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46日目、雨。香川県は平地でも7度。異常低温が話題に。かんぽの宿から1キロ弱で81番白峯寺(標高280m、坂出市青海町)、440mの足尾大明神を経て82番根香寺(365m、高松市中山町)。再び400mに上がってから長々と下って、12キロ先の83番一宮寺(高松市一宮町)に参り高松中心部のビジネスホテル泊。24キロの道程。
7時25分発。前夜、温泉にじっくりつかりながら太股やバネ指の患部をマッサージしたりストレッチしたりしてみたが、具合は相変わらず。不安を抱えたままのお遍路だ。
白峯寺は、縁起ではお大師さんと智証大師円珍の開基とされるが、崇徳天皇の陵の隣に慰霊のため建てられた頓証寺が現在の白峯寺の原型と言われる。
思いやれ都はるかにおきつ波 立ちへだてたるこころぼそさを
(崇徳天皇御製)
平安末期、武家、源平台頭の契機のひとつとなった保元の乱(1156年)の後、讃岐国に配流され、8年後、悲嘆のうちに46歳で崩御した悲劇の天皇。
早朝、しかも氷雨そぼ降る中とあってか、境内は森閑としていた。既にお参りを終えた法螺貝さんと言葉を交わす。本堂・大師堂にお参りし、人気なく凛として厳粛な雰囲気に包まれた陵にも頭を垂れる。納経所で女房と柑橘1個ずつのお接待をいただいた。
7時58分、白峯寺発。根香寺までは遍路道3・4キロに車道1・6キロの計5キロ。前日、ミスター53が指摘した通り遍路道はかなりぬかるんで滑りやすく、今朝からの雨で更にひどくなった様子。気温も一向に上がる気配はなく、それどころか県道に合流する頃には雨が霙に変わった。
9時25分、足尾大明神で休憩。例祭の後か準備なのか、お堂には色とりどりの鮮やかな千羽鶴や花がいっぱい供えられ、広い軒下には椅子が並らんでいた。合羽姿のままその椅子に座らせて頂く。お参りしお礼に賽銭をあげさせて頂いた。
煙草を1本くゆらせている間にもしんしんと冷えてくる。霙が湿気を含んだ大粒の雪に変わった。足尾大明神の標高は440mとは言え、今日はもう4月も半ば15日である。信じられない光景だった。お大師さんから与えられた最後の試練か。とてもじっとはしておれない。3月7日の21番太龍寺以来の非常事態。一刻も早く根香寺を打ち終え下山しなくては……。雪の降りしきるなか進む。じき自販機を見つけホット・カフェオレを買って暖を取りながら急いで歩く。
10時、根香寺に着く頃には雪は再び霙に変わる。山門をくぐるといったん石段を下りて広場を進み、再び石段を上がって本堂へ。ところが正面の本堂にはそのまま真っ直ぐ行けず、長野の善光寺の戒壇くぐりにも似た上下左右まったく窓のない暗い回廊を大回りしてたどりつく仕組み。お遍路では実にいろんなお寺が体験できる。
10時23分、霙のなか下山開始。しばらく行くと県道の元来た白峯寺方面と鬼無・一宮寺方面の分岐点に法螺貝さんが立っていた。根香寺の境内にいた娘遍路が道を間違えるといけないので待っているという。確かにちょっと分かりにくい。ぼくらはお先に失礼させて頂くことにした。100mほど下ると霙は雨になり、更に九十九折りの県道を遍路道で短絡する頃には寒さが和らいでやれやれ。
高松市鬼無町の家並みに下り、12時7分、駐車場の壁面に大書された山頭火の『あるがまま雑草として芽をふく』の句に惹かれ、民芸調の囲炉裏空間・善に入る。合羽を脱ぎカウンターで女房はうどん、ぼくは焼き飯。更に肉じゃが、タケノコ。ママから珍しい養殖タニシの串をお接待。1時間休ませて頂いて体がすっかり暖まり元気回復。外に出ると雨が上がっていた。
ここまでが5キロ、一宮寺まではまだ7キロ。じき3年前から区切り打ちという大阪の中年女性と同行。しゃべりながら歩いているうちにどうも想定していたルートと違う遠回りのルートに入ってしまったらしく住宅地の間を何度も何度も細かく曲がりウンザリ。一宮寺に着いた時は3時を回っていた。
(西田久光)
2011年10月27日 AM 4:57