美波町日和佐、ウェルかめの浜

  ビジネスホテル・ケアンズのフロントは2階。わずかな階段も気合を入れないと上れないほど足は疲れ切っていた。どうにか部屋に辿り着き、リュックを降ろす。しばらくベッドに横になってから荷物を点検したら不安的中、なくなっていたのはトイレットペーパーだけではなかった。手帳がない。それに3足持ってきたはずの靴下も2足しかない。「宿でちゃんと点検せんからや」と女房に叱られた。すんませんと謝ってみてもないものはない。しかしこれは弱った。
 5月6月に既に6件ほど約束が入っていた。相手と内容は覚えているが日時・場所は手帳が頼りだ。それに正月が明けてからの毎日の歩きトレーニングの記録も書いてある。
 出発の前夜、経本と一緒に頭陀袋の中に入れたところまでは覚えているが、その先がどこかのお寺の境内で広げて見たような見ないような…全く記憶が曖昧である。恐らくどこかの旅館に忘れてきたに違いない。今は夕餉どき。宿はどこも忙しい時間だ。慌ててみても仕方ない。まずは風呂に入って冷えた体を温め足をほぐし、外食を済ませてから腰を落ち着けて電話してみることにした。
 ないことに気づいたのが8日目の今日だから怪しいのは前日の坂口屋。電話は繋がったものの肝心の手帳はない。前々日の宿にもやっぱりない。3日前、4日前…結局初日の森本屋まで1週間遡ってみたがどこにも手帳はなかった。ひょっとしたら持ってきたつもりが家に忘れてきたのかも。娘に電話してリュックの置いてあった部屋から書斎、居間、仏壇の横と考えられる所は全部探して貰ったがどこにもないとの返事。こうなれば家に戻ってから約束した相手に電話して確認するしかないと諦めた。
 実はこの手帳紛失事件には不思議なエピソードがあるのだが、それは後日のお楽しみ。
 それにしても、手帳がない、自分の予定が判らないというのは不便なものである。旅の間このあと何人かから用事の電話を頂いたがその都度、「すみません、いま四国をお遍路で歩いてます。どこぞで手帳を落としたらしく予定がさっぱりわかりません。ゴールデンウィーク前には家に戻る予定なので帰ってから改めて連絡させて頂きます」と断りを入れる破目になった。
 歩き遍路に忘れ物はつきものらしい。ぼくの失敗に呆れ返った女房自身、14番常楽寺で眼鏡を忘れてきているし、旅の途中で出会った歩き遍路の中には、カメラで撮った画像の日時・場所が直ちに記録されるという最新のGPS装置をわざわざ出発前に買ったのに四国に向かう列車に置き忘れて、止むなく四国入りしてから買い直そうと家電屋に寄ったら取り寄せ商品と言われてガックリきたという人。せっかく宿を早立ちしたのに部屋のハンガーに判衣を忘れてきたことに何キロも歩いてから気がついて逆戻りした人。お参りしたお寺の納経所に数珠を置き忘れた人、等々…枚挙にいとまがない。
 何しろ長旅である。アクシデントやハプニングはあるのが普通。ましてや連日朝7時前後から夕方5時頃までリュックを背負い、数十キロも歩き続けるのである。午前中は自分の足で歩いているが、スタミナが落ちる午後は同行二人のお杖の力を借りて歩いていると言っても過言ではない。
 それでも歩いている間はそれなりに緊張しているせいか、休憩を取った後に少々足が痛いことはあっても椅子やベンチから立ち上がれないということはない。ところが、無事宿に着きその日の目標を達成して一息入れると、事情は全く変わる。溜まった疲れが一気に噴き出すのか、すんなりと立ち上がれない。床に手をつき、あるいは壁や柱に寄っ掛かったり、まるで病人のように何か支えがないと立てなくなるのである。歩き遍路の旅はそんな毎日の繰り返しだ。
 忘れ物・落し物の原因は前半は参拝手順に対する不慣れ、その後は日々の疲労の蓄積から来る集中力の低下に違いない。猛烈な睡魔に襲われ半分眠りながら歩き続けることも何度か体験した。『歩き行』はやはり厳しい。  (西田久光)