女の落書帖

 とても面白いという評判を聞いて、映画館に足を運んだ。美杉で撮影された映画WOOD JOB!(ウッジョブ)。エキストラとして参加した知人を見つけられるか、美杉の見知った景色に出会えるかという興味もあった。
 映画は林業をテーマとした青春コメディで、「青年よ大木を抱け」とポスターにある。都会の若者が田舎で鍛えられる、ありきたりのストーリーだろうと、内容にはそれほど期待していなかったが、大いに楽しんだ。俳優陣の活躍と脚本の良さと監督の腕だろうか。
 主人公は都会育ちのちゃらちゃらした十八歳である。失敗を重ねる彼を、くすくす笑いながら見ていると、へらへらしながらも少しずつ変わっていく。取り巻く田舎の人々も個性的で魅力的。伊藤英明の山猿っぽいカッコよさが出色である。
 聞いたところ、俳優は実際に高い木に登って枝の上に立ったり、大木を切り倒したりしたらしい。実写とは思えないほど大掛かりなシーンもあって、映画にはCGが当たり前という認識を改めることになった。
 見終わって、爽やかな気分になった。原作者のお父さんが美杉出身だそうで、親戚の方々も美杉にお住まいとか。勝手に親近感を感じた私は、未だろくに挨拶もできない主人公が、この先美杉の山でどんな変化を遂げるだろうと、映画の続編までも期待したのであった。       (舞)

  雨の高速道路を走っていた時、遮音壁から乗り出すように咲くニセアカシアの花を見た。ニセアカシアは白い蝶型の小花が房状に垂れ下がる、五月の花である。
 ニセという気の毒な名前をもらっているのだから、アカシアではない。アカシアは春先に咲く黄色いミモザアカシアの方。似ていないのに、どうしてニセアカシアという名前になったのだろう。
 私がアカシアという名前を知ったのは、小さな頃だった。「アカシアの雨にうたれてぇ」と意味もよくわからないまま歌っていたのである。いったいどんな雨なのかとずっと気にかかっていたが、小学校時代にニセアカシアの花をアカシアと教えられた。それから、私の中ではニセアカシアがアカシアである。恋を失い、花の雨にうたれて死んでしまいたいと歌うなら、ミモザの黄色い花よりニセアカシアの白い花の方が似合っている。
 その頃には、ニセアカシアを今より頻繁に見た。道路脇や学校や公園に植えられ何メートルもの高さに育っていた。近年見ることが少なくなったのは、ニセアカシアのあまりの繁殖力に環境省が要注意外来生物と指定したことによるらしい。水道管やガス管にからまり、工事の邪魔になるとも聞いた。
 アカシアと言えばミモザを思い出す今の時代なら、あの歌のヒットは難しいかもしれない。  (舞)

 友人のお姉さんが亡くなった。長く闘病されていたそうだから、ご家族にも覚悟はあっただろうが、それにしても早すぎる。お母さんより先の死は痛ましい。
 娘に先立たれたお母さんの嘆きはいかほどだろう。友人は現在東京に住んでいるので、なるべく実家に帰って独り暮らししているお母さんの話し相手になってあげてと話した。
 一年に一度の帰省なら、十年で十回。一年に二回なら十年で二十回。遠く離れて住む親子は会う機会が少ない。
 我が家も同じこと。都会に住む息子はちっとも帰ってこない。仕事と遊びで忙しい毎日を送っているのだろう。一年に一度の帰省なら、三十年で三十回会えるかどうかということになる。
 現在のところ、私はそれで寂しいと思ったことがない。子どもが楽しく暮らしているならば、それが私の幸せ。母の日のカーネーションはもらえなくとも、ちょっとした近況メールで十分満足する。
 しかし、私はいつまでこういう精神状態でいられるだろう。年を取って活動量が減り、会う人も少なくなれば孤独感にさいなまれる日々がくるのだろうか。
 友人のお母さんの心持ちを思うとやりきれない。一人の子とは永遠に別れ、一人の子は遠くに暮らす。親子はこの後何回会えるだろう。    (舞)

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