女の落書帖

 秋の風に誘われて、秋を感じる街道歩きをしてきた。紅葉にはまだしばしの鈴鹿峠である。
 新名神高速ができてからの国道一号線は、車の数もめっきり減って非常に走りやすい。沓掛の信号で国道を逸れて、旧東海道に車を進めた。
 鈴鹿馬子唄会館に立ち寄ると、木を活かした造りの建物に鈴鹿馬子唄が流れていた。坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る。
 車はゆるやかな坂道を登りつつ、坂下宿に。旧街道にしては広い道である。本陣などの建物は見当たらないが、通りを挟む家々は宿場町の風情であった。車を降りて街道歩きに切り替えた。
 坂下宿を離れると、坂道は狭く急になる。片山神社は鎌倉時代からあったと言われる古い神社。今は荒れ果てているが、いつの時代のものか、りっぱな石垣が残っていた。石段の椎の実を拾ってポケットに入れ、急な坂道を登った。さらに石畳の坂道。峠までは急な坂が続く。何しろ東海道の難所である。
 以前、峠を越え土山まで歩いたが、滋賀県側はあっけないほど普通の道になってしまう。ゆるやかに下る国道歩きは面白くもなんともない。
 坂下宿から片山神社の上の石畳あたりまでが街道歩きとして面白いと決めて、道端に紫や朱色の秋の実を見つけつつ戻ってきた。人が自分の足で旅をした時代を偲ぶひとときであった。 (舞)

 踏切番のおじさんがいたという思い出話となった。踏切のそばに小さな小屋があって、そこにいるおじさんが遮断機を上げ下げしてくれた。よく覚えていないが、そうであったような気がする。
 踏切では、今と同じようにカンカンと警報機が鳴っていたような気もする。おじさんが鳴らしたのだろうか。おじさんの仕事は遮断機だけだったろうか。
 とにかく自動というものがほとんどない時代であった。電動も少なかった。商店の入り口は手で開けたし、水道の蛇口もひねるのが当たり前。おもちゃや時計などを動かすにはぜんまいを巻いた。
 踏切ごとに人が遮断機を操作し、混雑する交差点では警官が交通整理をする。列車の切符の販売も、改札業務も人が行ない、給与も請求書も、そろばんを使ってパチパチと計算する。
 昔は何とたくさんの仕事があっただろう。それとも、今の人が一人で行う仕事を多くの人で分け合っていたと言った方が適切だろうか。
 仕事の多くが変化して、職業のいくつかが消えた。代わりに、新たな職業もできた。家事も介護も今では職業となっている。コンピュータに仕事をさせるための、プログラマーやシステムエンジニアのような職業もできた。
 さて、今ある職業のうち、三十年後に残るもの、消えるものの判別は可能だろうか。うちの子の選んだ職業は三十年後もあるだろうか。       (舞)

 夏の椿は数センチほどの緑のげんこつ型の実をたくさん付けていた。ところがこの間見たら、その実が全てはぜて、三つに分かれ黒く干からびた皮だけが枝にあった。いつの間に種が落ちたのだろう。
 子どもの頃、秋になると、祖母と一緒に椿の種を拾いに行ったものだ。公民館の近くに、ヤブツバキのトンネルのような坂道があった。そこが椿の種を拾う場所。湿った土の上に黒い種が散らばっていた。
 拾ってきた椿の種を木綿の袋に入れて軽く叩き、殻を割る。すると種に含まれた油が布から浸み出てくる。その布袋で床を磨くのである。自然素材のフローリング用ワックス。床磨きは祖母と私の仕事だった。
 また、椿の実をコンクリートで擦って穴を開け、笛を作ろうともした。私はいつも中途半端で投げ出して、笛を鳴らすことができなかったが、椿油特有の匂いが、今も記憶にある。
 椿油は、昔から髪油として使われ、現代でも椿油を配合したヘアケア製品が売られている。資生堂のTSUBAKIというブランドは、五島列島産の椿の種から油を搾っているとホームページにあった。
 庭の椿の種を集めたら、油を取り出すことができるだろうか。精製が難しいなら、昔のように床磨きに使ってみるのもよいかもしれない。スローでエコな暮らし方。 (舞)

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