雲辺寺の等身大五百羅漢

  一野屋旅館。床についてから右太股に異変が起こった。筋肉というよりも、その奧の大腿骨がズキッ、ズキッと疼く感じ。痛くて眠れないというほどではないが、明朝、布団から起き上がれるのか不安になる。打ち始めてから各札所でお大師さんや御本尊に自分のことを一度もお願いしたことはない(女房も同じだと言う)が、寝床の中で初めてお大師さんに祈った。「どうか最後まで足を持たせて下さい」と。
 42日目、5時起床。違和感は残るものの疼きは消えていた。天気予報は曇り一時晴れ午後には雨。午前中に66番雲辺寺を終え下山するのが得策。6時20分、宿からタクシーで七田橋に向かい同33分、歩き始める。
  雲辺寺は讃岐国・涅槃の道場に分類されているが、所在地は実は阿波・徳島県三好市池田町。阿波・讃岐を分ける山並みの頂きにある。標高は88カ所中最高の910m、七田橋との標高差は680mある。歩き遍路のルートは3つ。遍路に人気の民宿岡田が途中にある佐野道8・6キロ、曼陀峠越え10・1キロ、境目峠越え10・8キロ。曼陀越えと境目越えは尾根づたいに雲辺寺に向かう車道の阿讃縦走コース手前、5キロ弱の地点で合流。更に3・5キロ先で縦走コースに佐野道も合流する。ぼくらは距離は一番長いが、そのぶん勾配がゆるそうで、いかにも国境を越えそうな名前も気に入って、境目峠越えルートと旅に出る前から決めていた。足に不安を抱えてしまった現状では結果的に最善の選択と言えた。
 バス停から5分も歩くと細い遍路道に入り、距離200mほどで一気に100mほど上の車道まで登る。いっぺんに汗びっしょりになったが、そこからは緩やか。両側に石垣が積まれた県境の道には愛媛県と徳島県の標識。感覚的には伊予を終え讃岐に足を踏み入れた気がするが、阿波との境目だった。県境を挟み両側に民家が少しずつ。
 じき車道に別れ林道に入る。手入れの行き届いた杉桧林の間を広い地道が緩やかに登りながら続き、歩いていて実に気持ちが良い。4キロで曼陀ルートと合流(標高520m)。更に阿讃縦走コースへ。ここは結構勾配のあるアスファルト道。雲辺寺にはロープウェイがあるため車はたまに通る程度。やがて視界が開け道の右手に徳島県の集落、左手に香川県の集落が見えた。佐野道との合流点は標高665m。これを過ぎると勾配が一層きつくなり2キロ半で245m登り、雲辺寺に9時58分着。
  境内はロープウェイで上がってきた車遍路や観光客達で大賑わい。ここで10日ぶりにロストおじさんと再会。お参り・納経を済ませたところだった。「80番に入ったらと聞いていたけど讃岐に入ったら危ない、絶対荷物から目を離すなと言われた」と言い、ぼくらのお参りの間リュック番をしてくれることになった。
 この後、軒下で一緒に早い昼食をとる。彼は今日は一気に69番まで行き土地勘のある高松で2、3日ゆっくりする予定とか。ぼくらは67番大興寺(香川県三豊市山本町)で打ち止め、近くの民宿おおひら泊まり。残り10キロの行程。69番までは更に9キロある。11時前、「結願まで残り1週間ほど、お互い頑張りましょう」とエールを交換、片手を大きく振ってロストおじさんは先に出発した。
 結局これが彼との最後の別れになった。4日目の名西旅館に同宿して以来、何度も何度も顔を合わせて、一緒に歩き、酒も酌み交わしたし、足摺岬の宿では女房の大騒動にも付き合って下さった。無名の一遍路同士として素晴らしい一期一会の出会いを頂いた。ありがとう、ロストおじさん。
 11時33分、天気予報通り雲が出てきたのでぼくらも下山。境内の端に等身大の五百羅漢群像。一体一体、表情も所作も異なり坐像、立像入り乱れて圧巻。ちょっと不気味なぐらい。
  下りの遍路道は段差の大きい丸太段が延々と続き膝に堪える。5キロで平地に下りたが、足のギヤ切り換えが上手くいかず、やけに重い。2時過ぎ、ついに雨が降り出し慌てて道端で合羽に着替え。3時前、大興寺着。ミスター53とまたまた再会した。(西田久光)