87番札所長尾寺の大師堂相輪

87番長尾寺(さぬき市長尾)から結願寺の88番大窪寺に向かうには分岐合流で5ルートあるが、大別すると標高774mの女体山越えと410mの花折峠越えの旧遍路道の二つ。距離は旧遍路道の方が3キロほど長い。ぼくらは足に不安を抱え険しい女体山越えを避けた方が無難なこと。もう一つ、翌日朝一番の静かな境内で結願を迎えたいとの思いもあり、旧遍路道を行き、大窪寺手前3キロの温泉旅館竹屋敷に泊まることにした。道程は20キロ弱。
  48日目、前夜の天気予報では曇り、ところにより雨が残り、午後晴れだったが早朝から嘘のような快晴。部屋の窓を開けると、志度湾の向こうに頂上部分だけがビョコンと空に出っ張った八栗山、その左隣に台形の屋島が、柔らかな朝の光を浴びて並んでいた。両山とも結構高い。雨の中、急坂に耐えてくれた脚に改めて感謝だ。
  昼のおにぎり弁当を頂き7時6分発。志度寺門前で一礼して長尾寺をめざす。距離は7キロ、平坦な、ほとんどが車道。歩き始めてすぐ小柄なおじさんと東京からの中年女性遍路と一緒になる。この人もリピーター。3月12日から打ち始めたというから相当早い。途中、自販機でコーヒーを買っている間に二人に置いていかれた。
  9時着。長尾寺は真ん中にドーンと何もない空間。その片側に本堂と大師堂が並び反対側に納経所やトイレ。余りにも真ん中がぽっかり空き過ぎてちょっと間が抜け見える。恐らく火災か何かで真ん中にあったお堂を喪失したのかと思ったのはぼくの大きな勘違いだった。いつだったか、男たちが巨大な鏡餅を抱えて境内を走る神事をテレビで見たことがあるが、それがこの長尾寺。鏡餅運びを行うための空間なのだ。
 中年女性も小柄なおじさんの姿もない。素早くお参りを済ませもう大窪寺に向かったようだ。ぼくらは峠越えがあるとはいえ、長尾寺を終えれば後は12キロ強先の温泉宿・竹屋敷に向かうのみ。時間はたっぷりある。納経を終え、改めて納経所そばに並べてあったベンチに腰を下ろし、お堂と向き合ってみる。
 本堂も堂々として美しいが、それ以上に大師堂は何とも言えない座りの良さでゆったりとした美しさがある。ゆるやかな曲線を描きながらせりあがる屋根瓦の頂点から、雲ひとつない真っ青な空を指して凛々しく伸びる相輪……お堂の緩と相輪の急。緩急相まって青空に向かい天上的な音楽を奏でているようだ。光明真言の世界を体感した三角寺とはまた違った、溜め息の出そうな光景が眼の前にあった。
 48日の間、別格や番外も入れ優に100カ寺を超えるお寺を見てきた。が、昨日道の駅源平の里であった男性遍路ではないが、気が急いてどうしても先を急ぎ一つひとつのお寺をじっくり味わってきたとはとても言えない。もっとゆっくりと、土佐で血豆の治療法を教えて下さった奈良のご夫婦のように平均20キロ、60日ぐらいの設定の方がよかったのではないか……87番札所まで来て後悔してみても後の祭りである。この至福のひとときは、お大師さんからのご褒美だと思うことにした。お礼に堂宇修理の瓦を寄進させて頂いた。
 出発前にトイレに行く。窃盗注意の張り紙。納経所で聞くと稀にお軸などを盗られる人がいるとか。
 道はゆるやかに上り11時前、ダム湖畔の前山おへんろ交流サロン着。お茶のお接待、そして館長さんから『貴方は四国八十八ケ所歩き遍路約1200㎞を完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します』と書かれた四国八十八ケ所遍路大使任命書を頂く。ぼくが1991号、女房が1992号だった。
 館内のお遍路資料展示室は江戸期からの様々な史料が展示され圧巻。ボタンを押すと各札所のランプが点く四国のジオラマは道程がよくわかって結構楽しい。
 この後、車遍路で賑わう向かいの道の駅の休憩室で弁当を広げたが、寒くてじき日なたに場所を移す。
 1時発。少し戻って旧遍路道へ。花折峠越えの道は今は余り通らないのか人跡に乏しい。急峻な山の斜面を一気に上り尾根伝いに小刻みに急なアップダウンを繰り返す。所によっては幅20㎝ほどの崖道。女体山越えだけでなく、こっちも最後の遍路転がしだ。3時54分、敷地のあちこちに名残りの桜が咲く宿に到着。男女両風呂ともぼくらが一番風呂だった。(西田久光)