女の落書帖

 実家の押入れを整理していたら、おはじきが一つコロンと出てきた。姪っ子が遊んだものか、それとももっと古くて、私が子供の頃に遊んだものか。
 平べったく丸い透明ガラスの端にひと筆の緑色がある。表面の波のような凸凹が懐かしい手触りだ。
 どのように遊んだのか、遠い日を思い出した。ぎゅっとつかんで、放り投げ、いったん手の甲で受け止めた後、再び放り投げて、落ちてくるのを今度は手の平でつかみ取り、取った数を競う遊び。
 弾いて遊ぶこともあった。ざっとばら撒き、その中の二個を選び、間を指で切る仕草をした後、片方を弾いて他方にぶつける。うまく当たれば、そのおはじきが自分のものになる。
 陣取りもした。紙の隅の自分の陣から、おはじきを弾き、3回目で自陣に戻ってくる。弾いた軌跡が自分の陣地となり、その広さを競った。
 どれも取ったり取られたりするゲームだが、おはじきの所有権が移るわけではなかった。取った数を競った後は、おはじきを持ち主に戻した。男の子のメンコやビー玉遊びとはそこが違った。
 今の子供たちは、ゲームソフトの中で取ったり取られたり、得点を競ったりしている。遊びとして面白いのは同じだろう。さて、何が違うだろうか。手の平でおはじきを転がしながら考えを巡らせた。(舞)

 「こういうところを見るとわかるのよね」と、友人が私の車を指さした。雨の駐車場でのことである。フロントガラスの中ほどに、ワイパーが止まっていた。
 ワイパーを戻してから車のエンジンを切るべきだと友人は言う。「それはそうだけど……。今度エンジンをかけた時にワイパーが必要なければ止めれば良いし」
 駐車場にある車を見回すと、たいていの車のワイパーは定位置に戻っていて、中途半端に残っているのは、二割程であった。「こういうところで、きちんとしているかどうか、性格がわかるのよね」友人は得意げである。
 トイレのスリッパも、そういう見方をされる。脱いだ後、きちんと揃えない人は、だらしない、育ちが悪いと言われる。それには私も同感だ。誰も見ていないところで、次の人への配慮ができるかどうかは大事なこと。その人の生き方、育ち方が露わになると思う。
 ワイパーとトイレのスリッパは同レベルではないと思いたいが、自分のだらしなさを反省し、これからはワイパーを戻してからエンジンを切ろうと心に決めた。
 家に帰りクローゼットを見たら、夫の引き出しが数センチずつ開いていた。「こういうところできちんとしているかどうかわかるのよね」私も夫に言ってみた。「それがどうした?」残念ながら、期待通りには反応しないのである。    (舞)

 今日は味ご飯を炊いた。味ご飯という言い方は、どうもこのあたりだけの方言らしく、関西ではかやくご飯、全国的には炊き込みご飯というらしい。今回は我ながら見事な出来栄えの味ご飯で、とてもおいしかった。
 味ご飯にはゴボウである。ゴボウを入れると入れないとでは香りが違う。それからキノコをたくさん。戻し汁を使う干しシイタケはもちろん、エリンギやシメジを入れると食感がおもしろい。
 だしはひね鶏の肉。ひね鶏とは、卵を産まなくなった鶏のことで、肉は固いがうまみがある。ひねという言葉も方言らしく、転勤族の友人には通じなかった。親鶏というべきだろうか。
 ともかく、ひね鶏はおいしいのである。肉に脂が乗っているので、ご飯粒がつやつやと光る。噛み切れないほど硬かったりするが、スーパーに売られている若鳥のように水っぽくない。味ご飯のだしはひね鶏に限る。
 といっても、スーパーの肉売り場では ひね鶏を買うことができない。卵があんなに売られているのだから、卵を産まなくなった鶏もたくさん出るはずだが、食肉としての流通は少ないようだ。きっと、加工品として利用されるのだろう。
 私はひね鶏を鶏肉に強い肉屋で買ってくる。それを小分けにして、冷凍庫へ。いつでもおいしい味ご飯が炊けるという幸せをストックしている。      (舞)

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