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(前号からの続き)
◆新しい親分であるイエス様に弟子入り
人間を超えた神の働きを、有限な人間の理性や経験を基にしては理解は困難である。例えば、三位一体の神、処女降誕、復活など、信じにくいのは当然である。しかし信じれば、罪が赦され、心は新しく造りかえられ、永遠のいのちが与えられ、人生が新しくされる。
これを新生の恵という。どんな極悪人であっても自分の罪を認めてこれを告白してイエスキリストを自分の救い主として心に迎えるならば新しくされる。これが福音(エバンゲリオン)である。
その昔、熱心なユダヤ教徒で、キリスト教会の大迫害者であったパウロが、ダマスコ途上で、キリストから語りかけられ、キリストに捕らえられて人生が180度大逆転したが、今の時代、聖霊なる神(三位一体の第三位格の神)が、神のみことばである聖書を通して進藤師に語って下さったのである。今も昔も原理的には同じである。
ある日、彼は保護司会の講演会で同席した警察関係者から「なぜ、キリスト教を信じたのですか?」と尋ねられ、「神にかけてみたからです」と答えた。
パンセの中のパスカルの賭けのように、神にかけたのである。イエス様という新しい親分にかけたのである。
◆出所後、神学校での学びを修め、教会を開く
出所後、彼は母に三つ指をついて畳に額をこすりながら今までの親不孝を謝罪した。「あなたの息子であることに感謝しています」と告げた。母は一体自分の息子に何が起ったのだろうという顔つきをした。
そして働きながら神学校での学びを修め、「罪人の友」主イエスキリスト教会を開き、刑務所伝道も始めた。
◆無期懲役囚Mさんのこと
現在、彼と文通している人に無期懲役囚のMさんがいる。Mさんは子供の頃から親に虐待を受け、大きくなると非行に走った。彼が犯した罪は殺人だった。家族との関係も絶えており、本当に孤独な人だった。以下Mさんからの手紙である。
「(前略)先生、私は最近明るくなったね。とよく人に言われます。○○先生やCさん達と出会えて今まで私の心の中にあった孤独という不安が軽くなり、今や先生やCさんとこうやって手紙のやりとりをできる楽しみもでき、毎週安心して受刑生活に専念することができるのです。
先生、安心ってこんなにいいものなんですね。初めて知りました。先生、私はもう二度と悪いことはしません!
イエス様の十字架によって赦され、生まれ変わった私の新しい人生、今度こそ大切にしたいと心から願っています。(中略)それと先生から頂いた聖書ですが、新約は全部読み終え、今は旧約に入りました。
先生、〝愛〟とは本当にすばらしい力ですね。
本に書いてあった言葉ですが、『愛するというのは、他者のために自分のいのちをふり注いで、悔やまず、惜しまぬ精神である』。
愛は、相手を思いやる心。
愛は、相手の苦しみを、自分のものとする心。
愛は、相手のために、自分の痛みに耐える心。
愛がある時、たとえ身に古びた衣装をつけた貧しい暮らしの中でも、たとえ下積みの辛い生活を続けていても、人に笑われののしられても、心は明々と灯がともっている。心には希望がある。
自分が生きているということで誰かが幸せになるならば、〝愛〟とはすばらしいですよね(後略)」
Mさんは無期懲役です。しかし獄中にあっても、キリストの赦しの愛を知り、神の愛を実感しています。
この文章を読んでいて下さっているあなたも、たとえ、あなたが、あなた自身を嫌っていても、間違いなく神に愛されています。
このことを伝えるために進藤牧師が九月二十三、二十四日、津市戸木町にある久居聖書教会に来て下さいます。 終
(久居聖書教会牧師)
2017年9月7日 AM 4:55
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