青山高校の入り口付近(津市白山町八対野)

青山高校の入り口付近(津市白山町八対野)

山林に投げ捨てられたゴミ

山林に投げ捨てられたゴミ

国道165号白山町垣内交差点から、青山峠に向かって伸びる坂道を上り始める。車では何度も通ったことがある道だが、歩いて上るのは初めて。時刻は15時半前、目的地のJR西青山駅まで約10㎞。ちなみにここまで歩いた距離は15㎞。普段運動なんてしない私にとっては、体力が尽きかけているここからが本番。「でも、きっと大丈夫」と高を括る。もちろん、根拠なんて微塵もないが、やってやれないことなんて、人生にそう多くはないのだから。
この辺りの国道は、歩道が無いばかりか路側帯も狭い。大型車の往来も少なくないので、退避所などでやり過ごしながら、ゆっくりと進んでいく。何度も繰り返しになるが、私の真似をして国道を歩こうなんて考えてはいけない。私の身一つでこと足りるこの旅にお金はかかっていないが、危険と隣り合わせなのは否定できない。もちろん、細心の注意を払かなければならない。
左足裏の痛みは、広く深くなっており、大地を踏むたびに痛みが走る。間違いなく水ぶくれが十円玉大まで膨らんでおり、それが派手に潰れたのだろう。延々と続く坂道は、そんな事情などお構いなしに疲労の溜まった足を容赦なく責め立てる。これまでの道のりと比べると大幅にペースダウンしている。
やがて、私立青山高校の入り口が見える。敷地内にある休園中の日生学園付属幼稚園は非常に思い出深い場所である。園長だったY先生には駆け出しの頃からしばらく、とてもお世話になった。思い返すと若気の至りのようなつまらない悩みにも、真摯に耳を傾けて頂いた。今の私がこの仕事を続けられているのも先生のおかげ。非常に向学心のある方で、小学校教諭を定年退職されてから、幼児教育の世界に飛び込み、海外での日本語教育にも尽力されていた。勉強以上に大切なことを教わった私の人生における恩師と呼べる方の一人である。立ち止まってゆっくりと思い出に浸っている訳にはいかないが、一歩踏み出す度に色々な思い出が蘇る。過去から積み上げてきた一歩の延長線上に、現在の私がいるのだと思うと身体の底から力が湧いてくる気がする。
峠道を登り始めてここまで約30分。思ったより順調かもしれない。ふと、ガードレールの向こう側に目をやると、投げ捨てられた無数のゴミが山林に散らばっている。きっと車窓から投げ捨てられたものばかりだろう。これは歩かないと絶対に気づくことができない。だからこそ、ここにゴミを投げ捨てるのだ。私がこの旅の醍醐味として掲げている『既知の向こうにある未知』は、美しいものばかりを指すわけではない。むしろ、こういった人の醜さや業を、白日の下に晒すことこそ、その本質と言える。だから、私はこのゴミを捨てた人たちを非難するつもりは毛頭ない。人間誰しもが、光と影を抱えているからだ。
ここにゴミを投げ捨てた人たちも、普段は間違いなく善良な市民として生きているはず。人は自分にも影が存在していることを忘れ、人の影を執拗に責め立てようとする。しかし、影と光は表裏一体。どちらかを否定すれば、もう片方の存在も揺らぐ。凄惨な事件を起こした犯人について近隣住民が「あんな良い人が信じられない」とコメントをする光景を見たことがないだろうか。まさに光と影の存在を示す象徴的な事例だろう。このゴミは誰の心にも存在する影が具現化した姿に過ぎない。目を反らさずに受け止めて心に刻もう。これは私の影でもあり、あなたの影でもあるのだから…。(本紙報道部長・麻生純矢)