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36日目、曇りのち晴れ。いったん大西から菊間に戻り、今治市内の54番延命寺(阿方)55番南光坊(別宮町)56番泰山寺(小泉)57番栄福寺(玉川町八幡)と4カ寺をお参りし、タクシーで今治築城開町400年の2004年に開かれた第4回『高虎サミット』で泊まったことのある今治国際ホテルに移動。歩行距離は24キロで平均ペースの無理のない計画だったのだが、思わぬ敵が潜んでいた。
6時半、3月半ばにやっと新来島ドックに就職が決まり社員研修に来たという女子大生に車遍路の人たち、5人で一緒に食事。駅は目の前。女将に荷物を預けたら、菊間から戻って来たとき留守にしているかもしれないのでと保管場所を教えられ、別れ際には今治特産のシルク入りタオルハンカチをお接待で頂いた。
6時49分発、7時5分菊間駅着。お参り用具もなく完全に身ひとつで海岸線を歩く。曇り空で少し肌寒いが体は軽い。沿道には屋根や門の上に鬼瓦など火魔除けや招福の瓦製細工物を載せた家が目立つ。中には屋根のてっぺんは元より軒という軒の端々にシャチホコを載せ、ざっと数えたところ14個。通りから見えない部分も入れると20個は超えているだろう。お城だってこんなにはない。これがここのステータスか……さすが瓦文化の地域だ。
9時39分、ホテルニュースガノヤ着。女将はやはり留守だった。リュックを取り出し背負ったらズシリと重い。「女将さん鉄板1枚入れたの!」久しぶりに出ました女房の『なげきの鉄板節』。気を取り直して延命寺をめざす。
10時頃から雲は完全に消え晴天。10時40分、延命寺着。11時8分発。次の南光坊への遍路道の道標が大きく目立ちありがたい。墓地公園か、広い大谷霊園の坂を下る。墓地のあちこちに植えられたソメイヨシノが満開。その遥か向こうに見覚えのある塔のような今治国際ホテルが聳えていた。
12時10分、南光坊着。本堂が修理中で大師堂が仮本堂を兼ねていた。納経所で瓦2枚寄進。係の男性と話す。藤堂高虎知ってます?「知ってるよ。築城の名手だよ」彼を主人公にした大河ドラマ誘致運動をやってるんだけど。「そう、それは知らんなぁ。でも高虎なら今治も出るし、なったらいいねぇ」と。
12時37分発。駅前で昼食をとることにして市街地を歩くが、この頃から気温がグングン急上昇。もう20度を超えているかも。今日は4月5日、あっても不思議ではないが、奈良のお水取が終わっても異常低温で真冬並の寒さが続く毎日だっただけに体が全くついてこない。風邪でも引いたようにだるく、重い。女房ではないが全身に鉄板か鉛を仕込まれたかのようだ。
駅前の小さな食堂で昼の休憩をとったが、一向に回復しない。南光坊から泰山寺まではわずか3キロしか離れていない。いつものペースなら45分の距離だが、食堂から1キロほどのサティでまたも休憩。ソフトクリームを食べて体を冷し、20分も休む。
2時49分、もうぐったりヨレヨレで、城壁のような見事な石垣に囲まれた泰山寺着。どうにか勤行、納経を済ませると全身の力が抜けて、夫婦共々もう歩く元気なし。栄福寺までは3・1キロしかなく時間的にも十分ゆとりがあるが、とてもそんな気力はない。予定変更、今日はここで打ち止めにしタクシーで国際ホテルに向かうことにした。
このていたらくはぼくら夫婦だけかと思ったら、境内で出会った中年男性遍路も手水場で水をがぶ飲み。「急に暑くなってバテてしまった。まだ3時を少し回ったところだけど、駅前に戻ってどこかビジネスホテルをさがす」と。駅前までは2キロはある。歩いて戻ろうというだけでも凄い。
15時30分、今治国際ホテル着。入口には文化勲章彫刻家・中村晋也(三重県出身)の美神が二頭立ての馬車で疾走する躍動感あふれる作品。客室は広くバスもゆったり。別途シャワールームがあり、温泉露天風呂もある。さすが我が国造船界の雄、今治造船が海外から商談に訪れる人たちをもてなすために建てたシティホテル。バテバテの体には極楽だった。(西田久光)
2011年8月4日 AM 4:57