女の落書帖

 イタリア土産として貰ったのはシチリア産ドライトマトだった。カピカピに乾いたトマトは軽くて、小さな袋に何個分も入っていた。
 ずっと前にトルコへ旅行した時に、埃っぽいバザールでヒモに通された干しナスが売られているのを見た。トマトも同じように干されているのだろうか。
 おしゃれなイタリア料理は私のレパートリー外なので、クックパッドでレシピを検索した。イタリア風煮込み料理やスープに使ってみたら、普通においしいかった(今どきはこれが誉め言葉だという)。思わぬおいしさだったのは、にんにくとオリーブの香りトマトの旨みいっぱい炊き込みご飯だ。
 トマトが出汁になるということは、テレビで言っていた。ドライトマトなら保存性も良く、出汁として便利である。夏になったら自作してみたいと思う。難しそうだが、お手本もある。近年、干し野菜のブームが来ているらしく、ネット上にさまざまな体験談が公開されているのだ。
 干し野菜は甘くなったり、独特の風味が加わったりする。その上、調理時間が短くて済むし、野菜を無駄にせずエコでもある。レタスやモヤシ以外なら、どんな野菜でも干し野菜にできるそうだ。干し大根、干ししいたけ、干ぴょうなどは昔からやっていたこと。干し野菜ブームは伝統的食文化の見直しとも言える。      (舞)

 テレビをつけるとよく韓国ドラマを放送している。見続けると日本のドラマより面白い。美男美女が出てくる上に俳優も脚本も新鮮だ。
 ただ、現代劇だとちょっとした違和感がある。顔も衣服も日本と似ているのに、気持ちの表現方法が違うのだ。家族のあり方や風習の違いも大きい。正直なところ、嫁という役回りは遠慮したいなと思う。
 食事に関する場面も、いろいろ違っていて面白い。まず、出会ったら「ご飯食べましたか」と聞く。まだと答えれば、「では食べなさい」となる。他人の食事まで気遣うお国柄らしい。
 食卓の品数の多さにも驚く。朝ご飯から何皿もの料理が並び、鍋物まであって豪華。野菜料理がおいしそうだ。
 テーブルを囲むと、「たくさん食べなさい」と相手の皿に取ってやったり、スプーンを口元に運んで食べさせてやったりする。大人が「あーん」とするのも、珍しくはないようだ。同じ器から食べたり、一つのスプーンが行ったり来たりすることに抵抗はないらしい。 ご飯や汁物の器は手に持たず置いたまま。食事中の箸は食器の中に入れておく。女性の立て膝は当たり前で、誰もがテーブルに肘をつき、背中を丸めた姿勢で食べる。
 日本で行儀が悪いとされることも、所変われば品変わる。日本の常識が世界標準ではないとドラマで確認しているみたいだ。      (舞)

 近頃の苺は美しい。まんべんなく赤くて、整った紡錘型で、つやつやと光沢が良い。作りものみたいだけれど、食べれば甘くて瑞々しくて美味しい。子どもの頃に家裏の畑で摘んだ苺とは別物である。 
 初冬から始まった苺の季節は今が最盛期。私は今の季節の苺が好きだ。実もふっくらして、口に入れても冷た過ぎず、値段もお手ごろになる。
 今朝もそんな苺を食べながら考えた。表面の粒々がなければ、苺はもっと美味しいような気がするが…。種なしすいかや種なしぶどうがある。種なし苺はどうだろう。苺の赤い部分は厳密にいうと果肉ではなく、種の付け根が発達した種のベッドのようなもの。花たくという。種なしでベッドだけというのは無理かもしれない。何より、粒々がすっかりなくなると苺らしくない。
 ところで、苺という漢字には母がある。粒々が苺の子である種だから、赤いベッド部分が母なのかしらん。「母」という部首を持つ漢字はそれほど多くない。「毎」であったり、「海」であったり、「悔」であったり「貫」であったり。どういうわけで植物に母が使われているのだろうかと思う。
 気が付けば一パックを一盛りにした苺の皿はあらかた空になっていた。そうなると別のことが気になりだしたのである。練乳をかけなくとも甘くておいしい苺十個のカロリーはいかほどか。(舞)

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