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国道165号津市庄田町交差点より西は歩道が消える。普段、車で走っていたらなんとも思わないことであるが、徒歩旅にとっては文字通り死活問題。張りつめない程度に緊張の糸をめぐらせながら、慎重に車道の脇の白線に沿って進む。
10時過ぎなので交通量はまばらなのが幸い。大型車や2台以上連なった車が来た際はできる限り見通しが良く、白線の内側に法面などがある場所でやり過ごすように進む。当然ながら巡航速度は落ちるが、安全第一で進んでいく。
長野川にかかる橋を渡り、しばらくすると北側に神社が見える。門前の石碑には七栗神社と刻まれている。その脇にある案内板の由緒によると、聖武天皇の時代につくられた1300年近い歴史がある八幡宮と伝えられているという。八幡宮ということは自ずと主祭神は品陀和気命すなわち応神天皇である。かの那須与一が扇の的を射るときに「南無八幡大菩薩」と祈ったことからも分かるように、古くは武神として全国各地の八幡宮に祭られ、現代に至っても、身近な神様の一人として信仰を集めている。
先ほど、お地蔵さまに道中の安全を願ったばかりだが、ここまで来て素通りするのも気が引けるので鳥居をくぐり境内へ。社殿の前に立ち、賽銭を入れ、二礼二拍手一礼の作法で、今日ここに健康でお参りできたことに深く感謝する。
参拝を終えると、社殿から少し離れた境内に腰を下ろして一休み。左足裏の違和感があったので靴を脱いで確認すると、小さな水膨れが出来ていた。この時、余り気にはしなかったが後で、苦しめられることとなる。
再び国道に戻り、少し進むと「入田古墳」という立て看板。この看板には以前から気付いていたのだが、前を通り過ぎるだけで一度も訪れたことがなかった。絶好の機会と看板の指し示す方向へ誘われるままに進むと想像以上の光景が広がっている。国道に向けてぱっくり口を開けた古墳の横穴式石室がほぼ直結しており、中には石棺も残っている。後に調べたところ、昭和39年の国道の改良事業の際に発掘調査が行われ、石棺の中からは鉄刀や矢尻などが出土。昭和46年に旧久居市の史跡になっている。現在は地元の自治会が手入れをしているそうだ。
通勤などで、ここを毎日通っている人でも、ここがこんな風になっているとは気付いていない人もいるのではないか。この古墳にどんな人物が眠っていたかは知らないが日々、墓所の前をせわしくなく行きかう鉄の塊を見て、何を思うのであろう。太古と現在が交錯するこの場所は、既知の向こう側にある未知そのものである。(本紙報道部長・麻生純矢)
2020年3月26日 AM 4:55