にササユリが咲いていたのに、ユリどころか笹原もない。錫杖湖まで車を走らせて、サルトリイバラを見つけることができた。葉さえあればイバラ餅は半分できたようなもの。小麦粉を熱湯で溶いた餅で餡をくるんで蒸せばよい。市販の餡を使えば、時短ができる。
少々不格好だけど、スーパーで買うより美味しいイバラ餅ができた。十二個作って、まるで田植えを終えたような達成感。       (舞)

梅雨に入ったら、また庭の草が伸びた。雨で膨張するのではないかと思うほどに雑草のボリュームが大きくなっている。腰を据えて草引きに取り組まねばならない。
草引きが嫌いだから、ついつい取りかかるのが遅くなる。すると草が種を蒔いてしまうのか、次の年にはもっと草が増える。悪循環である。それにドクダミのたくましいこと。春にがんばって引き抜いたのに、三カ月経たないうちに白い花をつけている。
この花は家の北側の暗がりを照らすように咲く。よく見ると葉はかわいいハート型。独特の臭気さえなければ、美しい部類の花であろう。薬効もあるから、庭に置いても良いかとも思う。
しかし、よそのお宅を見ていると、ドクダミの茂る家は、うらぶれて見える。うらぶれた家には落ちぶれた人が住んでいるような気がする。落魄に似合ってしまうドクダミは、やはり引いて捨てなければなるまい。
土を深く掘り返して、ドクダミの地下茎を注意深く取り除いていく。半端な草引きはドクダミ増殖のお手伝いになるようなのである。耕すなどして地下茎が刻まれると、土に残った地下茎の数だけ芽を出して、かえってドクダミが増えるという。
年を取るのはしかたがないけれど、落ちぶれるつもりはない。たんねんにたんねんに、少しも残さずに。梅雨時の課題である。     (舞)

五月の風さわやかな日に、美杉町の三多気の桜の北にそびえ立つ大洞山に登った。
三多気の桜駐車場に車を置いて歩き出す。桜は新緑に変わり、花の頃とは違う静かな道である。しかし、かなりの急こう配で、早くも息切れがする。ここで暮らす人々の日常の厳しさを思いつつ、ゆっくり歩いた。
集落の一番上に真福院がある。寺の石段には樹齢千年以上と言われている大ケヤキが、空に薄緑の葉を広げていた。寺を過ぎて藤堂池など眺めながら行くと、東海自然歩道出合。ようやく大洞山登山口があった。
ここからが登山道で、整備された石段が続く。薄暗い杉林の中の石段は、結構な急登で、それがまたうんざりするほど長く続く。
誰が何の目的でこの石段を作ったのか。街道がわざわざ山の高いところを越えるはずもないし、登山道ならば、もっと貧弱でも間に合う。緑の苔に覆われた石段の石は大きく、昔の人の労苦を思った。
石段が終わり、視界が開けた。三峰山、高見山、倶留尊山、大パノラマである。登山の楽しみはここにある。頂上に立つと気持ちもすっきり元気が出た。これが森林セラピーの効果だろうか。
ちなみに大洞山石畳は津市の森林セラピーロードの一つ。ワラビも生えている。

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