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伊勢鉄道の線路をくぐると河芸町高佐。河芸という言葉を聞くと、大抵の人がイメージするのは海だと思う。無論、私自身もそうだ。だから、あえて海から離れれたところから回ってみようと思った次第である。
辺り一面に広がる田園地帯を進む道路。住宅の脇に「高佐遺跡・石斧出土跡」と書かれた木製の碑が立っている。帰ってから、目を通した河芸町史によると、ここは弥生時代中期の遺跡で石斧や土師器、陶器が発見されているそうだ。また、すぐ近くにも遺跡があるらしいが、今では見渡す限りの農地。そんなことも知らず、気持ちよく走っている時は何も感じなかったが、知らず知らずの内に太古との邂逅を果たしていたようだ。
田植えが終わったばかりの水田に囲まれた道を北へ走っていく。まだ幼い稲葉は柔らかい日差しを浴びながら、この瞬間も成長を続けている。この周辺の黒田地域で採れる米は、その品質の高さから古くから黒田米として知られている。毎年2月には500年以上前から続くと言われる伝統行事である津市民俗無形文化財「世だめし粥占い」が行われ、その年の稲作の豊凶を仏に問うと共に、住民の無病息災などを祈っている。大地と水の恵みで生命を育み、感謝の気持ちを持って自らの命を繋ぐ糧とする。昨今忘れさられようとしている日本人本来のライフサイクルがここでは生きていることを実感する。
その後、田園を抜け、河芸町赤部の集落に入る。この辺りには取材でも余りお邪魔をしたことがなく、道幅も余り広くないため、土地勘のない人間が車で動き回るのは得策でない。前々から散策してみたいと思っていたので非常に楽しみにしていた。何事もない地域の日常をインプットしておくことで、できる。
やがて、集落の外れへ抜ける道に沿って走っていくと、古びた鳥居が見えていくる。恥ずかしながら、こんなところに神社があるのは知らなかった。鳥居の前にある石柱は、すっかり風化しており、神社の名前が分からない。そこで、リュックサックからスマートフォンを取り出し、地図サイトを開いたところ、八雲神社という名前であることが分かった。白塚町や河芸町一色にも同名の神社がありそれぞれが裸の男たちが勇壮に練り歩く「やぶねり」と「ざるやぶり」という神事で知られる。
八雲という名が意味するのは神仏習合中で同一視されていた素戔嗚命と牛頭天王を祀る京都の八坂神社を筆頭とする祇園信仰の神社だということ。明治の神仏分離で両神は切り離されたものの、この神社がある場所の字は天王前であることからもそのことが分かる。
前述した二つの同じ名前の神社と比べると、知名度は劣るかもしれないが、地域で生まれた人たちを見守り続けてきた立派な産土神である。
鳥居の前に自転車を停め、境内に歩みいると古びた小さな社が見えてきた。神前まで進み、目を閉じて道中の安全を祈願する。訪れる人が少なければ、神様への願いも届き易かろうと少しばかりの邪念を抱いていたことは、神様には容易く看破されていたに違いない。(本紙報道部長・麻生純矢)
2015年9月17日 AM 4:55
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