江戸時代には津藩の特産品として将軍家にも献上されていた高級織物「津綟子」は現存数が非常に少なく幻と言われているが、津市在住の郷土史研究家・浅生悦生さんが、芸濃町の旧家より明治後半に作られた男性用の襦袢地(肌着用生地)を発見。これまでの発見例では、最後期の品にあたり、その実態や歴史を明らかにするのに貴重な資料となる。また、同時に明治期の貴重な古写真も大量に発見されている。

 

 

大量の古写真、津綟子を手に…浅生さん

大量の古写真、津綟子を手に…浅生さん

津綟子と古写真が発見されたのは、芸濃町椋本の旧家の駒田家。明治期に4代目・駒田作五郎(1849~1895)が茶栽培を始め、明治14年(1881)に、製茶輸出会社を設立。明治41年に大日本製茶株式会社を設立するなど、紅茶輸出で財を成しただけでなく、紅茶をパリ万博にも出品している。近年まで医業を営んでいたが廃業している。家の取り壊しに当たり、現在の所有者より浅生さんに依頼があり、調査したところ、津綟子の襦袢地と、明治期の古写真を大量に発見。
津綟子は江戸時代から大正時代にかけて、現在の津市の美濃屋川流域沿いの主に現安濃町で生産されていた苧麻(からむし)などを材料にした綟り織。高い技術力と独自の製法によってきめ細かい隙間が生まれるため、通気性に優れ夏物衣料(肩衣、袴など)や蚊帳などの素材に重宝された。江戸時代には津藩が誇る特産品であり、将軍家への献上品や他大名家への進物にもされ、製法は門外不出で厳しく品質が管理されていた。木綿織物と比べると生産には多大な労力と卓越した技術が必要なため、武士の公服が必要なくなった明治期に衰退し、昭和初頭に完全に姿を消した。資料には存在が記されているものの、長きに亘って、実物が見つからず、幻の織物といわれてきたが、近年では県指定文化財の肩衣など数点が発見され、調査研究が少しずつ進んでいる。
今回発見された明治後半につくられた襦袢地は幅33㎝、長さ553㎝で男物の肌着一着分に相当する。津の町で最後まで残っていた津綟子を扱う商人の河邊清右衛門が販売したことを示す商標がついている。商標がついている物の発見は初めてで、現存する津綟子の中では最後期に生産されたものに当たる。当時の資料に記載されていた内容を裏付ける発見で、幻と呼ばれる津綟子の歴史や製法をより深く知るためにも貴重な資料となる。
そして、津綟子と同時に、明治初期の古写真計201点も発見された。当時の写真は、卵白を媒体とした印画紙をガラスのネガと密着させて焼き付ける手法で現像。いわゆる鶏卵紙写真は、相当な貴重品だった。発見された写真の多くが名刺大で、政治家、軍人、経済人を中心とした人物写真と風景写真が占める。裏書に、作五郎への宛て名書きがあるものも混じっていたので、浅生さんは事業や県会議員として、多くの人と交流したり、全国各地の旅先で手に入れたものと推測した。しかし、人物写真の顔ぶれの中には、放送中の大河ドラマの主人公を務めている渋沢栄一や、五稜郭で散った新撰組副長・土方歳三など幕末から明治にかけて活躍した有名人の写真も多数含まれているため、作五郎と実際に交流があった人物だけでなく、当時販売されていたブロマイドも含まれているとも推測している。中には明治に現在の津市大門にあった写真館・塩見舘で撮影された写真もあった。県内で、これだけ多数の鶏卵紙写真が発見されたのは初。今後の研究が期待される。
浅生さんは「まだまだ旧家などには、貴重な資料が眠っている可能性があるので、今回の発見が更なる新資料の発見のきっかけにもなれば嬉しい」と期待する。