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歩き始めて30分ほど、時刻はちょうど15時。宇陀市と桜井市の市境を超える。上り坂と下り坂が続くので、距離以上に足への負担は大きいが概ね順調。なんとか拝観時間内に長谷寺につけるのではないか。そう思うと少し心に余裕が出る。
ふと路傍にあるトタン屋根の粗末な小屋が目に飛び込んでくる。今では、すっかり珍しくなってしまったが、いわゆる成人男性向けのDVDなどを販売する自動販売機コーナーである。興味本位で中に入って見ると、あられもない女性の姿が掲載されたジャケットが目に飛び込んでくるが、インターネット全盛の現在においては、駄菓子屋のようなノスタルジーすら感じる光景。
きっと多くの男性が似たような経験があると思う。中学生の頃、同級生でお金を出し合い、じゃんけんで負けた者が近所にあった自動販売機で成人向け雑誌を買ってくるという遊びをやっていた。今や金融や英会話で有名な某D社は、アダルト動画の配信で急成長を遂げたように、インターネット上で誰に知られることなく購入や視聴できるようになったため、このような自動販売機はほとんど姿を消した。
ただ時代を感じるのは昔と違い、この自動販売機で商品を購入する際には、成人であることを証明するために免許証の読み取りが必要なようだ。こんな田舎の片隅でひっそりたたずむ自動販売機ですら、しっかりモラルを示さなければ利用できなくなっている。これも時代である。
あくまで私個人の意見とお断りは入れさせて頂くが、先述した昭和生まれの男性にとってありふれた思い出も振り返れば、情操教育の一環になっていたようにも感じる。どうしても性的なことへの興味が高まる多感な時期に、なけなしの小遣いとありったけの勇気を振り絞って手に入れた情報は、世間的には有害ではあるが、弱い毒を体の中に入れて抵抗力を高めるワクチンのような役割を果たしていたのではないだろうか。しかも、たった一冊手に入れるだけでも四苦八苦し、友人同士で回し読みしていたなんて、インターネットで、なんでも手に入る今と比べると奥ゆかしさすら感じてしまう。
人間は清廉であることこそが美徳であると肯定するために、理性で律することができない本能に即した欲求や衝動を悪とみなし、徹底的に排除したがる。しかし、闇は消そうとすればするほど、深く濃くなる。有名なアメリカの犯罪者であるエド・ゲインは、極端に性的なものを嫌う母親の潔癖な教育方針によって道を踏み外してしまった。それは極端な例にしても、子供たちに大人が描いた理想や綺麗ごとを「教育」として押し付けるために、生理的に自然な欲求を無理矢理押し込めれば押し込めるほど、大きな反動が出てしまう気がする。日本も江戸時代まで遡れば、葛飾北斎や歌川国芳など名だたる浮世絵師も春画を描き、庶民文化としてそれを享受する大らかさがあったではないか。
スマホを介して、無限に情報が流れ込んでくる今の世の中において、是非の線引きは非常に難しい。目まぐるしく変化していく時代において、リアルタイムで情報が手に入らないことは大きなハンデを抱えてしまうからだ。ある程度は、大人がフィルターをかけられるとはいえ、極端な抑圧は不幸のトリガーになるかもしれない。
子供たちの情報リテラシーというものをどこまで浸透できるかというのは教育の大きな課題でありながら、個人や家庭に委ねられる領域があまりに大きい。そう考えると私たち昭和生まれの青い欲望を優しく受け止めてくれたいかがわしい自販機たちに感謝をすべきなのかもしれない。小さくなっていく掘っ立て小屋を見ながら、そんなとりとめもないことを考えていた。(本紙報道部長・麻生純矢)
2021年4月22日 AM 4:55