庶民の社交の場として親しまれてきた銭湯は、内風呂の普及や大規模なスーパー銭湯の台頭など、時代の変化に伴って年々姿を消している。しかし、津市では昨年に廃業した銭湯「敷島湯」=津市乙部=を受け継いだ倉口常太郎さん(25)が一部改修を加え、「朝日湯」として新規開業した。歴史ある銭湯を若い力で切り盛りしていくことになり、地域住民も温かいコミュニケーションの場の復活を喜んでいる。

 

「朝日湯」の浴場

「朝日湯」の浴場

「朝日湯」の前で倉口さんと母・智子さん

「朝日湯」の前で倉口さんと母・智子さん

戦後から高度経済成長期にかけて、内風呂の無い家庭も多く、銭湯は公衆衛生上、大きな役割を果たし、近所の人々が文字通り裸の付き合いをする社交の場としても親しまれてきた。しかし、時代の流れと共に内風呂が普及し、レジャー性の高いスーパー銭湯の台頭で苦境に立たされ、経営難や後継者不足を理由に、全国的に姿を消している。近年、レトロな銭湯の魅力や文化性が再評価されてはいるが、三重県でも苦しい状況で20数件にまで減少している。
朝日湯の前身である敷島湯は昭和29年創業。花町であった乙部の華やかなりし時代には、街を彩った芸者たちも訪れた。施設は古いながらも、手入れが行き届いており、長らく地域の人たちの憩いの場として愛されていた。しかし、経営者の高齢化もあり、コロナ禍中の昨年4月末で66年の歴史に幕を閉じた。
その敷島湯が、朝日湯として復活することになった契機は、無類の銭湯好きである倉口さんの父が廃業日の直前に訪れたこと。素晴らしい銭湯が消えることを惜しみ、後日先代オーナーに施設を受け継ぎたいと交渉したところ、快諾してもらうことができた。
ただし、倉口さんは銭湯で働いた経験は無かったため、今年に入ってから知り合いの銭湯でお湯のわかし方を一から学んだり、先代オーナーのアドバイスを受けながら、日々準備を進めてきた。ボイラーにくべる薪を運んだり、丁度良い大きさに割るのは、想像以上に重労働で火の管理や季節によって変わる温度調節の仕方など、まだまだ学ぶべきことも多い。番台に立つ母・智子さん(57)と二人で協力しながら切り盛りしていく。
外壁は以前よりも濃い青色になり、看板こそ変わったものの、内部は敷島湯の設備をほぼ生かしている。見える部分の改修は浴場に富士山の絵を描いたり、老朽化が激しかったサウナなど一部。長年、多くの常連客に愛された温かい雰囲気はそのままに入浴できる。
今月4日のオープン日には〝復活〟を喜ぶ地域の人たちも訪れた。敷島湯には、毎日通う常連だった鈴木祐輔さん(40)は「子供のころから30年近く通っていた銭湯にまた入れることが本当に嬉しい」と語る。
倉口さんは「普段通い出来る安心感と、お金を支払って頂く分の満足感を感じて頂けるように頑張る。以前通われていた方も初めての方も気軽に来て頂けたら」と笑顔。
若い力で復活した歴史ある銭湯は、これからも多くの人たちの身も心も温め続けることだろう。
入浴料は440円。サウナに入る場合は600円。営業時間は16時~23時。定休日は水・土。問い合わせは☎059・229・4126へ。

