2016年4月

リリアン額縁展の出品作品

リリアン額縁展の出品作品

津市美里町北長野の美里ふるさと資料館で5月1日日~6月末までの9時~16時、同市小舟の小山貞介さん(71)が、「リリアン額縁展」を開く。月曜休館。
リリアン額縁は、小山さんが考案したもので、型紙となる円形の厚紙の周囲を切ってギザギザにし、その角々にほどいて糸状にしたリリアンを巻きつける。
今回は、リリアン額縁と伊勢型紙がコラボした作品を展示する。
抽選に当たると作品を持ち帰ることができる。なお会場に、熊本地震の義援金募金箱を設置する。
問い合わせは同資料館☎059・279・3501へ。

(前号からの続き)
北緯31度47分、東経135度5分にあったアメリカ第38任務部隊所属の航空母艦「ハンコック」からH・G・オーデンブレット大尉が率いるVBF─6、第6爆撃戦闘飛行隊所属の16機の「F4U コルセア」戦闘爆撃機が午前4時53分に発進した。三重県の陸軍明野飛行場を攻撃するのが主任務だった。
それぞれの「コルセア」は4発のHVAR空対地ロケット弾、6挺の12・7ミリ機銃と1発の500ポンド汎用爆弾を搭載していた。6時15分に尾鷲上空に到達。途中1機がエンジン不調のため母艦に引き返した。
明野飛行場に向かう途中、数機の国籍不明機が低空で飛行していたので、無線で呼びかけてみた結果、全機友軍機だと判った。また2件の救難信号が入った。1つは編隊から非常に遅れるというものだった。もう1件は尾鷲近くでガソリン不足をきたしているというものだった。
この掃討作戦は海岸線に沿って飛行して、「潜水母艦 駒橋」、「第45号海防艦」、「第14駆潜艇」や「特別駆潜艇」と「第2京仁丸」と「第18播州丸」と数艘の帆船を尾鷲湾内に発見した。
直ちに攻撃態勢に入った。午前8時になって、尾鷲市民に「総員避難」の指示がでた。この指示よりも早く多くの市民は市内のあちこちに掘られていた防空壕に避難していた。
自宅の「簡易式防空壕」に避難する市民もいた。命からがら裏山に逃れる市民もいた。このことは引本や須賀利地区でも同じだった。大きな防空壕は男、婦人がスコップやツルハシで土を削りトンネルを掘り、モッコを使って土砂を外に運び出した。人力だけで手堀して造ったのだ。
米軍戦闘機の旋回進入経路は尾鷲湾から右に飛行し、引本裏あたり上空で左旋回、天狗倉山(522メートル)の西裏側を迂回して馬越峠と便石山(598メートル)の間の一番低いところから左旋回して山林すれすれに飛行し、小久兵衛谷の上空で急上昇してから急降下に移り、尾鷲湾内の日本軍艦艇に攻撃し続けた。
また尾鷲湾口で左に旋回して尾鷲港の艦艇や右に旋回して須賀利の「第26掃海隊」の船舶を攻撃。艦艇のマストの少し上を超低空で飛行する戦闘機もあった。
この攻撃は爆弾の投下、ロケット弾の発射、機銃掃射をこれらの艦艇に対して行った。攻撃後、戦闘機はすぐさま急上昇した。
第1撃は急降下爆撃だった。引き続いて、低空から艦船を目がけてのロケット弾の発射や集中的な機銃掃射を行った。
「駒橋」に水柱を上げながら機銃弾が一直線になって飛んで来るのが見えた。「駒橋」の艦橋にある聴音機〔水測〕部屋連絡員だった北村功男〔当時17歳〕は次のように証言する。
「『駒橋』の艦橋でK君と私は第1撃のロケット弾と機銃攻撃で、K君は右肩付け根と左足付け根に着銃弾貫通の重傷、止血の応急の方法とて無く失血多量の為、2時間後『お母さん』と一言洩らして息絶えたのです。ロケット弾の直撃を受けた水測室(聴音機室)は配置当直者全員即死の惨憺たる修羅場と化し、誰が誰だれやら判らない地獄になっていました」。
「第45号海防艦」は残存の対空火力を持って全力で反撃した。左舷艦橋下よりの浸水がますます激しくなり、今後の戦闘および航行に支障を生じることが案じられ、捨錨の準備を始めた。 該泊地は、西山側より降下攻撃をしてくる針路に対して艦尾を向け、味方の対空火力の使用も制限されることとなった。7時50分、捨錨の上、出航。直接操舵にて航行する。8時、6機の「コルセア」が120度より急降下。前部甲板にロケット弾が命中した。
8時15分 湾内古里海岸に坐洲する。艦長を除く、重傷者および戦死者を揚陸する。以後9時20分まで約10分間隔で5回にわたり延べ19機の攻撃を受けた。
この攻撃により船体、左舷甲板および外板が大破した。機械室前方は浸水のため自力は勿論、曳航も不能となった。

