女の落書帖

 友人たちとの集まりのテーブルにえびせんがあった。ひとつ取って、かりっと噛んで、うれしくなった。「この味、この味、やめられない止まらないかっぱえびせん」
 そこからみんなが、初めてかっぱえびせんを食べた時のことを話しだした。私の育った田舎町でえびせんが売り出されたのは、いつ頃だったろう。とにかく、初めて食べた時には、こんなおいしいものがあるのかと感動した。それは同世代の友人たちも同じだったらしい。
 それから…と一人が言う。「マヨネーズも衝撃だった」そうだった。マヨネーズも衝撃だった。それまで、卵と油と塩と酢を混ぜたマヨネーズを使っていた。酸っぱさも塩辛さも子どもの舌には強すぎた。ところが薄黄色のチューブを押せば出てくるそれは、マイルドでおいしかった。感動的なポテトサラダができた。
 チーズを初めて食べた時、セロリを初めて食べた時、レディーボーデンを初めて食べた時。初めて物語はいろいろあるけれど、かっぱえびせんほど印象的な初めてはなかったと、そこにいた友人たちは声を揃えた。
 お菓子と言えば甘いものだった時代に、塩味で香ばしいかっぱえびせんが驚きをもって支持されたのだと思う。人々の嗜好の転換点かもしれない。少し若い人たちにとってのかっぱえびせんの位置づけはどうなのか、アンケート調査でもしてみたいところだ。(舞)

 毎日届く郵便メール便のほとんどがダイレクトメールである。それなりの効果が期待されているだろうが、私はほとんどを読まずに捨てる。中身を古新聞入れに、個人情報の含まれる部分をシュレッダー行きゴミ箱に。
 シュレッダー行きゴミ箱はすぐにいっぱいになる。その時はシュレッダー作業。家庭用シュレッダーは、業務用と違ってちゃちなものなので、薄い紙以外はだめとか、連続運転はだめとか書いてあるけれど、私はおかまいなし。現在のシュレッダーは三台目である。
 シュレッダーを買う前はどうしていたかと思いだす。手で細かく裂いて、燃えるゴミとして処理していた。その前は裂かずにそのまま燃えるゴミだった。リサイクルという考え方もなく、個人情報についての意識もない頃の話だ。
 思えばあの頃はのん気だった。商品のシールをはがきに貼って、懸賞に応募したりしていた。連絡先などの個人情報が企業に蓄積されていくとは思いもしなかった。実際、大量の応募はがきは、用が終わった時点で廃棄されていただろう。
 時代は変わった。企業が手に入れた情報はすべてデータベース化されていると思われる。法律の枠内ならば不正利用はないだろうが、抜け道やほころびはどこにでもできる。とりあえず目の前の情報をゴミに紛れて流出させないよう、シュレッダーを活用しよう。(舞)

 財布を買った。ブランドや、デザインは関係ない。ただただ、小銭入れがボックス型であることが購入の決め手であった。
 財布を覗き込む度に、小銭の識別が難しくなったのを感じていた。五十円玉と百円玉と一円玉を立った状態で眺めた時、一瞬で見分けることができない。いちいち指で動かしながら、必要な玉を選び出す。だから支払いに時間がかかり、列の後ろが気にかかる。
 ぱっと見て、ぱっと判断できない自分がもどかしい。それも目の衰えのせい。百円玉が横になっていれば間違えないから、財布の機能の向上をと、ボックス型の小銭入れにしたわけである。
 こういう不自由さは体験して初めて分かることである。最初は不自由を克服しようと、ひたすら頑張った。その後、状況を受け容れ、老眼鏡を買った。小銭をもらわないように、電子マネーを使い始めた。さらに財布を買い替えた。
 同様の変化は各所にある。ハイヒールを買わなくなった。踵の高い靴も持っているが、新たに買うことはやめた。ヒールを履いて走れた頃とは筋肉が違うのだ。機能優先安全第一である。
 年齢を重ね、こういう過程を経たことを、「衰えた」ではなく「経験値が上がった」と捉えることにしよう。広い視野と豊かな経験。今や、アクセシビリティについても一家言持つようになったと肯定的に。   (舞)

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