黒潮町の佐賀公園

 3月20日土曜日、打ち始めてから20日目。いよいよ土佐清水市足摺岬の38番金剛福寺まで札所間距離最長の約87キロを歩く足摺コースに入る。今日は黒潮町伊田の『民宿たかはま』まで約28キロの道程。
 朝7時25分、美馬旅館を出発。天気予報は朝のうち曇り後晴れ。足の指の調子はまずまずだったが、国道56号のゆるやかな上り坂を進むうち、やけに足が重くなってきて、嫌な予感。
  5キロ地点で中国電力の資材置き場から市野瀬へんろ道へ。峠までの上りはどうと言うこともなかった。ところが、下りは急で嫌いな石畳。次いで最悪の小石道。旅の途中、ベテラン遍路からご教示いただいた下りの要注意は、表面は乾いていても下が濡れていて滑りやすい『枯葉スキー』と小石がコロの状態になって転ぶ『石車』……慎重に足を運ぶも一面に敷きつめられた小石を完全に避けるのは不可能。時々もろに乗ってしまう。転びはしなかったが、小石が当たるわずかな部分に体重がかかり、足の裏、特に小指に当たった時は激痛が走る。女房も足を痛めた模様。
 恐る恐るゆっくりと下っていた奈良の夫婦を追い越し、やがて遍路道を降りきる。そこに近くで工事をしいているのだろう、中山興業の現場事務所があり、脇に仮設テントの遍路休憩所を設けてくれてあった。トイレ休憩、そして痛みが再発してしまった左足小指を休ませるには格好の位置。ありがたく使わせて頂くことにした。
 小休止の後、国道、更にショートカットの遍路道に入り峠で趣のあるレンガ造りの明治のトンネル『熊井隧道』を抜け、再び国道に戻った少し先にスリーエフが見えてきた。ここまで18キロ、時刻は12時半。ちょうどロストおじさんが発つところ。ここもお茶のお接待があると教えてくれる。ベンチに腰掛けお昼を食べていると、美馬旅館に同宿した北九州のおじさん、ちょっとシャイなおじさん。そしてまたまたミスター53……やっぱり歩き遍路はスリーエフに集まってくる。
  大休憩で足がやや持ち直し、気を取り直して1時半出発。残り10キロ。半時間ほどで2日ぶりに海岸に出る。湾口に鹿島が浮かぶ鹿島ケ浦の海景は、国道下のあちこちに艶やかに咲き誇る満開の桜と相まって美しかったが、急に強い風が吹き出し景色どころではなくなった。夫婦とも足の状態が一気に悪化。佐賀公園でトイレ休憩している間に風は更に強まり、続く白浜地区はもう突風状態。菅笠を取りお杖を小脇に抱えて必死で歩こうとするが、ほとんど前に進めない。踏ん張るたびに足の小指が痛む。
 そこへミスター53が追いついてきた。強烈な向かい風に悪戦苦闘するぼくらを「井ノ岬トンネルを越せば風が変わる。そこまで後3キロぐらいだから頑張れ」と励ます。トンネル一つで風が変わるとはとても信じられなかったが、今はその言葉にすがるしかない。行く手をはばむ風圧と足の痛みに顔をしかめて耐えながらようようトンネルに辿りつく。すると嘘のように風が弱まり狐につままれたような気分。こうなると現金なもので痛みを忘れ、足が急に軽くなった。
 トンネルの中ほど。向こうから大学生風の青年が一人走ってくる。ぼくら3人を避けて手前から歩道を降り息を切らせながら脇を駆け抜けて行った。トンネルを出るとやはり風はなく、百mほど先に自転車を停め所在なげに立つ3人組。訊けば大学生。5人でツーリングしているが、少し遅れていた1人が風に煽られて転倒、怪我をして動けないのでリーダーが見に行ったのだと不安そうにいう。あの風でペダルを漕ぐのは難しい。降りて押すしかないが、早く仲間に追いつこうと無理したようだ。
 5時前、民宿たかはまにようやく到着。左足小指は水を持って哀れなジュクジュク状態。念のために途中で買ったイソジンで再度消毒。夕食時、宿の親父さんの話では、自転車事故に救急車が出て、消防から今晩1人泊められるか問い合わせがあった。その後、何も連絡がないからどこか確保できたのだろうと。強風が大敵なのは歩き遍路だけではなかった。(西田久光)