そして、阿鼻叫喚と化した

(前回からの続き)
「火事だぞーっ」、「火の手が上がったでー」と声があがった。北の方、榎の下方角で煙が出た。南側のクリーニング店の方からも黒煙が上がった。
「あっちもこっちも火事やさ。まごまごしていると焼け死ぬ」。山田さんの声でみんな防空壕から這い出した。
藤堂家士族の屋敷町として津市内でも最も高級な住宅地であった玉置町、北堀端の町にあった門構えの家々は屋根がみんな地べたに落ち、瓦が乗っているのは数えるほどしかない。その低い屋根のあちこちからも炎が吹き上げていた。
 山田さんらは、吹き飛ばされた隣の土蔵に押さえられるようにつぶれた我が家の屋根を踏んで逃げた。安濃川へ最短距離の西の方は、榎の下から中新町、西新町にかけてゴーゴーたる火の海。仕方なく北の愛宕山遥拝所の土手に向かった。
夢中で逃げる道々は、この世の終わりを思わせる凄惨な場面だった。内臓が飛びだした人が防空壕の入り口を這いまわる。丸太のような人間のちぎれた胴体。上半身だけの死体…。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」、妻の千代さんがつぶやきながらついて来る。5メートルから10メートルおきに直径7~8メートルもあろうかと思える爆弾でできた穴。ひどい所には穴と穴が重なり合うほど接近していた。穴の回りは10メートル四方が掃き清めたように何もない。
ゾロゾロと北へ向かう人間の群れ。爆風の風圧でぼろぎれのように千切れた衣服をまとった人間の群れ。赤ん坊を背負った女がコジュケイのようになぎ倒された家屋の廃材の間をくぐって逃げていく。その赤ん坊には頭部がついていなかった。
 ようやくたどりついた遥拝所の土手。拝殿も前の広場も怪我をおった人、人、人の群れだった。広場に掘ってある大きな防空壕では醜い人間の争いがくり広げられた。「○○町内の防空壕だで、よその者ははいれんぞ」 「なっともならんのやさ。早い者からはいってもえやないか」。
その回りには何百人もの、物を言わない重傷者たちが戸板に乗せられて横たわっている。警防団や学徒らによって後から後から血まみれの重傷者が運ばれてくる。
「またグラマンがくるそうな」、「もう南の方がやられとる」という流言デマが飛び交う。人々の群れは川の土手下や防空壕の入り口に殺到した。修羅場であった。
「とにかく安東村へ行かにゃ」、山田さんらは御山荘橋を渡ろうとしたが橋が落ちていた。上流の三本松橋を渡ろうとした正武君は御山荘橋のたもとに倒れている怪我人の中に母校の津中の帽子を見た。片腕が吹っ飛び、わき腹を破られて虫の息の下級生だった。そばにリヤカーがグニャグニャにつぶれていた。
「おい、大丈夫か」、「大丈夫です。一年○組のミキです。もうだめです。家に知らせてください」と、はっきり答えた。「どうしてこんなところに来たのか」「荷物を疎開しての帰り、ここで…」とまで言うと、こっくりうなずくように正武君の腕の中で息を引き取った。
山田さん一家は三本松橋を渡って安東村河辺の荷物疎開先へ向かった。
 山田寛さんの二男、正孝君(12才)、三重師範学校(現在の三重大学教育学部の前身)一年生、は、24日の爆撃の第1弾が落ちた三重師範学校の鉄筋3階の教室で級友4人と雑談をしていた。ガガーッという爆弾の落下音、すぐさま机の下にもぐって伏せた。
すると、下から持ち上げられるような衝撃があった。体の上に窓枠やガラスが飛び散った。切れ間をぬってころがるように地下1階の防空壕に入った。十数人の学生、職員らがいた。
「ここが狙われとんのやさ、逃げな死ぬ」「いや、逃げてもなっともならん。みんなおんのやで死ねばもろとも、仲よう死のう」。
半地下の防空壕の空気穴から爆風が猛烈な勢いで吹き込んでくる。防空壕全体がガタビシと揺れ動く。
「ここで最期かもしれん」、正孝君は家族の顔を思い浮かべた。数十分(そう感じた)続いていた爆撃は止んだ。三階建ての屋上に上がった。校舎の西側に6棟並んでいた2階建ての寄宿舎は全壊していた。付近の町は砂塵と煙に包まれている。
玉置町の我が家の辺りからはモクモクと黒煙が渦巻いて上がっている。
「帰らねば」、下へ降りかけたが、一階玄関付近は、降って湧いたように西隣の西堀端町付近の負傷者が所狭しと並べてあった。
「元気な者はけが人を運べ」と上級生の命令。けが人の一人をタンカに乗せて級友と二人で病院へ運んだ。西堀端の道路は目をそむけたくなる阿鼻叫喚の巷と化していた。
「病院へつれてって」、腸が飛び出した母親がザックリと頭を割られた子供を抱いてにじり寄ってくる。また、死んでいると思った人がニューッと手を伸ばしてタンカにつかまる。
「山田、走ろう」、後ろの級友の怯えた声。瀕死の人たちの目がタンカを追う。遺体はほとんどが全裸。時折タンカをおろしては布団切れを拾って若い女性の遺体にかけてやった。
「海ゆかばみずくかばね…」、歌いなれた歌詞が口をついた。だがメロディーは出てこない。歌詞はきれいなイメージを与えたが、いま目にする町々の光景は歌のイメージとはほど遠い惨たらしい骸の町だった。
「歌は嘘だ。嘘っぱちだ」、重いタンカ。必死で病院の看板を捜す自分の頬が涙で濡れていた。
     (次回に続く)