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車遍路は明石寺の本来の参道を通らない。地道だがよく整備され幅も広く、森閑とした杉林の中に続く参道を歩いて下るだけで体中が浄化されてゆくようだ。時計は既に4時半を回り他に歩き遍路の姿はなく、夫婦二人だけで独占するのは申し訳ないくらいだった。
参道を下り市街地を少し行くと風情のある古い町並みに入る。前年暮れに国の伝建地区に選定されたばかりの西伊市宇和町卯之町保存地区。江戸末期から明治初期にかけての町屋群が残っている。
宿は保存地区の中の松屋旅館。間口はさほど広くないが落ち着いた和風の門構え。創業は文化元年(1804)当主は7代目。街道側の建物は築200年を超え、尾崎咢堂をはじめ後藤新平、犬飼毅、前島密、新渡戸稲造ら歴史に名を残す錚々たる傑物たちも泊まった老舗。れっきとした観光旅館であるが、お遍路は2食付き7350円也。風呂も大きく10時までOK。これなら取り敢えず汗を落とし、就寝前にもう一度入れるからありがたい。
遍路宿(民宿)はどこも風呂が一つで小さい関係から到着すると入浴をせかされる。そうしないと夕食までに人数をさばけない。それが遍路側にもわかっているから、もうちょっと湯船でゆったりしたいと思っても急いで洗い、上がるのである。それに洗濯機・乾燥機の順番もある。
しかし中にはこの常識に欠ける遍路もいるようで、ある遍路宿で聞いた笑い話のような本当の話。一人旅の若い女性遍路が風呂に入ったまま30分たっても出てこない。次々と他の客が到着し、宿の主人は気が気でない。それに貧血でも起こして倒れてはいないかと心配になって、ドア越しに声をかけると、「大丈夫で~す」と悪びれる様子もなく実に明るい返事。これには拍子抜けで「後がつかえているから早く上がって」とも言えず、もう少々待つことにしたが、40分たっても50分たっても一向に出てこない。止むなくご主人は自分の車に後着のお遍路さんたちを乗せ銭湯に走る破目になった。
当の女性遍路、風呂から出てきたのはそれから10分ほど過ぎてから。つまりたっぷり1時間の入浴だったわけだが、風呂場でお気に入りのアロマを焚いて芳香に包まれ、すっかり良い気分に浸っていたのだとか。これぞKY、状況が読めないというか、悪気がないだけによけい始末が悪い。
この日、投宿のお遍路は歩き組がぼくら夫婦と川崎さん、鳥取の初老の人の4人、車組が夫婦3組。夕食時、ひょんなことから一期一会、知らぬ同士の会話が弾む。中でも盛り上がったのは川崎さんの体験談。
学生時代から太っていて歩き遍路のトレーニングに入る前は100キロを超えていた。それが今は80キロ台、25キロの減量に成功した。別人28号になった姿で同窓会に参加したら、親しい同級生がそばに来て耳元で心配そうにささやいた。「お前ガンなのか……」。
それぐらい見事に痩せたわけだが、悩みの種は余ってしまった皮。そのうち解消されるだろうとは思ったが、念のため医師に相談した。先生いわく「若いうちならともかく一定の年齢を越したら皮膚の弛みは消えません。あなた、婆さんの垂れ下がった乳や顔のシワは元に戻らないでしょ。それと同じことですよ。どうしても気になるというなら余った皮膚を切除する整形手術しかありません」と。
これにはみんな大笑いだが、ぼくは内心ドッキリである。30過ぎからすっかり高値安定して50代は82キロ前後。これが歩きトレーニングで7キロ、本番に入り3週間で更に6・5キロ、計13・5キロ減のところで安定しているが、宇和島のホテルの風呂上がりに「嘘みたいにスリムになったけど、お腹の皮もお尻の皮も余って垂れ下がっている」と女房に笑い転げられた。彼女も10キロ近く減っているのに体質の違いか皮の弛みは目立たない。その時は「まぁ徐々に解消されてくさ」とタカを括っていたのだが、川崎さんの話で希望的観測はあっさり打ち砕かれてしまった。だけど皮の弛みは服で隠せる。『脱トド体型』の方が遥かにましと自分を慰めるしかなかった。 (西田久光)
2011年5月26日 AM 4:57