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私は、イスラエルに行くと、必ず案内する場所がある。ガリラヤ地方の北部、テルハイの開拓村の跡である。
わが師、糸川英夫が一人でも多くの日本人に見てもらいたいと願った地であり、一人の英雄の物語を私は語り伝えている。
1880年ロシアに生まれたユダヤ人、ヨセフ・トゥルンペルドールはロシアの兵士に志願した。自分が勇敢に戦うことで、迫害されていたユダヤ人の地位が少しでも向上することを願ったからだ。彼は、日露戦争の最前線、旅順で乃木大将率いる日本軍と戦い、左腕を根元から失った。片手で戦ったが、旅順陥落とともに捕虜として日本に送られた。
トゥルンペルドール、25歳の時だった。
大阪は高師浜に捕虜収容所があり、3万人のロシア兵が収容されていた。当時の高師村の人口は3千人。
この収容所では、強制労働もなく、食事も美味しく、わずかながらも小遣いまで支給されていたという。
当時の日本は、貧しかったけれども国際法に従い、捕虜たちに最大限の待遇を与えた。
日本人は、戦いが済めば、「昨日の敵は、今日の友」という武士道精神で生きていたから、ロシア人に対しても尊敬を持ってつきあったのである。
1年間この収容所に暮らすうちに、トゥルンペルドールは、なぜ日本のような小さな島国があの強大なロシアに勝ったのか、その答えを見つけたのだった。
それは、日本人が規律正しく、勤勉で、互いに私欲を捨てて公のために協力する、愛国心の高い素晴らしい民族であるという事実である。敵の捕虜に対しても、これほどまでに親切に接する徳の高さに驚かされたのだ。
彼は、覚えたての日本語で、若い看守に「どうして日本は、これほどまでに強いのですか?」と尋ねた。すると、若者は答えた。
「国のために死ぬことほど名誉なことはありませんから」
この言葉がトゥルンペルドールの生涯を決定づけた。
「祖国を持たないユダヤ人は、この日本のような素晴らしい国を建国しなければならない」
彼はロシアに戻り、農業と法律を学んだ後、約束の地、シオンへ向かった。そして、ガリラヤの北部、テルハイの村で片手で農業をし、開拓村を守り、広げていったのだ。
イスラエル開拓の父、トゥルンペルドールはアラブ人の襲撃によって死んだ。
彼の最後の言葉は「私に構うな。祖国のために死ぬことは、良きことだから」
享年40歳だった。
日本で打ち込まれたヤマト魂がユダヤの開拓精神に火をつけ、イスラエル建国の英雄となっていったことを、私たち日本人は知らなければならない。
彼の死後、イスラエルは建国された。2千年も国がなかったイスラエル国は、わずか60数年のうちに見事なまでに砂漠を緑化して自給自足と持続可能なコミュニティ国家を築き上げ、そして、国民には国家の一員としての確固たる国民的アイデンティティを構築している。
これほどまで国家、国民として自立している国は他にはないだろう。
一方で、この同じ60数年間で2千年以上も歴史のある日本は、一体どうなってしまったのか。
100%あった自給率は3分の1近くまで低下し、祖国の歴史も知らず自国に対する愛情も失い、大和魂を抜かれて完全に骨抜きの依存国家となっている。
今年もこの地を訪ねると、真の愛国者、糸川英夫の声が聞こえた。
「ここを一人でも多くの日本人に見せたいのです。日本とイスラエルが手をつないで、やがて世界が平和へと導かれてゆくのですから」
魚に水が見えないように、日本が見えない日本人。
悲しい嘘ばかり伝えるニュースを捨てて、真実の情報を受ける心の扉を開く大切な時がきている。
(赤塚建設㈱社長)
2014年10月2日 AM 4:59
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