最近いろんな学校の子どもたちと接する機会を得ています。学校や学年が違う子どもたちなので、それぞれの学校の「文化」もわかりますし、先生たちの「教え方」や「評価の仕方」などの違いもわかります。
ある子どもが「十人十色」の読み方を「じゅうにんじゅっしょく」と言っていましたので、「じゅうにんといろ」と読んで、十人の人がいればそれぞれ好きな色や好きな食べ物が違ったりするという意味だよ、と説明しました。ついでに、「先生の教え方や丸の付け方もみんな違うんだよ。学校によっても違うし、先生によっても違う。でも…」
「でも」なんでしょう。だいたいの学校や先生は、自分たちが自由に考えたことを、子どもたちには「それをみんなに守って欲しい」と思っているみたいだね。塾でも、型通りに同じことをやってそれに合う子どもを大切にしているところもあるようだし。
こんな余計なことを言ってしまいましたが、その場にいた子どもたちの全員が、「そうだよ。なんでもいつでも、同じような答えや同じような行動を子どもにさせようと先生はしてくる」と異口同音に言うのには、あらためて苦笑せざるを得ませんでした。
学校や塾やそこの先生が「期待する子どもの姿」は画一的になりがちです。それを改革しようというのが、今回始まっている教育改革なのですが、まだまだ先生たちにも保護者の方々にも理解されていないようで「どうせ結局は何も変わらないのでしょう」という疑心暗鬼的な受け止めをしている人も少なくないようです。前にも述べましたように、学校でも塾でも、過保護的なワーク学習をさせて業者の方々の在庫を減らすことに加担しているところもまだ多く見られます。計算や漢字のドリルの専用のノートを子どもたちが使わせられているのを見ると、本当に残念だと思われます。その一方で、特に職業高校や塾などでは、教育改革への対策をきちんと始めています。中でも塾は、少子化のなかで「生き残り」をしなければなりませんから、教育改革が具体的になったときに「豹変」するのだと予想しています。心配なのは今現在、これまでのやり方で学校や塾で学んでいる子どもたちが教育改革と直面したとき、対策がうまくできないことを、いったい誰が責任を取るのかということです。たぶん、自己責任ということで、子ども本人やその保護者の方々が、また辛い思いをさせられるのではないでしょうか。一方で、東京オリンピックの頃に学校や塾で学ぶ子どもたちは、今よりはずっと改革に即した教育環境に入れるでしょう。
当面は、学校や塾という組織としての「特色」作りが目立っています。それも、幼稚園や保育園に通う年齢を中心として、盛んになっているようです。英語やパソコンを積極的に取り入れたり、アクティブ・ラーニングになじめる環境や教材・教具、教育方法を取り入れたり、新聞広告やチラシを見ていると、あれこれと「特色」が打ち出されています。それを眺めながら、「今度はこの特色を子どもたちのみんなに押し付けて、結局は、画一的にならなければいいな」と思ったりもさせられます。
ある学校では、今年から系統性を明確にしながら「体験学習」を始めました。体験学習のあと、その学校ではグループで体験から学んだことを「報告」するための時間を組み込んでいます。まさにアクティブ・ラーニングなのですが、「体験学習」そのものは既に多くの学校が取り入れていることなので、今頃始めるのは遅いのは確かです。けれども、「とりあえずやればいい」という水準ではなく、他の授業との関連や学年の積み上げまできちんと計画した上での取り組みですから教育改革の具体的な実践例の一つとなるでしょう。
ある子どもは、「現場学習(社会見学)」のあとに、ノートの見開き二ページを使って自分なりに工夫してまとめる、という課題を出されていました。聞いてみると、その学年ではその学級だけの取り組みであるという答えでした。幸いにも、その子はそういうことが好きな子どもなので、作る過程を見ているだけでわくわくさせられました。そして出来上がりを見せてくれたので、「これがこれから高校や大学でどんどん取り入れられる勉強の仕方なんだよ。君のように、楽しくできて、しかも、あちこちに見える君の工夫が、これからの学力になるのだよ」と言いますと、その子は「こういう勉強は好きだ」と将来が楽しみになる答えでした。ふだんの「宿題」の出し方が「気まぐれ」に見えるその子の先生ですが、この課題は、使うページを限定したところがとてもよいところです。
子どもの「十人十色」を大切にする教育改革が始まっているなかで、この先生のように、自身が「十人十色」の発想を持つ、ということはステキなことです。あとはこの先生が、「十人十色」の子どもたちのノートを、どのように評価するか、その妥当性と柔軟性が、このアクティブ・ラーニングの価値を左右します。 (伊東教育研究所)