女の落書帖

食器棚を片づけていたら、子どもたちが小さい頃使っていた箸置きが出てきた。豚だの猫だのゴリラだの。懐かしくて、それから毎日、猫の箸置きを使っている。テーブルに小さな猫が寝転んでいるのを見ると、つい微笑んでしまう。
箸置きは楽しい。小さいながらも存在感がある。かわいいもの、おしゃれなもの、遊び心のあるもの、季節感のあるもの。素材やデザインのいろいろを楽しむことができる。
小さなオブジェとして、ちょっとした空間に飾っても面白い。ダンシャリを心がけるこの頃は、食器類の購入を我慢しているけれど、小さい箸置きならこれぐらいはと買ってしまうこともある。
ただ、形は重要で、うっかりすると箸が転げ落ちるものもある。そういうものは結局使わなくなるので、デザイン性だけでなく、実用に適した形が望ましい。
食堂などで、箸置きが用意されていないことがある。そういう時は箸袋を折り紙のようにして箸置きとする。箸袋さえない時は紙お絞りやナプキンで箸置きを作るのだけれど、がっかり感は否めない。
箸置きは茶碗や湯呑と同じく和食器の基本である。和食に使う碗や鉢は両手で扱うもの。食事中に箸が置けなければ、どのようにして碗の蓋を取ったりお酒を飲んだりができるのだろう。           (舞)

 幼稚園バスが止まって女の子が二人降りてきた。白いブラウスに、チェックの吊スカート。グレーの箱ひだのプリーツスカートだ。
 どこの幼稚園の制服かは知らないけれど、小さい子の制服姿というのはかわいらしい。紺やグレーのような地味な色だとなおさらかわいい。
 そう言えば、私の小学校の制服も紺の箱ひだスカートだったと、遠い昔を思い出した。中学校の制服は、二十四本車ひだスカート。紺のウールサージの重いプリーツスカートだった。
 プリーツの数が二十四本と、変なところを覚えているのは、毎晩布団の下に敷いて寝たからだ。プリーツをきちんと並べて、その上にそっと敷き布団を乗せる。きれいなプリーツを保つための就眠儀式であった。プリーツをいい加減に並べると、線が何本もできて、翌日のスカートは悲惨なことになった。女子がだらしないかどうかはプリーツを見れば一目瞭然だった。
 今のプリーツスカートはプリーツ加工がしっかりされている。家庭で洗濯してもプリーツが消えない繊維もあるから、寝押しの必要はないだろう。
 ここ数十年で生活はずいぶん便利になった。明治から昭和の女学生が寝押しに費やした労力も、現代の中高生には不必要だ。彼女たちは、その代わりに何をしているだろう。聞いてみたい気がする。       (舞)

 冬の庭はすっきりと見える。木々が葉を落とし、明るい冬の日が地面に届く。家の南側の土にはハコベやオランダミミナグサが生えてきた。春はすぐそこだ。
 日当たりの悪い北側の土にハコベは生えない。ビロードのような黄緑色の苔が地面を覆っている。冬の苔も良いものだ。
 私の好きな苔はスギゴケやハイゴケで、嫌いな苔はゼニゴケ。ゼニゴケを見つけたら、速攻で駆除する。気を許すとペカペカと気持ち悪い深緑が大繁殖をするからだ。
 苔に対してこういう好き嫌いをするのは、年寄りくさいと言われるだろうか。何事も世代論に持っていきたいわけではないが、苔を知らない世代が増えてきている。
 新しい住宅地には、手入れのしやすい洋風の庭が多い。パンジーやペチュニアの似合う洋風の庭で育った人に、ゼニゴケ、スギゴケと分かるだろうか。観光で苔寺を訪れ、苔の美しさに感動したとしても、普段の生活の中に苔がない。苔はまとめてコケ類と認識される。
 和風の庭は、木や石や砂利で自然の風景を表現する。根締めやグランドカバーとして苔は重要な素材だ。盆栽の鉢にも苔が似合う。苔を愛でる文化は湿度の高い日本に特有のものだろう。
 しかし、文化を守ろうにも、和風庭園はおいそれとは造れない。苔玉にシダなど植えて、苔の美しさをささやかに愛でようではないかと思う。
         (舞)

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