夏の朝はセミの声で始まる。目覚まし時計の鳴る前から、窓の外で大合唱するのはクマゼミだ。いったいどれぐらいの音量か騒音測定したいぐらい。
おかげでテレビの音も聞きにくい。「ひよっこ」のセリフが聞き取れなくてテレビの音量を上げながら、茨城弁になじみがないからかしらんと考える。こんなに聞き取れないのはクマゼミのせいでなく、難聴かと少し不安になる。老人性難聴は四十代から始まるというから私には十分に可能性があるのだ。
セミにもいろいろいるけれど、今年はクマゼミの声ばかり。私が子どもの頃たくさんいたニイニイゼミは、息子が小さい頃たくさんいたアブラゼミはどこへ行っただろう。夏の終わりのツクツクボウシやミンミンゼミの声も近年は聞いていない。
温暖化や都市化によって、多様性が失われているのだろうか。強いものが生き残る、自然淘汰の結果としたら、クマゼミの大合唱も仕方のないことかもしれないが。
ところで、あの「アリとキリギリス」の寓話は「アリとセミ」だったと聞いた。北ヨーロッパにはセミがいなくて、ギリシャから話が伝わる過程でキリギリスと翻訳されたという。夏中鳴いて蓄えもしないというなら、キリギリスよりセミの方がしっくりくる。鳴いてばかりいないで蓄えなさいとクマゼミに言ってやろうか。     (舞)