2017年6月

「津の街」での公開収録の様子…右から3人目が亀谷さん、2人目が岡村さん

「津の街」での公開収録の様子…右から3人目が亀谷さん、2人目が岡村さん

全国各地に急速に放送局を増やしているインターネットラジオ局「ホンマルラジオ」の公開収録が、今月10日・24日、津市久居元町にあるハワイアンカフェなどの店「クーリア イ カ ヌゥ」・同市一身田平野の特別養護老人ホーム「津の街」で行われた。
「ホンマルラジオ」は、「本気の人が本気でしゃべる本気まるだしラジオ局」の略。インターネット関連事業を行う「㈱なんぼでも」=本社・大阪府=が運営している。
放送局は2015年に愛媛で初めて開局し、現在、東京・名古屋・大阪など全国15カ所にある。今月4日には、四日市市で三重局が第11局目として開局した。
番組は1回約30分。一般から募集したパーソナリティーが、ゲストと様々なテーマでトークし、各局共通のホームページで配信されている。
今回、公開収録されたのは、何れも三重県出身のパーソナリティー・「はるぽん」こと亀谷晴美さんと、「リンダちゃん」こと岡村育美さんによる、名古屋局の番組「『はるぽん』と『リンダちゃん』のあなたにスポットライト~♪」。
亀谷さんは、バスガイドや、葬儀の司会の仕事を経て2011年、葬儀に司会・アシスタントを派遣する「オフィスSEIZYU」=松阪市=を設立。
この本業の傍ら、ボランティア活動として、音楽療法士である岡村さんらとともに津や松阪市などの高齢者施設を訪れ、朗読と音楽演奏を披露している。
そして今春から2人でパーソナリティーの活動も開始。「クーリア イ カヌゥ」の公開収録では、ライブの前座として、「唄う整体師」こと磯田一弥さんと対談した。また「津の街」では同施設職員も収録に参加したほか、2人とその仲間が音楽演奏などを行った。
亀谷さんと岡村さんは、「収録では、ゲストの気持ちを大事にしながらリスナーにより伝わるような番組作りを心がけています。ホンマルラジオを通じて人脈を広げ、本業の幅や、ボランティア活動で訪問する施設の幅を広げたいです」と話している。
ホームページは「ホンマルラジオ」で検索。

