検索キーワード
50日の予定の遍路旅も今日で前半を締めくくる25日目、土佐国最後の札所・39番延光寺(宿毛市平田町)にお参りする。行程は先に宿毛市中心街の上村ビジネスホテルに荷物を預け、頭陀袋のみの軽装で延光寺を往復する約27キロ。
複雑な増築の結果か、館内がこれまで経験したことのないトビッキリの迷路となっていた民宿なかたを7時18分出発。明け方まで続いた激しい雨は漸く小雨に変わっていた。天気予報では午後には一応上がるものの大気の不安定な状態は続き、気圧配置は次第に西高東低の冬型になるとか。今日も一日ゴアテックスの合羽は脱げそうもない。
宿を発ってじきに遍路小屋とトイレがあったが、近すぎてパス。皮肉なことに1時間ほどでそろそろ休憩をと思ったところへ急に便意。足早に歩きトイレを探すが、ない。雨の中、キジを撃つ適当な場所もなく、結局10キロ先の道の駅すくもまで2時間強ノンストップで必死に歩き、どうにか滑り込みセーフ。
出すものを出し、ベンチでほっと一息入れていると開店準備をしていた珊瑚グッズ店の30代半ばくらいの女性が仕事の手をとめ話しかけてきた。88カ所を車で巡拝したら願いが叶った。今月28日に日帰りバスツアーで高野山にお礼参りに行くのだとか。そしてぼくらの旅の無事を祈ってと、自店で売っているお大師さんのミニチュアに魔除けの珊瑚片がついた携帯ストラップをお接待してくれた。
車であれ歩きであれ遍路経験者はみな等しくお遍路さんにやさしくなる。氏素性を知らぬ一期一会の出会いでも同志的感情が湧いてくるから不思議である。
10時半、ホテルに到着。素泊まり二人で7500円也。延光寺までは国道56号を基本に往路と復路でルートを少し変え往復15キロ。市街地の出はずれからは長い直線道路。うんざりしながら歩く。11時半、沿道の大衆レストランに入り安いランチを食べる。
ぼくらの席の斜向かいのボックス席に若い母親が小学高学年の娘とその弟の家族三人で陣取っていた。そろってマンガ本を読んでいる。しばらくすると長椅子の母親の奧に座っていた娘が立ち上がった。読み終えて他のマンガに取り替えるつもりらしい。当然母親の前を通ると思いきや次の瞬間長椅子に土足のままで上り、母親の背後を通って床に飛び降り本棚に向かう。新しいマンガを手に戻ってくると同じく長椅子に土足で上がって元の席につく。母親は何事もなかったかのように相変わらずマンガを読みふけっている。
唖然とした。わずか15分くらいの間に繰り返すこと3度。旅の途中である。少しためらったが余りに傍若無人。このままではとんでもない大人になる。3度目に本を取って戻る時、「椅子は人が坐る所、土足は駄目でしょ」と注意。娘は立ち止まり、その場でしょげ返った。叱られた意味がわかっているのだ。謝りはしなかったが、うつむきながら今度は母親の前をすり抜け、そっと席についた。
驚いたことにこの間も母親は全くの無反応。マンガ本から顔を上げようともしない。やがて親子連れは席を立った。子供たちはぼくの視線を避ける。母親は立ち上がりざま、いかにも不愉快そうにキッとぼくを睨みつけ、レジに向かう。暗澹たる気持ちになった。
食後のコーヒーを啜りつつ硝子越しにぼんやり外をながめていたら延光寺方面からロストおじさんが歩いてくる。女房もびっくり。彼は足摺打ち戻りコースで一日早い行程のはずなのだが……。声をかけようとこっちが表に出るまでもなく店に入ってきた。縁とはそんなものだ。互いに再会を喜ぶ。あの後、途中で一日休息を取ったのだとか。
12時半、ロストおじさんと別れ店を出る。外はお昼の間に急激に気温が下がり吐く息が白い。真冬に逆戻りだ。1キロほど歩くと岐阜のお姉さんとも再会。相変わらず顔の半分が隠れる大きなマスクをしている。「寒いねぇ」と言いながらも元気そうだった。
1時半、延光寺着。境内の桜は満開。中年夫婦から写真のシャッターを頼まれ応じる。お礼に飴玉を4個いただいた。(西田久光)
2011年4月14日 AM 4:57