みんなで楽しくポリネシアダンス

みんなで楽しくポリネシアダンス

6月25日、津市立誠之小学校体育館で同小女子児童と保護者たちで構成する「げんキッズガールズ」がワークショップを通じてポリネシアダンスを楽しんだ。
児童の心身の発達と地元を愛する気持ちを育んで欲しいと保護者代表である奥田浩明さんらが立ち上げた男子児童が対象の「げんキッズ」の女子児童クラス。日々、多彩なレクリエーションを楽しんでいる。
ダンスを指導したのは「イイヴィ レフア フラスタジオ」=津市美川町=のメンバー。同スタジオでは、オアフ島ワイキキで学んだポリネシアダンスを日々練習している。
きらびやかな衣装を着て登場したメンバーたちは、児童と保護者たちの前で様々なポリネシアダンスを披露。その後、児童たちと一緒に曲に合わせて、ステップを踏む方法や上半身の動かし方などを丁寧にレクチャー。最初は動きがぎこちなかったが慣れるに従いステップが上手く踏めるように。
最後はメンバーと児童と保護者たちが一緒に、楽しく踊っていた。

大神神社の拝殿

大神神社の拝殿

大神神社の門前町

大神神社の門前町

ゴールの桜井駅から北上し、大神神社をめざす。距離は約2㎞。余力も残っているので流すには、ちょうど良い距離でもある。
有名な観光地を巡るのも楽しいが、なじみの薄い土地で暮らす人々の営みにふれるのも負けないくらい楽しい。もうゴールには縛られていないので、より純粋に徒歩旅の醍醐味を楽しんでいる。道中には、年季の入った店構えの美容室や、地元の人たちに愛されているであろう飲食店など、街の人々の生活や息遣いを感じる町並み。それは、どこにでもあるようで、ここにしかない景色。車のスピードでは気付かずに通り過ぎてしまう何気ない事物にも目を向け、興味がありそうなものがあれば、少し足を止めて観察する。人生のコンパスともいえる知見を育む最も基本的なやり方である。年を取れば取るほど、ありふれた景色の中に気付きが増えていくのは、幾千、幾万と繰り返してきた知見を育む行為の賜物である。
駅から北上し、大和川を渡ると、より強く歴史的な雰囲気が漂う風景になったような気がする。スマホで調べると、桜井市の景観条例の重点地区に入ったらしい。道沿いにある立派な町家の前に立っている小さな看板を読むと修築して利活用するといったことを行っているようだ。町の風景は、過去の人々の営みを現代に生きる人が受け継ぎ、未来をどうしていくかを考えた結果うまれる。ただし、現代に生きる私たちは目の前のことで精一杯。過去と未来にまで配慮が及ぶ人は少ない。万葉の歌人にも愛された三輪山や大神神社の近くで育まれてきたこの地域のアイデンティティを守るため、長いスパンで物事を考えられる行政がうまくそれをコントロールしていく必要があるのだ。
大神神社が近づくにつれ、町並みもよりそういった色が濃くなっていく。門前町の商店の軒先を眺めながら歩くと、大神神社に到着。
三輪山そのものを本尊とする神社で大和国の一宮。創建は神代にまで遡る日本を代表する古社。伊勢神宮と関係が深いというお話を前回したが、天照大神は大神神社の摂社・檜原神社がある場所に存在した倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)に宮中から移され、祀られて以降、最も理想的な場所を求め、各地を転々として今の場所へとたどり着いた。そのため、元伊勢の地とも呼ばれる。
鳥居をくぐって直進すると、国の重要文化財にも指定されている拝殿がある。三輪山そのものが御神体であるため、本殿は存在しないのがユニークである。神前でまず、今日の旅路も無事に終えることができたことに感謝する。広い境内や周囲には様々な見どころもあるが、流石に少し疲れたので欲張らず、次の機会の楽しみとしよう。その前に、拝殿の前にある小さな鳥居をくぐり、縁結びや夫婦円満に御利益があるという夫婦岩の前へ。私は婚活アドバイザーとの二足のわらじをはいているため、サポートをしている人たちの良縁と、幸せを掴んだ人たちの夫婦円満、ついでに我が家の平穏を祈願。JR三輪駅から帰路へつく。いよいよ、次回からの行程は私の未知の領域に踏み込んでいくこととなる。(本紙報道部長・麻生純矢)

[ 1 / 4 ページ ]1234