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シンガーソングライター井上陽水の初期の名曲「傘がない」ではないが、旅の間、テレビ番組でまず気になるのは世間の動向を伝えるニュースではなく天気予報。今日・明日の天気がどうなるのか、それによって宿を出る時の身支度が変わってくる。これほど真剣に天気予報を毎日見続けたのは生まれて初めてだ。
9日目、朝から外は冷たい雨。おまけに強風注意報も出ている。今日も厳しい一日になりそうだ。
7時10分、ビジネスホテルを出発。JR日和佐駅は田舎にしては大きな駅である。他の歩き遍路から無人駅で通り抜け自由、その方がホテルから薬王寺へ行くのに近道と教えて貰っていた。駅舎の構えからしてちょっと半信半疑だったがおっしゃる通りだった。
日和佐は海側の小山の上に日和佐城天守閣、山側の中腹には巨大な赤い和蝋燭を彷彿とさせる瑜祇塔がシンボルの薬王寺…共に戦後建てられた大建築物が両脇から町を睥睨し中央をJR牟岐線と国道55号が走っている。そして浜はウミガメの産卵地として著名。先年隣町由岐と合併し美波町が誕生した。それでも全体で人口1万人に満たない小さな町だが、独特の表情があっておもしろい。
小雨の薬王寺境内でロストおじさんや浜松の夫婦、群馬の歩き遍路2回目の中年女性に再会した。皆さん昨日の納経時間に間に合わなかったのだ。道を間違えて遠回りしてしまったぼくらだけでなく、順路を素直に歩いてきたはずの彼らも打ち始めからの疲れがピークを迎える中での30キロは相当堪えているようだ。
しかし薬王寺から80キロほど先、室戸岬の尖端にある24番最御崎寺(高知県室戸市)までの室戸街道(土佐街道)こそ焼山寺や鶴龍の『へんろ転がし』を遥かにしのぐ歩き遍路最大の難所なのだと、遍路宿の人や歩き遍路の先輩たちから仕入れた情報を総合すると、どうもそういう結論になるのだ。雨と強風注意報の中いよいよそれが始まる。
室戸街道・国道55号は海岸線近くを走りアップダウンが殆どない平坦な道である。特に徳島・高知の県境を越えたあたりからは延々40キロ、右手にそそり立つ山、左手に海を見ながら堤防道路の上を歩くような形になる。車遍路や自転車遍路、ツーリング族には走りやすく快適と大好評の道らしい。それがなぜ歩き遍路にとって『最大の難所』なのか?全行程約80キロのほぼ100%がアスファルトもしくはコンクリート道だからである。
舗装道路の硬い路面はボディブローのようにじわりじわりと足を痛めつける。うんざりするほど舗装道を歩き続けた先でようやく地道に出会う。昔ながらの土の道に一歩踏み入れた瞬間『足が喜ぶ』のである。これは決して大袈裟な表現ではない。よほど堅牢な豪脚の持ち主でもない限り、3日も歩き旅をやれば舗装道の過酷さを嫌というくらい味あわされ、地道で『足が喜ぶ』のを実感することになるだろう。
ついでに言えば、峠道の石畳も硬くて反発が強い上に、たいてい苔むし滑りやすい。危険でちっとも嬉しくない。雨で土が流出しやすい場所の土留め対策として敷設してあるので止むを得ないとは思うが、決して石畳が歩きやすいからではない。絵になる景色として熊野古道などでもてはやされているが、日帰りで峠道を一つ二つ体験するだけの現代人と、何日も歩き続けた往時の巡礼者とでは評価が異なるに違いない。
また歩道は殆ど片側にしかなく、それが右かと思えば左へとコロコロ変わる。変わり目では当然道路を横断しなければならないが、その地点に横断歩道があるのは極めてまれ。危険を承知で車道を突っ切らなければならない。おまけに折角渡ったのに100mも進まない内にまた反対側に歩道が変わってしまう場合もある。これにはガックリだ。
因みに歩道どころか路肩も白線の幅のみ、つまり歩行者用空間が皆無の超危険な道も体験した。この場合安全対策は必ず右側を歩き腕の振り、お杖の振りを大きくして、前方から来る車に存在をアピールしドライバーの注意を喚起するしか術はない。 (西田久光)
2010年11月21日 PM 4:52
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