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3日続けての晴れ。12日目の行程は津照寺そばの宿から26番金剛頂寺(標高165m)、室戸市・町境の中山峠(110m)…久々に足にやさしい地道の峠を2つ越え、27番(安田町、430m)詣での拠点、の浜吉屋まで27・8キロ。
金剛頂寺では、歩き遍路を8回経験しているというバス遍路の先達さんから歩きについてのアドバイスを受け、おまけに立派な錦の納札まで頂いた。
室戸市町では国道と並行する旧道を歩く。歴史を感じさせるどっしりとした石垣()、あるいはレンガ造りの塀に囲まれた家々。土佐の白い壁面に小さな瓦葺きの軒(水切り瓦)がついた独特の様式の蔵がある家も散見される。風情のある町並み。やがて表示があり、平成9年選定の重要伝統的建造物群保存地区と判った。明治に土佐備長炭の生産で一世をした町。その経済力で台風銀座の強風対策に頑丈な建物を造ったらしい。
国道を1・2キロ短絡する中山峠はそのぶん急。下りきる所は民家が建て込み幅1mにも満たない狭い路地。道を間違えたかと女房が玄関先にいたおじいさんに「通ってもいいです?」とお伺いを立てたら「どうぞどうぞ、ここも遍路道ですよ」と返ってきた。
奈半利町では店頭に柑橘類をいっぱい並べた果物屋の前で「お遍路さん、お遍路さん、お茶でもお接待させて下さい」と70歳くらいのの良いおじさんから声をかけられた。お接待は断ってはならないのがルール。ありがたくあずかることにした。ついでに「すみませんがトイレも貸して頂けませんか」と言うと「わしが頼んだろ」。てっきり店の人かと思ったらご近所さんだった。店の人も快諾して女房が用を済ませた。ところでお茶は?店の脇の自販機に女房とぼくの二人分小銭を入れ、「どれでも好きなの選んで」。
歩き遍路は毎日いろんなことに出会う。
今日の宿、浜吉屋に着いたのは夕方4時33分。夕食時に宿泊客全員が顔を揃えると、ロストおじさん、浜松夫婦、群馬のおばさんにロッジおざきで同宿した中年女性、それに初顔の中年男性。枠ねえさんは別の宿とか。ロストおじさん達は既に神峯寺を打ち終えたと言う。往復3時間。ぼくらは半日遅れということだ。
食後、浜吉屋のご主人も入って歓談。下り坂要注意の事例として、金剛頂寺の急な下りで転倒して骨折した人がいたこと。また3年前には捻挫してどうにか宿までたどり着いたが、足を見たら腫れ上がって普通じゃない。すぐ救急車を呼んでそのままリタイアした人もいたと。するとロッジおざきで同宿した中年女性が手を挙げ、恥ずかしそうに「それ、私です。その節はお世話になりました。3年ぶりに再挑戦に来ました」と。済んでしまえばこれもまた酒のである。思い出話に花が咲いた。
浜松嫁は登山歴少々。旦那はたまに付き合う程度。3日目にに大きなマメができまで痛くて大変だったと。道理でいつも奧さんが前を歩き旦那は後ろから必死でついていたわけだ。全行程42日の計画。ぼくらより1週間も早い。これからペースを上げるようだが、奧さんは膝が痛いと食事中からずっと足を伸ばしたまま。前途多難だ。
ぼくらの明日の宿は初めてリッチな温泉観光旅館土佐ロイヤルホテル。ここまでは出発前に予約してあった。これが大正解。横峰さくらなどたる選手が出場する女子ゴルフがあり近辺の宿はどこも満員。ぼくら同様13日目の骨休めを考え、今日土佐ロイヤルに電話を入れた群馬のおばさんは断られ、結局取れたのは42キロも先。「ともかく行ける所まで行って、後は鉄道かバスを使うしかない」と。逆にロストおじさんは僅か10キロ先の宿。こっちは行ける所まで行って電車で戻る。「ゴルフもあるけど1日組が多過ぎるのが原因」とボヤくことしきり。
女房も会話に加わって段々になる。ぼくが「下手に言うと3倍言い返される」と明かす。すかさず浜松旦那が「うちは6倍ですよ」。みんな大笑い。
お遍路の旅は予想以上におもしろい。(西田久光)
2010年11月21日 PM 6:14
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