女の落書帖

本が好きなので図書館をよく利用する。昔は文庫本を買っていたのだが、本が家にたまっていくのが嫌になり、作家さんには申し訳ないが、本は買わずに借りるものと決めた。
本の選び方は人それぞれだろうが、私は作家で選ぶ。一人の作家を気に入ると、その人の書いたものを全部読む。中にはがっかりするものもあるが、好きな作家の本はたいてい面白く読める。
新しい作家の開拓も欠かせない。何かの賞を受賞したり、ベストセラーになったりした作品はまず読んでみる。そういったものに外れは少ない。気に入り作家を見つけ、新刊を楽しみに待つことも多い。
多くのファンを持つ人気作家の本は、図書館に行っても借り出されていることが多い。その時は予約を入れておく。評判の本だと何ヶ月も待つことがあるが、待つのも楽しみの一つだと考える。
図書館には相互貸借という便利なシステムがあるので、所蔵されていない本でも予約できる。申し込んでおけば、図書館ネットワークを利用して県内の図書館から取り寄せてくれるのだ。
いつも私は、新聞の書評やネットの口コミでの評価が高かった本をメモしておく。若い時なら面白くない本でも終わりまで読んだが、もう今はつまらない本を読みたくはない。良い本を見つけて楽しい読書ライフを送りたいと思っている。(舞)

早朝の道で、自転車通学の男子生徒を見かけた。この寒い朝に白カッターシャツ姿。カッターシャツの生地に薄く透けているのは半袖Tシャツで、その二枚しか着ていないらしい。
彼は特別元気な中学生だろうか。それとも高校生だろうか。私は、自転車生徒の肩の辺りを注視した。たぶんあれは高校生。中学生ならもっと肩が頼りない。
うちの子ども達が大人になってしまったので、身の回りに基準となる子どもがいない。だから街で出会う子ども達の年を見分けることが難しくなった。
それでも男子中学生と高校生は肩、二十歳を越えているかは、首筋でだいたい分かる。女子中学生と高校生の場合はふくらはぎだろうか。二十歳を越えているかは、頬と顎の線だろうか。女子の方が男子より見分けるのが難しい。
成人女性の年齢は、ほうれい線の深さや、後ろ姿で見分ける。街を行く女性の年齢を推測するときは、私より年齢が上か下かと見当をつける。そしていくつ上かいくつ下かと考える。
ところが近頃その基準が当てにできなくなってきた。自分より上だと思った人がしばしば若かったりする。
どうも、年々自分に甘くなっているようで、正しく自分を見ることができていない。ここまでくるとそれもまた幸せなことかもしれないと思う。   (舞)

 お正月には百人一首。子どもの頃からそうだった。その頃には電子ゲーム機もなく、大人が一緒に遊んでくれる百人一首がお正月の楽しみだった。
私が初めて覚えた札は「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」だった。雄大な富士の美しさを詠んでいると、小学生にも理解できた。
中学生の頃のお気に入りは「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」だった。心が乱れるのはあなのたのせいというところが、思春期の少女の心を揺らした。
でも、この「しのぶもぢずり」の部分は、モジズリソウのことだと思っていた。初夏にピンクの可憐な花をつけるネジバナのようにねじれる恋心。
それがもじずり染めのことだと知って、少しがっかりした。初めと染めがかけてあったとは。石の上に布を置いて草を刷り込むという染め方だと、美しい色合いの布になるとは思えない。歌のイメージが変わってしまった。
さて、今心に響く札ならば、断然「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」だ。若い頃やろうと思えばできたのに、やり残してしまったことは数多ある。ぼんやりしているうちにこんなに時が過ぎてしまったという思いは、小野小町みたいな美女でなくても持つもの。小さな後悔なら誰の人生にもある。  (舞)
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