須賀利に停泊していた「第1京仁丸」にも機銃弾集中的に撃ち込まれた。爆弾の直撃を受けて爆発炎上した。そのことにより近くに停泊していた「第10昭和丸」も炎上しだした。
この攻撃の最中に尾鷲湾から須賀利に逃れようとしていた「第18播州丸」が500ポンド爆弾の至近弾を受け大破。その後に須賀利に沈没。「第2京仁丸」は弁財島東側で満身創痍ながら沈没を免れていた。
「日本軍のあらゆる種類の対空砲火ならびに海岸からの砲火は大して激しくなくまずまずで、あまり正確ではなかった」と午前9時15分に任務完了後、報告されている。
北緯31度47分、東経135度5分にあったアメリカ海軍航空母艦「ハンコック」から午前4時45分、R・W・シューマン・ジュニア少佐が率いるVF─6、第6戦闘飛行隊の4機の「グラマン F6F─5ヘルキャット戦闘機」が発進した。
7時45分に尾鷲に近づき「スキャバード・フイシュ」の上空をパトロール飛行していた時に、シューマン少佐は尾鷲湾に2名の英国軍パイロットが救命ボートに入って浮かんでいるのを発見。潜水艦に2名を湾外で救助するように指示を出した。救助は実に見事に成功した。午前8時頃救助任務は完了した。

救助活動をしている間に、R・L・ナウハーホー大尉とJ・L・バトル少尉機は、この活動を日本軍が妨げないように、日本軍艦艇に機銃掃射を加え続けた。「ハンコック」に帰艦する前に「第45号海防艦」に4機の「ヘルキャット」がAN─M─2ブローニング12・7ミリ機関銃を掃射した。この機銃は装甲弾、焼夷弾、曳光弾、通常弾を1組にして連射する。貫通力は距離200メートルで装甲弾は2・5ミリの鉄板を貫通、通常弾は5センチのコンクリートを貫通する威力がある。
機銃弾が標的に集束する距離は200メートル。低空での機銃掃射時間は平均1秒。また20ミリ機関砲弾およびロケット弾を撃ち込んだ。さらに「駒橋」に対して別の2機の「ヘルキャト」がHVAR空対地ロケット弾を打ち込んだ。
(次号に続く)

昨年の演目「通小町」

昨年の演目「通小町」

能は長い歴史を持つ我が国独自の芸能で、文化・音楽・演劇とも密接な関係を持つ奥の深い総合芸術。春の夜のひととき、幽玄の世界を楽しんでみませんか! 津市は4月30日(土)18時から、津市丸之内のお城公園特設舞台で、新津市誕生十周年「津市民薪能」を開く(雨天の場合は津センターパレス2階の津中央公民館ホール)。観覧無料。
演目は能「東岸居士」、狂言「しびり」ほか。演者は長田驍氏(喜多流)ほか。
問い合わせは津市文化振興課☎059・229・3250。

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