女の落書帖

  雨の高速道路を走っていた時、遮音壁から乗り出すように咲くニセアカシアの花を見た。ニセアカシアは白い蝶型の小花が房状に垂れ下がる、五月の花である。
 ニセという気の毒な名前をもらっているのだから、アカシアではない。アカシアは春先に咲く黄色いミモザアカシアの方。似ていないのに、どうしてニセアカシアという名前になったのだろう。
 私がアカシアという名前を知ったのは、小さな頃だった。「アカシアの雨にうたれてぇ」と意味もよくわからないまま歌っていたのである。いったいどんな雨なのかとずっと気にかかっていたが、小学校時代にニセアカシアの花をアカシアと教えられた。それから、私の中ではニセアカシアがアカシアである。恋を失い、花の雨にうたれて死んでしまいたいと歌うなら、ミモザの黄色い花よりニセアカシアの白い花の方が似合っている。
 その頃には、ニセアカシアを今より頻繁に見た。道路脇や学校や公園に植えられ何メートルもの高さに育っていた。近年見ることが少なくなったのは、ニセアカシアのあまりの繁殖力に環境省が要注意外来生物と指定したことによるらしい。水道管やガス管にからまり、工事の邪魔になるとも聞いた。
 アカシアと言えばミモザを思い出す今の時代なら、あの歌のヒットは難しいかもしれない。  (舞)

 友人のお姉さんが亡くなった。長く闘病されていたそうだから、ご家族にも覚悟はあっただろうが、それにしても早すぎる。お母さんより先の死は痛ましい。
 娘に先立たれたお母さんの嘆きはいかほどだろう。友人は現在東京に住んでいるので、なるべく実家に帰って独り暮らししているお母さんの話し相手になってあげてと話した。
 一年に一度の帰省なら、十年で十回。一年に二回なら十年で二十回。遠く離れて住む親子は会う機会が少ない。
 我が家も同じこと。都会に住む息子はちっとも帰ってこない。仕事と遊びで忙しい毎日を送っているのだろう。一年に一度の帰省なら、三十年で三十回会えるかどうかということになる。
 現在のところ、私はそれで寂しいと思ったことがない。子どもが楽しく暮らしているならば、それが私の幸せ。母の日のカーネーションはもらえなくとも、ちょっとした近況メールで十分満足する。
 しかし、私はいつまでこういう精神状態でいられるだろう。年を取って活動量が減り、会う人も少なくなれば孤独感にさいなまれる日々がくるのだろうか。
 友人のお母さんの心持ちを思うとやりきれない。一人の子とは永遠に別れ、一人の子は遠くに暮らす。親子はこの後何回会えるだろう。    (舞)

 きのうもらったタケノコを若竹煮にして、これも昨日採ってきたワラビをナムルにして、それから……と考えた。主婦歴も長くなると、夕御飯の献立を考えるのも慣れたもの。冷蔵庫にあるものを組み合わせて決めていく。
 繊維質が少し多いかなと思いつつ、テーブルに皿を並べると「山菜のオンパレードやなあ」と夫が言った。確かにそうだけれど、オンパレードという表現はどうだろう。あまりに昭和なひびきに笑ってしまった。
 思えば、近頃オンパレードと口にしたことがない。れっきとした英語だから死語とは言えないし、「ディズニーオンパレード」ならありそうだが、「山菜のオンパレード」というような用法は古臭く感じる。
 「コンプライアンス」だの、「イノベーション」だの、「オンデマンド」だの、カタカナ語は増えている。でも「ナウなヤングがフィーバー」は易しい言葉なのに消えてしまった。流行語として一世風靡した「ファジィ」や「アウトオブ眼中」なども懐かしい。残る言葉と消える言葉はどこが違うのだろう。
 ところで、「お口にチャック」という言葉をご記憶だろうか。チャックが死語となった今、子どもたちを黙らせるときに、先生たちはどう言ってしつけているのだろう。「お口にファスナー」だろうか。「お口にジップロック」だろうか。  (舞)

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