女の落書帖

 庭に黄色い菊の花が二つ見える。重陽を過ぎれば残菊と言われるが、新年過ぎて咲いているなら超残菊と言うべきだろうか。朝、雨戸を開ける度に小さな花がまだあるのを確認する。冬の花の命は長い。
 小さな庭には、他に花がない。辛うじて、万両の実が赤い色を添える。葉っぱの下にある万両の実は、鳥に見つけられにくいから、千両や南天の実が鳥に食べ尽くされた頃でもまだ残っている。
 我が家の庭にはもう見るべきものがないので、よそ様の庭を拝見しようと散歩に出た。生け垣の山茶花は十一月から咲いているのにまだ花いっぱい。隣には椿の蕾が大きく膨らんで次の番だと待っている。
 向こうの家にたっぷり見えるのは青々とした枇杷の葉。枇杷晩翠という言葉のままだ。その木の高いところに薄茶色の花が付いている。咲いているのか終わったところなのかは遠くて分からない。たくさんあるので、たくさんの実ができるだろう。
 ずっと前に枇杷の種を蒔いたことがある。大きくて甘い枇杷にりっぱな実が入っていて、捨てるには惜しかったから。枇杷の芽が伸び、数十センチになったところで、屋敷に枇杷の木を植えるものではないと聞いた。
 桃栗三年柿八年、枇杷は早くて十三年。結局枇杷の木を引き抜いた。あの木を残しておけば、今頃枇杷の花を見られただろうに。     (舞)

 ずいぶん前になるが、プールのシャワーブースでウンチ騒動に遭遇したことがある。タイルに付いた汚れがウンチであるに違いないと、人が集まった。
 大人の女性だけが使用する場所なので、そんな汚れがあるはずはないのだが、大人の女性が使用する場所だから可能性があるともいえる。年をとれば、あちこち緩くなってもしかたがない。お湯で流せば済むことだし、踏んづけたわけでもないしと、集まった人たちは割合と寛容だった。
 翻って、世間をにぎわしている食品への異物混入について思う。プラスチックや金属片や虫が食品から発見されたというニュースが後を絶たないが、それはそんなに大きな問題だろうか。確かに食の安全は守られるべきだ。でも、事例の多くは小さなミスである。何年か前の毒餃子事件とは根本的に違う。
 野菜に付く小さな虫が離乳食に混入した件もあった。もちろん野菜をきれいに洗うことは重要だが、毒虫でなければ食べても問題ないのではないだろうか。ウニやナマコまで食べるのだから虫ぐらい……。虫も嫌う、農薬たっぷり野菜を使う方が危ないだろうと思う。
 ウンチにしろ、虫にしろ、自然なこと。清浄を求めすぎるのは間違っている。生きていれば必ず汚れる。ミスもする。自分の汚れに対すると同じぐらい、他人の汚れやミスに寛容でありたい。         (舞)

 友人夫婦と出かけた。こんな時に困るのは呼びかけ方だ。名字で呼ぶと二人が振り返る。普段名字で呼んでいる友人を、突然下の名前で呼ぶのは気恥ずかしいし、お連れ合いの呼び方が難しい。
 向き合って「ご主人さんは…」と話しかけてみる。「ご主人」は便利な言葉だが、何組かの夫婦がいる時には使いにくい。それに私は、この言葉があまり好きではない。選挙のたびに我が家に現れる知人で、「主人は元気か。よろしく伝えて」と言っていく人がいた。私は「ええ、元気でおります。申し伝えます」と返事しながら、「せめてご主人と言ってよ。私は使用人か?」とひそかにつぶやいていた。
 街歩きのテレビ番組などで、タレントが地元の人に対してする呼びかけも気になる。「ちょっとお姉さん」「お母さんお母さん」「奥さん、こんにちは」「おばあちゃんどこ行くの」
 四十代ぐらいのタレントが五十代ぐらいの女性に「お母さん」と無頓着に呼びかけたりする。中年の女性が全て誰かの奥さんで、誰かのお母さんであるとは限らない。「私はあなたのお母さんではない」と怒らないまでも、気分を害する人がいるに違いない。
 離婚や未婚が増えている現代、これからますます難しくなる。ご主人やお母さんでなく、何かもっと便利な、汎用性の高い呼びかけ方はないだろうか。      (舞)

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