国道165号を伊賀市方面に走り、2つのトンネル(白山トンネルと青山トンネル)を通り過ぎたすぐを左に折れると、道は大きく左に円を描いて風力発電施設が林立する高原へと伸びている。
その左カーブの手前に一車線より少し広めの進入路が急勾配で右に伸びている。道路の両脇には杉の木立がうっそうと枝を伸ばし、長い歳月の流れを感じる。道なりに急勾配のS字のカーブを頂上に向かうと一気に視界広がり、企業庁が開発した青山高原の保養地がある。
冬枯れの青山高原は、冷たい風が足元から頬を打ち、晴天にもかかわらず一段と厳しさを増し、身体に底冷えが伝わってくる。
四季を彩る高原も、今は落葉樹はすっかり葉を落とし、冬萌えとは言い難い茶色い冬芽をつけて寒さに耐え、木々は鉛色に輝き寒気に晒されている。耳を澄ませば何処かで野鳥が弱々しく囀っている。この高原は野鳥の宝庫でもある。
開発当時は競って建てられた別荘も今は自然に溶け込み、春から秋にかけて訪れるであろう主人をひっそりと待っているかのようである。
そんな一角に、アトピー性皮膚炎に悩まされた幼い我が子を治すために建てられた簡素なカナデアン風の一戸建ての別荘がある。丸太を組んだその建物は30数年の風雪に耐えて、今でも新築当時を彷彿とさせる佇まいである。
扉を開けて中に入ると吹き抜けになっている。こじんまりしたその空間は、子供の成長と、アトピー性皮膚炎に悩む母親の健気な姿を思い出させるに充分である。
ある時は、遠く中国に渡って漢方薬に望みを託したという。母親が我が子を手にかける事件が時折報じられる現代社会と比べると、余りにも違い過ぎる深い愛情に感動するばかりであった。
当時を思い起こせば、アトピー性皮膚炎は、何が原因で起きるかについて議論されていた。水道水に原因があると決めつけて家庭用の浄水器が販売され、飛ぶように売れた時期があった。
彼ら曰く、水道水の中の塩素は、第二次大戦当時、ドイツが大量虐殺に使用した塩素ガスで有る、と公表したのだ。
浄水器を通さない水をコップに入れて試薬を一滴落とすと水の色が黄色くなり、浄水器を通した水に試薬を入れても黄色くならない実験を私も見たことがある。それが、販売の決め手でもあった。
しかし、塩素は除去出来ても、塩素の中に含まれている、トリハロメタンと言う物質が除去出来ないのが問題だとされている。
また、アトピー性皮膚炎の原因は、人間の体から寄生虫が居なくなったからだ、という説もある。それは抗生物質を使用され始めてからであると…。
これらは雑学だらけの私の知識に過ぎない事をお断りしておく。
話を戻して、彼女は母親だけに留まらず、看護の世界に身を置き、公職に専念する人物でもあった。その職責は半端なものではないことは容易に推察できた。
現在は退職されて、民間のとある病院に勤務されている。また、幼児期にアトピー性皮膚炎で苦しんだ娘さんの肌も跡形も無く治り、その娘さんと共に親子二代で、一緒の職場で働いている。
親子の絆が薄くなり勝ちな現代社会の中にあって、アトピー性皮膚炎と戦い、克服し、そして絆を深めていったとても頼もしい家族である。