三日月の霊石祀る月山神社

  24日目、今日も雨。行程は岬まわりで月山神社(大月町月ケ丘)にお参りし、山越えで姫ノ井に抜け国道321号に合流、大月町弘見の民宿なかたまでの30キロ弱。お接待で洗濯してくれた民宿竜串苑のおばちゃんに礼を言って7時出発。
 8時40分、貝ノ川のファミリーマートみぞぶちでパンとココアを調達。ここを過ぎると17キロ先まで店はない。トイレを借り併設の喫茶店でコーヒーをいただく。ママ、息子さんともに気さくな人でつい30分も歓談。息子さん曰く、この先の叶崎から月山神社にかけての景色は高知県随一、特に叶崎の灯台あたりの旧道からの眺望は最高。「今日は雨で残念だけど」と。
  一帯は絶壁と岩礁が織りなし雄渾。途中の小才角は江戸期、沖で漁師が偶然桃色珊瑚を釣り上げたが土佐藩は採取を禁止、明治に漸く解禁となった土佐珊瑚の産地。この海景にして宝石珊瑚あり。カメラが濡れるので満足な写真が撮れなかったが、確かに自慢するだけのことはある。
 11時42分、月山神社着。修験道の祖・役小角が発見したという幅1・5m、高さ60㎝ほどの三日月形の霊石が御神体。思っていたより小さなお社の裏の崖上に祀られていた。空海も修行したと伝え、大月町一帯の護り神として崇められる。元は守月山月光院南照寺という神仏習合の寺院。明治の神仏分離で月山神社と改称した。脇の大師堂の格天井は河田小龍、宮田洞雪、絵金ら幕末土佐を代表する絵師たちが描いている。
  宮司家は守月さん。ぼくらが着いたのと入れ違いに車で外出するところ。トイレをお借りした後、手を清め拝殿で柏手を打ち、大師堂で勤行。残念ながら天井絵は暗くて見えなかった。境内の二坪ほどの遍路小屋で昼食をとる。寒い。
 12時半出発。雨は一向にやまない。山越えルートは一車線のアスファルト道、沿道に人家なし。月山神社から国道に合流するまでの6キロ1時間半、出会った車は宮司さんを含め3台。更に国道を進めども遍路小屋なし、トイレなし。
 2時20分、漸く地獄に仏で喫茶シャンティ発見。ドアを開けると入口に小さなマットが敷いてある。土足厳禁のようだ。こっちは菅笠から靴まで全身びしょ濡れの合羽姿。どうしたものか戸惑っていると、歳の頃は60前後か、やけに垢抜けしたママの明るい声。
 「全部そこに脱いで置いてもらったらいいですよ」 「濡れちゃいますけど」
 「いいのいいの、そのためにマットが置いてあるんだから」
 小洒落た店内には備前の花入れ、切子の器など小物がいっぱい飾ってある。まずはトイレ、そしてあったかいコーヒーをいただき生き返る。その上、お接待で小鉢に入れたむき身の文旦までいただく。
 やがてママの女友達が来店。詩吟が趣味。岳風会に属し、津には全国大会で行ったことがあるとか。
 実家は月山神社近く。子供の頃は学校に通うのに鬱蒼とした神社の前を通るのが怖かった。小さい神社だけど由緒は高知県内有数。かつては祭りの時に露店もいっぱい出た。今、3キロほど先の道の駅大月で月山神社大師堂の天井絵の写真展やってるからぜひ観てって──体が温まって生気を取り戻した女房も一緒になり女三人話がはずむ。ママは東京の人、大月と東京半々くらいの生活。
 ママ曰く、歩き遍路には四つの条件がある。第一は健康であること。第二は時間があること。第三はそこそこお金があること。この三条件に叶う人は全国に五万といるけど、お遍路に来る人と来ない人がいる。その違いは第四の条件「お大師さんに呼ばれたか、呼ばれなかったか。呼ばれた人がお遍路に来る」と。
 宿まで残り7キロの気楽さもあって1時間も長居。外は少し小降りになっていた。歩きながら女房は「何でお遍路に来たのか自分でもようわからんかったけど私もお大師さんに呼ばれたんか。言われてみるとすごく納得できるわ」──なかば独り言のようだった。
 道の駅の天井絵写真展は大師堂修理の募金活動の一環と知る。今日一日の御礼にわずかばかり寄付させていただいた。(西田久光)