女の落書帖

 「お母さんは捨てるのが苦手だね」と娘に言われた。近頃私に対し客観的にものを言うようになった娘である。家事についても生活についても自信を持ち始めたことがうかがえる。
 指摘の通り、私は捨てるのが苦手。「そのうちに使うことがあるかも」と、何もかもしまいこむ。素直に反省して、昭和のものいっぱいの納戸を片づけ始めた。
 そして、段ボール箱の中に数十個の湯呑茶碗を発見した。地味な柄の厚ぼったい湯呑は、寄り合いや法事用だろう。何十年も使われず仕舞われていた。
 この先出番はない。ポイポイとゴミ袋に入れて、次の不燃ゴミの日に出すことにした。納戸から段ボール一箱が消えて、私は単純にうれしい。
 湯呑は、ゴミ収集車に乗せられ、最終処分場に運ばれ、埋められるだろう。何百年か先、考古学の研究者に見つけられたりしたら楽しいなと考える。環境考古学という学問では、昔のトイレやゴミ捨て場を調べて昔の人の生活や自然との関わりを探るそうだ。
 市町村によっては、陶磁器類まで燃えるゴミとしているところがある。土から作ったものが灰となって土に戻るのはさっぱりときれいである。でも、灰になっては考古学の資料となることもない。
 まだ使える湯呑を捨てるにあたって、どっちが良いか湯呑自身に聞いてみたいところだ。(舞)

 こんな年になってから、初めて知った言葉がある。流行り言葉や、外来語なら知らないのも無理はないけど……と、少しばかりショックを感じた。
 その言葉は相舅(あいやけ)。夫婦双方の親同士の間柄を言う。辞書検索をしてみると、用例に浄瑠璃忠臣蔵が出てきたから、古くからの言葉である。
 我が家の場合、娘婿のご両親があいやけである。仲良くしたいが故に、お互い微妙に気を使う間柄。この間も、ちょっと奮発して松阪肉を送ったところだ。面と向かっての呼びかけも難しい。韓国語には、あいやけに対し、男性女性それぞれ呼びかけの言葉が存在するらしいが、日本語にはそんなものはない。名字で呼ぶか、名前で呼ぶか、お父様、お母様と呼ぶか、悩むところである。
 地名をからませるという方法もある。「横浜のお父様」という用法である。これが第三者を相手に「横浜はお元気?」などと変形し、不思議な会話になったりもする。
 一般にも、地名で人や業界を指すことがままある。目白とか桜田門とか兜町とか言えば、田中家だの警視庁だの証券業界だのを思い浮かべる。気を使って、婉曲表現した結果の地名呼びならば、「横浜はお元気?」という言葉もおかしくはない。娘や息子を間に挟んで、遠慮したり配慮しすぎたり。あいやけは、微妙な関係なのである。(舞)

 もらって、がっかりするお土産というものがある。がっかりという言い方をしては語弊があるだろうか。お土産だから結構なお値段がするはず。なのに、数ある中からこれを選ばなくてもと思ってしまう品がある。
 たとえば、京都土産のそばぼうろ。見た目が地味で、食感もパサパサしそう。食べてみると、素朴なそばの香りが口中にひろがって、意外とおいしいのだけれど、口に入れるまでが、がっかりの時間。
 たとえば、五色豆。甘い衣の中にエンドウ豆が入っている。色が美しく、カリッとした食感も、豆の香ばしさもうれしいけれど、修学旅行のお土産みたい。京都には、ほかにも珍しいもの楽しいものがあるだろうと思ってしまう。
 ではどんなお土産がうれしいのかというと、たとえば赤福。手土産にするのはもちろん、自分のためにも買いたくなる。
 たとえば、へんば餅。こしあんの具合がとてもよろしい。たとえば、二軒茶屋餅。きなこの香りがとてもよろしい。
 名物にうまいものなしというけれど、伊勢土産となるお餅類の水準は高いと思う。京都土産なら、あん入り生八つ橋がまずまずのところ。ほかに京名菓の数々があるのは間違いない。
 こう並べてみると、あんこの菓子ばかりを例に挙げている。要するに私は、あんこを求めているだけかしらん。 (舞)

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