2021年5月

まちかど博物館・表具屋ギャラリー「一期一會」=津市一志町田尻70─4=で5月31日㈪まで

展示作品から「大空と大地の中で」齋藤正和(写真)

展示作品から「大空と大地の中で」齋藤正和(写真)

同ギャラリーに親交のある作家12名による「牛〈丑〉」をテーマとした合同作品展「みんなの牛・丑展」が開かれている。入場無料(展示作品の販売はなし)。
出展ジャンルは、油彩画、水彩画、イラスト、色鉛筆画、版画、コンピューター画、写真、書、表装、ローズウィンドウと幅広いジャンルで、それぞれが今年の干支「牛・丑」にちなんだ作品を出展している。
出展作家(ジャンル)は《敬称略》…飯田浩二(油彩画)・北村哲也(色鉛筆画)・齋藤正和(写真)、
nyorico=coco(イラスト)・夢美(ローズウィンドウ)・原田海光(書)・松尾和男(写真・表装)・みきなかむら(版画)・村田幸一(水彩画)・やまぎわさゆり(イラスト)・凛胤瞑(コンピューター画)・LemonT(イラスト) 。
展示作品の中には来場者が参加することにより作品が増えていくという楽しみな企画の作品もある。
問い合わせは松尾表具店☎059・293・0175へ。

4年前に、日本作詩家協会に入会したのは80歳の年齢になってからで、理由は次の通りでした。
自分が書いた詩が公の組織に保存される事。その組織に自分が在籍している事。そして、まがりなりにも、その組織の事業に参加している等の条件が満たされている事でした。
今、考えて見れば無茶な話しで、趣味から始めた、ずぶの素人が、いきなり協会の本部に電話を入れて、会員になりたいと、お願いをするなどあり得ない話しである。
事務所の方も、私の電話を聞いて矢継ぎ早に、お歳はおいくつですか?作詩をされておられますか?入会を希望される理由は?紹介者が2名おられますか?などと聞かれたのでした。
最後の紹介者の問いについて、心当たりがないと申し上げたところ、役員の方と相談をしておきますと電話が切れた。
翌日、協会の事務所から電話があって、過去に作詩した曲のCDがあれば2曲送って下さいとの事でした。その後、2曲のCDを協会に送ると、理事会で協議の結果、入会を認める内容の連絡を頂き、紹介者は理事の中から2名をお願いする事になったと承認を得たのでした。
その後、会員証が送られて来て正式に一般社団法人日本作詩家協会の会員の皆さんの末席に籍を置くことになりました。本来80歳にもなれば、退会して身を引く年齢である。そんな年齢から入会するなんて、この爺さん、どうかしているとしか思えない、と協会も考えたのではないかと思う節がありました。
毎年、発行している「きょうの詩・あしたの詩」にも今回で4回目を寄稿し、少なくともあと6回は掲載を頂きたいと考えています。
「きょうの詩・あしたの詩」の詩謡集の歴史は古く,今年で日本作詩家協会は創立55周年を迎え、詩謡集は創刊51年目を迎えています。そんな歴史のある冊子に詩が掲載されるなど私にとってはあり得ない出来事です。
第1回目は「木曽川恋歌」、第2回目は「夜の錦三丁目」、第3回目は「夜のエアーターミナル」、第4回目は梅田界隈を舞台にした「角打ち酒場」でした。先に申し述べた4回の掲載に引き続きあと6編は詩が完成しており、寄稿を待つのみとなっています。
私は本年4月30日をもって84歳になりましたが、未発表もふくめて80数編の誌が完成しております。
「きょうの詩・あしたの詩」は、メジャーの先生方も参加されておられ、どんなチャンスが訪れるやわかりません。そんな期待をちょっぴり抱いて詩を書き続けたいと思っています。
毎年発行される冊子には300前後の詩が寄稿されます。厳選された詩ばかりで読むだけでも勉強になります。私も元気な限り、書き続けたいと思っています。
詩を書く事によって、避けては通れない世界があります。それは著作権協会です。正式名は一般社団法人・日本音楽著作権協会ですが、この協会に自分の書いた作品を登録される事によって、第三者が使用した事による著作料が作者に支払われる仕組みになっております。
何にしても、作詩した作品に曲が付いて著作権登録した事によって知った世界は私から見れば、まるで別世界で、詩には必ず曲がついて、それを歌手が歌って一つの作品として皆さんが楽しむ。また、それが著作権料に跳ね返ってくる。そんな仕組みであります。
こんな現実は、歌の世界だけの話ではなく、人間が生活しうる経済活動やIT(情報)に至る全てに特許権が絡んでいます。一般的には余り関心がない世界ですが、常に特許申請をもくろむ現実があるということです。
さて、最後になりましたが、曲について触れておきたいと思います。
作曲の先生方のお話を聞いていると演歌の世界では、昔は作詩に対して曲をつけたそうですが、今では先メロと言って出来た曲に後から作詩をする方法が多くなっていると話されています。
時代が大きく変わり、作曲する側も詩ができるのを待っていられない、先に作曲をして、作詩を待つ真逆の現象が起きています。しかし、作詩者としては、詩を先に書けた方が、曲のことを気にしないで作詩が出来るので作業がしやすいかもしれません。
また、私が書いているような下手な詩でも、メロディがつきアレンジされると耳を疑いたくなるような素敵な歌に変貌します。歌は4分間のドラマと言われていますが、正にその通りです。
歌いながら涙する姿は周囲をも感動の渦に巻き込み、作詩者さえも感動させます。歌って本当に凄い、と感じることが多いです。私が書いた詩の中でも特に「あぁ忠犬ハチ公よ」などは、曲がついていない時から詩を読んで涙された人達が大勢おられます。その様な詩を沢山書きたいと思っています。
尚、表現に誤りや間違いがあれば、ご容赦ください。(津市在住作詩家)

毎日使っているヨレヨレの枕カバーがとうとう裂けた。洗濯して洗濯して、柔らかくなった綿のカバーを、さらに裂けるまで使うなんて我ながら驚きだ。頬に当たる布の感触がお気に入りだったのに、さすがに捨てなければならない。
代わりのカバーを探して押入れを開けたが、気に入るものがない。買っても良いけれど、作ってみようと布を探した。布マスク作りから始まった私の裁縫熱はまだ冷めていない。
捨てようとしていた夫のワイシャツがある。その背の部分を使おうと思った。しっかりした綿ブロードの、少しくたびれた風合いが絶妙だ。
ファスナーやボタンで留めるようなカバーを作るのは面倒だから、ホテルなどで使われる封筒型にする。長い袋を作って枕を入れ、余った分を中に折りたたむ形式だ。
白地に青の縦じまと薄い水色のワイシャツの後ろ身頃でカバーの両面とする。長さの足りない分は縦じまの前身頃を横に使って長くする。枕を入れたときに折りたたむ部分となる。
デザインを考え、寸法をとって布を裁てば、工程の半分以上が終わっている。後は直線を何本か縫うだけで、ほどなく枕カバーが出来上がった。我ながら、なかなか良い感じ。
ここまで使えば、枕カバーもワイシャツも喜ぶだろう。物の命の最後まで使う。それが私のささやかなSDGsだ。               (舞)

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