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お遍路の伝統的出で立ちは白衣、菅笠、金剛杖(お杖)。いずれにも『同行二人』の4文字が書かれている。お大師さんに見守られ一緒に修行しているという意味だ。特にお杖はお大師さんの化身として大切にされ、宿に着いたらまず杖先を洗って汚れを落とし、部屋の床の間などに安置しなければならない。また同行二人の菅笠は、履物を脱いで堂内に入る場合を除き、お参りする時も取らなくても良いとされている。
かつて旅は命懸けであった。遍路の途中で病気、その他で亡くなることは想定内だった。また、死に場所を求めて四国遍路に出る人も少なくなかった(現代でもそういう人はいる)。白衣は死に裝束、お杖は卒塔婆、菅笠は柩の蓋でもあるのだ。江戸期の遍路道を歩くと傍らに供養のためのお地蔵さんや墓石をよく見かける。
安全になった現代も往時のスタイルを踏襲しているわけだが、現代人の意味合いは、熊野詣でが黄泉の国熊野から生還し活力を得る『よみがえり』にあるように、死に裝束で巡拝することにより心を洗い心を磨いて『再生』することにあるのではないか。
現代のお遍路の仕方は、本来の歩き行である歩き遍路の他、車遍路(バス遍路・小グループのワゴン遍路・単身や夫婦、家族のマイカー遍路)、バイク遍路、自転車遍路と多彩。団体のバス遍路やワゴン遍路にはたいていプロの先達さんが同行していて、お参りの仕方を指導してくれる。
おもしろいのは、歩き遍路で上着・ズボンとも伝統的白装束で決めている人は少数派。ほとんどが上は白衣、または袖無しの笈摺、ズボンは山用の速乾性というスタイル。実用性を重視しているわけだが、これに対しビシッと全身白装束で決めている人が圧倒的に多いのが車遍路の団体さん。中には手甲脚絆までつけている人も。歩かないぶん余計に伝統的スタイルに拘ってみたというところか。
現在、お遍路の数は年間ざっと数十万人という。このうち歩き遍路は7、8千人というから殆どが車遍路である。
回り方で一気に全部回る『通し打ち』は車・歩きを問わず少数派である。大半は今回はここまでと日にちを限定しながら進む『区切り打ち』である。ただしマイカーの人は10日ほどで回れるので通し打ちの人が多いようだ。
歩き遍路の場合、通し打ちはせいぜい1、2割、主流は区切り打ちだ。中でも春・阿波、秋・土佐、翌年の春・伊予、秋・讃岐と1国1道場ずつ、歩きに適した季節を選び丸2年かけて結願を迎える『1国打ち』が最も多いようだ。
一方、現役世代の中には数日の休暇を利用して区切り打ちを続けている人も少なくない。ある遍路宿で東京から8年半かけて結願した人もあると聞いた。地元津市でも毎年正月休みに区切り打ちをして既に8年になり、まだ半分少々という方がみえる。
菅直人さんの歩き遍路はメディアが取り上げ有名だが、遍路宿に色紙が飾ってあったり、「ちゃんと自分で洗濯してたよ」などと足跡はあちこちに残されていた。それが伊予国の途中でプツリと途切れ不思議に思っていたら、先日の総理大臣就任のニュースの中で53番圓明寺(松山市和気町、同市内最後の札所)で止まっていると本人が明かし、ようやく納得できた。菅さんも区切り打ちである。
総経費は四国への往復旅費を考えると通し打ちが一番安く上がる。また体力的にも長距離・連日歩行向きに体ができあがるのが打ち始めてから10日前後と言われる。従って通し打ちの中盤・終盤はマメ悪化など肉体的アクシデントや天候の激変がない限り(今春は記録的な異常気象だった)比較的楽になるが、区切り打ちの場合はこの蓄積が活かせず毎回ゼロからの出発になるのが気の毒だ。
みなさん『歩き遍路通し打ち』を理想としながらも諸般の事情で果たせないのだ。通しがやれる我が身の幸せに感謝すると同時に、何年も何年も四国に通い続け僅かな区間を歩きつないでいる『超区切り打ち』お遍路さんたちの情熱には脱帽せざるを得ない。
(西田久光)
2010年11月1日 PM 12:11