私は教員時代に子どもを一人、私のせいで不登校にしてしまいました。私自身が、その子が不登校になったのではないかと気づいたのと、その報告が早かったためか、校長も教育委員会も専門の方からも、私は厳しく責任を問われることはありませんでした。「この子の場合は不登校状態から戻るまでに五、六年はかかるだろう」と言われました。そのような関係方面との面談をした保護者の方からも、私は厳しく責任を問われることもありませんでした。それでも私は、自分自身が許せずに、ものすごく反省し、できる限りのことをしようと思いました。
不登校のきっかけになったのは私の一言です。二学期の始業式に行く時に、少しだらけている様に見えたので「もう休みが終わったのだからしっかりしないといけない」とその子に声をかけました。全員出席だったはずなのに、体育館で人数が一人減っていることに気づいたので、子ども達に尋ねたら、私が注意した子が保健室に行ったという事を知りました。ベッドで寝ているその子に、「疲れていたのか。それなら今日は休んで明日からだな」と声をかけて家に帰しました。
その子は翌日に欠席、その翌日も欠席でした。家庭訪問に行くと、お母さんが「よくわからないですが、そのうち行くでしょう。クラスも先生も好きな子ですから」と言われました。
夏休みの宿題に、五日分の日記を出していました。普段から日記は、たった一行でもいいと、毎日の宿題にしていました。それをその日のうちに読んで、コメントを書いて、その日に返します。担任した学級では必ずやっていた事で、人数はいつも三十五人以上でしたが、そのおかげで学級や学校や授業や友だち関係など、色んな事をほとんどリアルタイムで知ることができていました。そのような日記を、四十日ほどの夏休みに五日と言うのは、普段からすれば、とても少ないのですが、中には二十日分ぐらい書いて来る子どもも少なくありませんでした。
それを読み始めているとき、うっかりと欠席し始めた子の日記を読むのが後回しになっていました。家庭訪問をした日にその子の日記を読もうとしたら、二冊もあって、夏休みになった日から終る日まで、毎日びっしりと書かれていました。それも長いものは一日で数ページ、しかも夏休みの後半からどんどんと長くなり、始業式が来るのを毎日楽しみにしている気持ちが綴られていました。読み終わった時、その子がやっと始業式の日を迎えた気持ちと、それを知らずにいた私の意識の大きなズレをはっきりと知りました。私は知らないうちに、その子の期待を裏切っただけでなく、「しっかりしなさい」と注意までしてしまっていたのです。薄暗くなった教室で、その子の日記を手にしながら、始業式の自分の態度と日記を読んでいなかった事をものすごく後悔しました。
その子が、私の始業式でのそっけない態度に、非常にがっかりしたのが痛いほどわかりました。そしてこの欠席は長引く可能性がある、と思いました。それで自分の反省もあって校長への報告が早くできたのです。それから、不登校であると公的に認められるようになる前も、その後も家庭訪問を続けました。その子は出て来てくれませんが、お母さんとお会いして帰りました。その子にもお母さんにも負担にならないようにする事だけはいつも配慮しました。悪いのは私ですから、ただそれを伝えるために行っていました。
私のほかに、その子の家の近くの子ども達も毎日行っていました。私は誰かが欠席すると、近くの子どもに連絡を持って行かせるようにしていました。最初の頃は近くの子ども達に明日の予定や学級の様子を伝えるように頼んでいたのです。近所の子ども達は当然のように行ってくれていましたが、日にちを重ねるうちに、その子達の負担の事も心配になってきました。そんな頃に、学級の子ども達の中から、いつも同じ子達だけが行っていていいのか、と声が上がりました。自分が行きたい、と男女関係なく言うのです。
それから、毎日、決まった子どもではなく誰かが行くようになりました。結局、一度も行かなかった子は一人もいません。班や座席の移動、係活動や掃除当番の交代、学級の休み時間の活動や学校行事、そして宿題などの情報を伝えるために、その子との関係にかかわらず、毎日、誰かが行ったのです。誰が行くかは、毎日立候補がありました。子ども達に、私は、無理に会わないでもいい、無理をしなくていい、と毎日言っていました。
しばらくして、放課後の運動場に、不登校の子と学級の子ども達が遊ぶ姿が見られるようになり、やがて、授業時間中に保健室まで来るようになりました。が、子ども達から「先生は来るな」と言われたので遠くから見守りました。一方、家庭訪問では、その子と話せるようになり、宿題や日記が朝には届くようにもなりました。
学年が変わる時、私の予想に反して校長は学級と担任をそのままにしました。恐る恐る不登校の子にそれを伝えると、その子もお母さんも「よかった」と言ってくれたので、そのような要望が出されていたのかと、今これを書きながら思います。とにかくその時は、責任を取れと校長から命じられたと受け止めました。
その子が不登校になってから一年たった日の朝、教室に入った瞬間に空席がない、と気づきました。それでも知らない顔を装っていると、「いつまでそうやってるつもりか」という声がしました。声の方を見ると、不登校になった子の笑顔がそこにありました。私の顔を見ている学級全員の顔が、見たこともない笑顔です。「ちょっと行ってくる」と言って、校長に報告に行くと、校長も見た事もない笑顔になりました。その日からその子は一日も休まず、「休んでいた分をとりかえしてやる」と毎日元気いっぱいでした。学級の絆もいっそう、強くなりました。
不登校にした子にも学級の子ども達にも私は救われました。全員がそろうようになるとたくさんの保護者の方々からも「よかった」と声をいただきました。
教師は支えられているとつくづく思います。
(伊東教育研究所)

昨年の展覧会会場の様子

昨年の展覧会会場の様子

松阪市肥留町30─1のアートと珈琲のお店「coma」で昨日28日(水)~7月9日(日)まで、初夏にアートを鑑賞しながら涼しく過ごすための展覧会『cоmaで過ごす、涼むアート』が催されている。
出展者は三重出身・在住の30代・40代の作家で、次の11名(敬称略)──植野 のぞみ、大西佐奈、大山展弘、下村雄三、畠知良、林 康貴、樋口萌、平松典子、森田佳奈、宮崎愛子、Casian Stera。
◆会期中の企画は ▼涼しい朝に庭でパンと珈琲を(要予約、参加費400円)=7月1日(土)6時半~7時半。※雨天の場合は7月8日(土)に順延。
▼会期中は無料のミニかき氷を用意している。
▼今年も来場者の数だけ旗を掲げるイベントを実施。今回は青色の旗。
問い合わせ・予約はcoma☎0598・56・1270へ。営業時間は10時~17時。月・火定休。

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