女の落書帖

 連休の一日、車で鈴鹿山脈を越えた。二年ほど前に開通した石榑トンネルを通るのは初めてだった。いなべから永源寺へのルート。近江八幡に向かうこの国道は酷道四二一号線と呼ばれていた。峠越えの悪路と、コンクリート製のバリケードが、その理由であった。一度だけ、滋賀県側からいなべに通り抜けたことがある。愛知川をさかのぼり、さあ峠だという場所に、巨大なコンクリートの塊二個が、物理的に車幅制限をしていた。背丈を超えるコンクリートの間は二メートル。大きい乗用車だとミラーを開いては通れない。小さくても擦りそうで、そろそろと進まねばならない。もちろん三重県側にも同じものがあった。コンクリートに何本もの線があって、ここで傷ついた車の数を物語っていた。
 およそ4・5キロメートルの石榑トンネルは、一車線対面通行ながら、以前の峠道に比べると非常に快適に通行できた。トンネルを出ると、山はまだ早春。竜ヶ岳と釈迦ヶ岳に挟まれた山々に、桜の花のピンクと木々の初々しい緑が美しい模様を描いていた。
 峠は、別の世界との結界でもある。登りつめて、下りに転じる時、何事かを成し遂げたような気がする。トンネルで易々と通り抜けても、やはり何かが開けたように感じた。山を越えただけ、県境を越えただけではない、何かを感じられる場所だ。      (舞)

 寝付きが悪く寝起きが悪い。そんな状況がもう十数年続いている。若い頃は、床に入って一分後には寝入っていた。どうして、眠れなくなったのだろう。
 だから、毎朝、目覚まし時計なしでは起きられない。突然のジリリリリに、毎朝びっくりして飛び起きる。若い頃の目覚まし時計には、いくら寝ても眠いのを起こされたが、 今は寝足りないのを起こされる。ジリリリリがうらめしい。
 ところが先夜、眠くなって寝入り、自然に目が覚めた朝があった。うつらうつらのうちに、次第に頭がクリアになり、周囲の音が入ってきた。自然な目覚めとはこういうものだったのだ。幸福感と表現してもよいと思った。
 どこで読んだか忘れてしまったが、睡眠の質は家計状態や夫婦関係よりも日々の幸福感に影響を与えるという論文が科学誌に掲載されたという。お金がなくても、夫婦仲が悪くても、ぐっすり眠って気持ちよく起きられたら、人はそれで幸せに生きていけるらしい。
 何と安上がりな幸福感だろう。人は単純にできている。しかし、ある種の人間にとっては、その幸福感が得難いのである。
 物欲にも食欲にも、もちろん名誉欲や権力欲にも執着がなくなった私のこの頃。幸福感を得られるほどの睡眠がほしいと切に願っている。何をどうすれば、コロンと寝つけるのだろう。 (舞)

 隣に座ったとたん、友人が「飴ちゃん食べる?」と勧めてくれた。ありがとうと受け取りながら、「近頃は大阪のおばちゃんしてるん?」
 大阪のおばちゃんのバッグには必ず飴が入っているらしい。大阪には飴メーカーが多く、また人懐っこいおばさんも多いからだという。出かける時には「火消した。鍵閉めた。財布持った。飴ちゃん持った」と確認するとかしないとか。
 この、飴を人にあげるという行為は、優れたコミュニケーション手段なのだという。飴を差し出されて不快になる人はいない。突然差し出されて戸惑ったとしても、相手がコミュニケーションをとりたがっている事は理解する。「いや、飴食べないんで…」と断ったとしても、両者はすでに会話モードに入っている。 近頃、ビジネスの場で雑談の効用が見直されているそうだ。事務的で効率的な会話ばかりだと、ぎすぎすして仕事も円滑に進まない。営業に雑談をとりいれることで、売り上げが伸びたとも聞いた。と言っても、会話の第一声が難しい。天気の話、スポーツの話、当たり障りのなさそうな質問。独り言という手もあるが、相手が乗ってくれないと困る。
 「飴ちゃん食べる?」は、それを簡単に乗り越えるキーワードとなる。見知らぬ人にも飴で話を始める大阪のおばちゃんたちはコミュニケーションの達人である。(舞)

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