女の落書帖

 久しぶりに名古屋に出かけたので、帰りにデパートに寄ってきた。夕方のデパートは明るい光に満ち、人々を引き寄せる。私もいそいそと地下の食品売り場を目指した。
 空腹時の買い物は危うい。とりどりのスイーツやきつね色の揚げ物に引き寄せられ、色鮮やかな肉やサラダの前で足が止まる。どれもおいしそうで買いたくなるが、主婦は目先の欲にとらわれてはいけないのである。家族の好きなものを、夕食のおかずになるものを、栄養のバランスを考えて。見回せば、同じように総菜を買い求める人たちがたくさんいた。きれいでおいしいデパ地下グルメなら少々値段が高くても買っていく。
 本来、食材はそのままでは食べられない。加工したり、調理したりする必要がある。近年そこを家庭の外に任せる傾向が出てきた。
 たとえば、お茶。お茶を入れることぐらい誰でもできるのに、ペットボトル入りを常備する人が少なくない。
 豆腐を加えてマーボー豆腐とか、卵を加えて具入りオムレツとか、レトルトと調味料の中間のような製品も増えた。手作り感を残しつつ簡単調理がミソ。この手作り感が重要である。
 食卓に出来上がりの総菜を乗せるのは、いかにも手抜きで後ろめたい。デパートの総菜はグルメと銘打つことでその辺りの後ろめたさを上手に薄めている。    (舞)

 朝から冷たい雨が降っている。ひと雨ごとに秋が深まり、冬が忍び寄る。私はライトダウンのベストに手を通した。これからの季節はダウンを手放せない。軽くて暖かくて着ていることを忘れるような素材だ。
 西洋の童話のお姫様は羽根布団にくるまって寝るものだったし、北欧のバイキングも羽根布団で寝ていたと聞いた。
 だから、鳥の羽をむしって袋に入れた羽根布団の歴史は古いだろうと想像できる。綿を育てて綿花を集めたり、蛾の繭をほぐしたりするより、楽にふわふわが手に入りそうだ。
 しかし、最初に羽根を衣服にしようと考えた人は偉いと思う。それは、毛皮と同様、極寒地での作業用に作られたのではないだろうか。たぶん初めは袋に入れた羽毛を背中に当てるような形で。
 それが、布地の進化と縫製技術の向上によって、デザイン性も優れた衣服になった。毛皮は相変わらず庶民から遠いが、ダウンの方は円高のおかげもあって、巷にあふれている。誰もが重いコートを脱ぎ棄て、ダウンコートを新調した。
 冷たい雨の日に、ダウンの暖かさを背中に感じながら、窓の外を眺めている。雨には雨の幸せがあり、孤独には孤独の味わいがある……などと思えるのも、背中の暖かさのおかげである。寒ささえやり過ごせれば、冬には冬の楽しみがある。 (舞)

 服を買うときは友達と出かける。似合う服は自分より友達が知っている。決断力の乏しい私には、誰か背中を押してくれる人が必要だ。
 「どう?これ似合う?おばさんっぽくない?」などと相談する。しかし、どう見てもおばさんの私が、おばさんでない服を望むのはおかしいかも。「もうお姉さんに見えるはずもないから、おばさんっぽい服でもいいかな」と言ってみる。「そうやね。おばあさんに見えたら嫌だけど、おばさんっぽくても仕方がないね。」
 子どもからお姉さんになって、おばさんになっておばあさん。女の人生で一番長いのがおばさんの時代だ。私は二十代半ばから、おばさんだと思っていた。今思うと、三十代半ばぐらいまでお姉さんと名乗ってもよかったような気がする。もったいないことをした。
 とはいうものの、おばさんになって生きやすくなった。おばさんなら突然話しかけても驚かれないし、思ったことを言っても非難されない。カッコよく見せるための無理も背伸びも無縁である。
 この素晴らしいおばさん時代も、いつかは終わりになる。さて、いつからおばあさんになるのだろう。腰が曲がってからだろうか。顔が皺で覆われてからだろうか。見知らぬ人から、「ちょっとそこのおばあさん」と呼びかけられる日がきっと来る。なるべく遅く来てほしいけれど。
         (舞)

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