女の落書帖

 テレビをつけるとよく韓国ドラマを放送している。見続けると日本のドラマより面白い。美男美女が出てくる上に俳優も脚本も新鮮だ。
 ただ、現代劇だとちょっとした違和感がある。顔も衣服も日本と似ているのに、気持ちの表現方法が違うのだ。家族のあり方や風習の違いも大きい。正直なところ、嫁という役回りは遠慮したいなと思う。
 食事に関する場面も、いろいろ違っていて面白い。まず、出会ったら「ご飯食べましたか」と聞く。まだと答えれば、「では食べなさい」となる。他人の食事まで気遣うお国柄らしい。
 食卓の品数の多さにも驚く。朝ご飯から何皿もの料理が並び、鍋物まであって豪華。野菜料理がおいしそうだ。
 テーブルを囲むと、「たくさん食べなさい」と相手の皿に取ってやったり、スプーンを口元に運んで食べさせてやったりする。大人が「あーん」とするのも、珍しくはないようだ。同じ器から食べたり、一つのスプーンが行ったり来たりすることに抵抗はないらしい。 ご飯や汁物の器は手に持たず置いたまま。食事中の箸は食器の中に入れておく。女性の立て膝は当たり前で、誰もがテーブルに肘をつき、背中を丸めた姿勢で食べる。
 日本で行儀が悪いとされることも、所変われば品変わる。日本の常識が世界標準ではないとドラマで確認しているみたいだ。      (舞)

 近頃の苺は美しい。まんべんなく赤くて、整った紡錘型で、つやつやと光沢が良い。作りものみたいだけれど、食べれば甘くて瑞々しくて美味しい。子どもの頃に家裏の畑で摘んだ苺とは別物である。 
 初冬から始まった苺の季節は今が最盛期。私は今の季節の苺が好きだ。実もふっくらして、口に入れても冷た過ぎず、値段もお手ごろになる。
 今朝もそんな苺を食べながら考えた。表面の粒々がなければ、苺はもっと美味しいような気がするが…。種なしすいかや種なしぶどうがある。種なし苺はどうだろう。苺の赤い部分は厳密にいうと果肉ではなく、種の付け根が発達した種のベッドのようなもの。花たくという。種なしでベッドだけというのは無理かもしれない。何より、粒々がすっかりなくなると苺らしくない。
 ところで、苺という漢字には母がある。粒々が苺の子である種だから、赤いベッド部分が母なのかしらん。「母」という部首を持つ漢字はそれほど多くない。「毎」であったり、「海」であったり、「悔」であったり「貫」であったり。どういうわけで植物に母が使われているのだろうかと思う。
 気が付けば一パックを一盛りにした苺の皿はあらかた空になっていた。そうなると別のことが気になりだしたのである。練乳をかけなくとも甘くておいしい苺十個のカロリーはいかほどか。(舞)

 暖かくなってきたので、ウォーキングを再開しようかと思っている。思っているだけでなくて、すぐに再開すればよいのだけれど、そこはそれ、決心というものが必要だ。
 でも、世間にはりっぱな方も多くて、冬の間もずっと元気に歩くグループを見かけた。朝ごはんの前に歩く方々もおられる。朝飯前の運動は健康にすこぶるよろしい。何より勤勉は美徳のひとつである。
 そんな一人と立ち話。「きょうは午前にプールに行って、午後からコーラス、そして…」とおっしゃる。「まあお忙しいこと」と言えば、「起きたきり老人と呼んでちょうだい」とにっこりなさった。活動的な生活スタイルを貫いておられる。聞いてうれしくなった。
 「ところでご主人はどうされていますか」と聞けば「別のことをするのが、夫婦円満の秘訣。私は一人で好きなところへどこへでも出かけていくの。家を出たら、出たっきり」。
 これぞ、理想の老境と見た。夫婦が元気にそれぞれどこかへ出かけていく。ボランティアでも趣味でも学びでも。一日の終わりには二人で寄り添い、話をする。裏付けとして、健康と、生活資金と、心の安定に恵まれている。
 私もそんな老後にしたいと思う。出かける場所をいっぱい作って、毎日家を出る。目指すのは寝たきり老人ならぬ出たきり老人だ。    (舞)

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