赤い屋根瓦の43番明石寺にて

 28日目。7時5分、ホテル出発。曇りのち晴れ。相変わらず寒い。今日は久々の3カ寺参り。宇和島市はずれの41番龍光寺、42番佛木寺。そこから歯長峠(標高480m)を越え西予市宇和町の43番明石寺へ。宿はその少し先の松屋旅館。計25キロの行程。
  大きなアーケード街だがシャッターに貸し店舗の表示が目立つ商店街を通り抜け1キロもすると市街地は終わり、県道57号の8キロ以上も続く長い長い緩やかな上り坂を歩く。途中の桜並木は美しかったが歩けども休憩できる場所はなし。1時間40分進んでようやく遍路小屋を発見。壁板のない簡単な造りだったが、長椅子の隅の小さな花瓶にかれんな洋花が活けてあり、ほっと心がなごむ。柱には『百メートル先の左側にお遍路さん用のトイレがございます』とトイレ案内の表示もある。「ちょっと行ってくるわ」と女房はさっそく利用。地元の方々の心くばり、ありがたさに涙がこぼれそうになった。
  10時8分、龍光寺着。駐車場には大型バスが2台とまっていた。嫌な予感。団体さんに巻き込まれないように急いでお参りし、納経所に向かう。
 納経所の受付が団体と個人を分けてある所はよいのだが、一つしかないとやっかいだ。個人遍路は──朱印だけが目的でお参りなしの『スタンプラリー遍路』は別にして──参拝勤行を済ませてから、その証明として納経所で納経帳・判衣・軸に墨書・朱印をいただく。ところがバス遍路のほとんどは添乗員が先達さんに従ってお参りする參加者たちと別行動を取り、参拝中に全員分の納経帳などを抱えて納経所に駆け込むのである。作法からすればこれは完全におかしい。それで、かつて本来の姿に戻すべきだという声がおこり、一時期団体遍路も参拝を済ませてから一人ひとり自分で納経することにしたら、納経所が大混乱。やむなく添乗員がまとめてやる形に戻したのだそうだ。
 お寺によっては窓口が一つでも、長時間かかる団体客の墨書・朱印の間に作法通りに勤行を済ませている個人(特に歩き遍路)を適当にはさんで融通をきかせてくれる所もある。添乗員の中にはそうした寺側の配慮に「寺にそんな権利はない!」と喰ってかかる者もあるとか。「あんたにも順番を決める権利はない!」と言い返してやったと、ある札所のおばさんが苦笑しながら明かしてくれた。
 案の定、納経所には添乗員が陣取っていたが、朱印はほぼ終わり、ドライヤーを使い必死で判衣を乾かしていた。添乗員も大変なのだ。少し待っただけで納経を終え、佛木寺をめざす。
 遍路道はお寺の横山、斜面の段々墓地の間の狭い急坂を登り、そのまま山越えで再び県道に出る。わずか2・6キロを1時間近くかかり佛木寺へ。駐車場には大型バス3台が到着したところ、乗用車も10数台。車遍路は龍光寺より多い。ここで漸く今日が春休みの日曜日と気づく。異常な寒さが続いているが暦の上では春本番。旅行社の本格的なバス遍路のシーズンが始まったのである。混雑を避けるためちょっとズルをして添乗員より先に納経所に駆け込んでからお参りした。
  次の明石寺へは10・6キロ。歯長峠を越え、峠下の歯長地蔵と巡礼の途中で倒れた『お遍路さんの墓』にお参り。その先の道引大師にも手を合わせ、3時42分明石寺に到着。ここから宿までは1キロほど。ゆったり気分でお参り。納経所には5人ほどの個人遍路が並んでいた。応対している青年僧は何だか疲れた様子。
 いわく「88カ所の中間点なので今まであまり来なかったのが、本四架橋と高速が千円になってから客がいっぱい来るようになった。今日は日曜で朝から団体も個人もいっぱい。忙しくてもう頭が朦朧。(墨書・朱印が)間違えてないか、よく確認して下さい」と。
 ぼくらは過去3度大型連休に四国を訪れている。初回・2回は渋滞なし。それが千円になった去年、琴平で800m前進に1時間、しまなみ海道でも10キロの渋滞。それまでめったに見なかった関東の車の多いこと。確かに千円の威力はすごい。お遍路で再認識させられた。    (西田久光)