女の落書帖

 わくわくとビュッフェの席についた。なんでも好きなだけ食べてよいというのは素晴らしい。食べすぎては我が身のためにならないし、そんなにたくさん食べられないくせに心が躍る。
 お盆に皿を並べてまずは野菜のコーナーに行く。お浸し、和え物、煮豆。家庭で作るには面倒な料理を一口ずつ。それから、煮込み料理のコーナー。おでんもシチューもチゲもうま煮も一口ずつ。
 揚げ物や肉類は一口より少し多い目。おいしそうだから、少しだけ多い目に取ってしまう。きょうはなんと豚足の甘辛煮を発見。二個も皿に取った。
 席に戻り、盆の上のものを見せ合う。「おいしそうやね。どこにあった?」と情報交換。私の皿の豚足が注目された。
 「何、それ、そんなん食べるの」と否定的な人。「食べたら明日お肌ぷるぷるやわ」と取りに行く人。
 こういう場合、二手に分かれる。人間の食べるものなら何でも食べてみる派と、今までに食べたものしか認めない派。私は前者なので、後者がいかにも不自由な生き方をしているように思う。
 しかし、後者には後者の言い分がある。そんな気持ちの悪いものまで食べなくとも、この世にはおいしいものがたくさんある。怪しいものを避けるのは安全な生き方だ。
 議論をよそに、私はとろとろぷるぷるの甘辛を舌の上で楽しんだ。(舞)

 友人たちとの集まりのテーブルにえびせんがあった。ひとつ取って、かりっと噛んで、うれしくなった。「この味、この味、やめられない止まらないかっぱえびせん」
 そこからみんなが、初めてかっぱえびせんを食べた時のことを話しだした。私の育った田舎町でえびせんが売り出されたのは、いつ頃だったろう。とにかく、初めて食べた時には、こんなおいしいものがあるのかと感動した。それは同世代の友人たちも同じだったらしい。
 それから…と一人が言う。「マヨネーズも衝撃だった」そうだった。マヨネーズも衝撃だった。それまで、卵と油と塩と酢を混ぜたマヨネーズを使っていた。酸っぱさも塩辛さも子どもの舌には強すぎた。ところが薄黄色のチューブを押せば出てくるそれは、マイルドでおいしかった。感動的なポテトサラダができた。
 チーズを初めて食べた時、セロリを初めて食べた時、レディーボーデンを初めて食べた時。初めて物語はいろいろあるけれど、かっぱえびせんほど印象的な初めてはなかったと、そこにいた友人たちは声を揃えた。
 お菓子と言えば甘いものだった時代に、塩味で香ばしいかっぱえびせんが驚きをもって支持されたのだと思う。人々の嗜好の転換点かもしれない。少し若い人たちにとってのかっぱえびせんの位置づけはどうなのか、アンケート調査でもしてみたいところだ。(舞)

 毎日届く郵便メール便のほとんどがダイレクトメールである。それなりの効果が期待されているだろうが、私はほとんどを読まずに捨てる。中身を古新聞入れに、個人情報の含まれる部分をシュレッダー行きゴミ箱に。
 シュレッダー行きゴミ箱はすぐにいっぱいになる。その時はシュレッダー作業。家庭用シュレッダーは、業務用と違ってちゃちなものなので、薄い紙以外はだめとか、連続運転はだめとか書いてあるけれど、私はおかまいなし。現在のシュレッダーは三台目である。
 シュレッダーを買う前はどうしていたかと思いだす。手で細かく裂いて、燃えるゴミとして処理していた。その前は裂かずにそのまま燃えるゴミだった。リサイクルという考え方もなく、個人情報についての意識もない頃の話だ。
 思えばあの頃はのん気だった。商品のシールをはがきに貼って、懸賞に応募したりしていた。連絡先などの個人情報が企業に蓄積されていくとは思いもしなかった。実際、大量の応募はがきは、用が終わった時点で廃棄されていただろう。
 時代は変わった。企業が手に入れた情報はすべてデータベース化されていると思われる。法律の枠内ならば不正利用はないだろうが、抜け道やほころびはどこにでもできる。とりあえず目の前の情報をゴミに紛れて流出させないよう、シュレッダーを活用しよう。(舞)

[ 51 / 71 ページ ]« First...102030...4950515253...6070...Last »