非道とは「人道に反する」無差別爆撃  

(前回からの続き)     東海軍管区は昭和20年2月に中部軍管区から分離独立。三重、愛知、静岡〔富士川以西〕、岐阜、石川そして富山県がその管轄地区。東海軍の司令官は岡田資(たすく)陸軍中将。
東海軍はシャーマン機の7名の搭乗員を含む合計38名の米軍の搭乗員を処刑した。このことが、戦後BC級戦犯を裁いた所謂「横浜裁判」で審理され、岡田資中将がその責を問われた。
これより遡る昭和17年〔1942年〕、4月18日未明、ヨークタウン級航空母艦2隻〔エンタープライズ、ホーネット〕を基幹とするハルゼー提督指揮下のアメリカ海軍機動部隊が太平洋を横断して本州東方海域800海里まで接近し、「ホーネット」からB25双発爆撃機 ノースアメリカン ミッチェル 16機が発進した。B25は単機もしくは3機編隊で、京浜、名古屋、神戸に焼夷弾及び爆弾を投下した。
爆撃隊長のジミー・ドーリットル中佐の名を取って「ドーリットル爆撃」と呼ばれている作戦である。B25は陸軍機だから空母に帰投できない。当初から中国に不時着する予定であった。
大部分が飛行場が見つけられず、搭乗員はパラシュートで降下した。8名が日本軍占領地区に降下して捕えられた。現地軍は彼らが「無差別爆撃」をしたとみなし、3名を10月15日に銃殺処刑した。
これにアメリカの世論は激昂した。海戦または空戦において捕えられた者を俘虜〔捕虜〕として扱うことは、1929年〔昭和4年〕の7月のジュネーヴ条約で規定されていたからだ。
「戦争時の捕虜に対する扱いを人道的にする」ということがその趣旨である。日本はこの条約を批准していなかったが、開戦後、その条項に準じて処理すると、スイスを通じて各国に通牒してあったからである
 同年7月28日、陸軍次官発、陸密第2190号「空襲の敵航空機搭乗員の取り扱に関する件」をもって次のとおり示達した。
「防衛総司令官〔内地、外地各軍、香港占領総督を含む〕は当該権内に入りたる敵航空機搭乗員にして、戦時重罪犯として処断すべき疑のある者は軍律会議に送致す。前項軍律会議に関しては、陸軍軍法会議法中特設軍法会議に関する規定を準用す」。
同年10月15日、「ドーリットル爆撃」隊の俘虜3名を銃殺により処刑する。
同年10月19日、日本政府は3名の俘虜処刑に対するアメリカ世論の激しい日本に対する非難と激昂に答えるように、日本防衛総司令官の名で以下のような布告を出した。〔原文片カナ、句読点を補う〕。
 大日本帝国領土を空襲し、我が権内に入れる敵航空機搭乗員にして、非道の行為ありたる者は、軍律会議に附し、死又は重罪に処す。満州国又は我が作戦地域を空襲し、我が権内に入りたる者亦同じ。
 非道とは「人道に反する」無差別爆撃のことである。これに対しアメリカは翌18年4月12日、左の声明を出した。
「アメリカ政府は、このような野蛮な無慈悲な行為に対して、責任のある日本政府の将校に相当な処罰を加えるつもりである」
そしてアメリカは戦争法規を改正して、たとえ上官の命令であっても、人道に反する行為を行った下級者も処罰を免れないとした。連合国の名で日本とドイツの政府に通告した。国内及び外地で、BC級戦犯が処刑されたのは、この条項によってである。
同年10月19日、防衛総司令部は10月19日の「布告」と同日付で左の「軍律」を定めた。
 第1条 本軍律は帝国領土、満州国又は我が作戦地域を空襲し、東部、中部、西部、北部、朝鮮及台湾の権内に入りたる敵航空機塔乗員に之を適用す。
第2条  左に掲ぐる行為を為したる者は軍律に処す。
1、普通人民を威嚇又は殺傷することを目的として爆撃、射撃其の他の攻撃を加ふる行為。
2、軍事的性質を有せざる私有財産を破壊毀損又は燃毀することを目的として、爆撃、射撃其の他の攻撃を加ふる行為。
3、已むを得ざる事情がある場合の外、軍事目標以外の目標に対し、爆撃、射撃其の他の攻撃を加ふる行為。
4、前三号の外特に人道を無視したる暴虐非道なる行為。
 前項の行為を為す目的を以って、帝国領土、満州国又は我が作戦地域に来襲し、其の目的を遂げざる前、第1条に掲ぐる各軍の権内に入りたる者亦同じ。
第3条  軍罰は死とす。但し情状に依り無期又は十年以上監禁を以って、之に代ふることを得。
第4条  死は銃殺とす。監禁は別に定むる場所に拘置し定役に服す。
第5条  特別の事由ある時は軍罰の執行は免除す。
第6条  監禁に就いては、本軍律に定むるものの外、刑法の懲役に関する規定を準用す。
附則
本軍律は昭和17年11月1日より之を施行す。
本軍律は施行前の行為に対しても之を適用す。
     (次回に続く)