今月から健康保険証としても利用できるようになった「マイナンバーカード」だが、津市でもマイナポイントの事業の効果もあり、短期間で取得率が大幅にアップ。9月末現在で取得率は3割強、取得枚数も10万枚を超え、現在は落ち着いている状況だが、今後もカード取得者を対象とした事業が行われる可能性もあるため、スムーズに手続きが行える今のうちに準備を進める必要があるかもしれない。

 

 

津市役所1階の「マイナコーナー」

津市役所1階の「マイナコーナー」

平成28年から国が交付しているマイナンバーカード。将来的には、社会保障や税制との紐づけなどによって、行政の効率化と利便性の向上などを目指しているが、国民側に自主的な手続きをして取得するメリットが乏しかったことが原因で、普及率は低迷していた。
しかし、昨年に明確なメリットが示されたことで大きく国民の意識は変わる。一つ目は昨年の国民全員を対象に一律10万円が給付された特別定額給付金。マイナンバーカード取得者は、いち早く給付が受けられた。更に「マイナポイント事業」では、今年3月までにマイナンバーカードを取得申請した人を対象に、任意のキャッシュレス決済サービスで一人当たり最大5000円分のポイント還元が受けられる。
津市でも、この二つの影響は顕著で、昨年5月末で14・97%(4万1449枚)だった普及率が昨年末には23・36%(6万4486枚)、今年9月末では37・54%(10万3658枚)と短期間で大幅に伸びている。ポイント還元対象の一部キャッシュレス決済が高齢者に普及していたことも、追い風になったようだ。また、新たなメリットとして、今月からネット上などで手続きをすれば、医療機関で健康保険証としてマイナンバーカードが使えるようになった。 ただし、こちらは利用する医療機関にカードを読み取る端末が置かれていないと利用できない。本格的に使えるようになるには、まだ少し時間がかかりそうだ。
取得するための手続きはネット上で行えるが、やや複雑な操作もあるため、津市は本庁舎1階ロビーにマイナンバーカードの相談・支援窓口の「マイナコーナー」を開設。マイナポイント事業の申請締切月だった3月には申請が殺到し、カードの受け取りまでに最大3カ月余りかかってしまった。現在もパソコンやスマートフォンの操作に不慣れな高齢者を始め、相談に訪れる人が絶えないものの、混雑も無く、申請から約1カ月ほどでカードが手に入る。カードを健康保険証として利用する手続きは、市の保険医療助成課でもサポートしてもらえる。
マイナンバーの業務を担当する津市市民課では「定額給付金やマイナポイントなどで、マイナンバーカードに対する意識が大きく変化した」と話し、更なる取得率向上のため、企業へ出向き、複数の未取得者の手続きをサポートする出張申請も試験的に行っている。
今回の衆院選の公約でマイナンバーカードの新たなポイント事業を掲げる政党があったり、更なるカードの普及を推進する動きの中で、国民に対する新たな取得メリットが示される可能性は高い。もし、そうなれば、再び取得希望者が殺到することが予想される。
そういった動きなど、今後を見据えて、スムーズにカードを取得できる今のうちに申請を行っておくと良いだろう。
市民課マイナンバー担当の問い合わせ☎059・229・3198へ。

津駅西口前の実習店ピッコロで「うなぎの十二単巻き」販売する学生ら

津駅西口前の実習店ピッコロで「うなぎの十二単巻き」販売する学生ら

津市大谷町にある学校法人大川学園・三重調理専門学校1階の実習店舗『Piccolo(ピッコロ)』で13日昼、開店14周年祭が行われ、巻き寿司「うなぎの十二単巻き」約400本が販売された。
同店は、同校2年生が大量調理・食品衛生・サービスを学ぶ場としてオープン。営業は毎週水曜日の正午~(※不定休)で、学生が、自ら作った弁当やデザートを持ち帰り専門で販売している。
うなぎの十二単巻きは
過去に学内で行われた寿司コンクールの入賞作品。津の名物である鰻の白焼きの天ぷらをはじめ、卵、きゅうり、きゃらぶき、桜でんぶ、葱、大葉など12種類の食材が使われ、醤油ではなく山椒塩をつけて食べるもので、毎年周年祭にのみ登場する。
今年も学生が当日早朝から作業を分担し巻き寿司を調理。
例年と同様、販売開始前から店舗前は賑わったが、調理・販売実習の一環だけにコロナ禍以前から衛生面に考慮した販売形式をとっていたため、飛沫防止策など最小限の追加対策で十分な安全性を確保。来店者の中には一度に6本購入する人もおり、学生達は緊張しながらも笑顔で丁寧に対応した。
学生の小倉海岬さん(19)は「海苔をまく時に力を入れすぎると固くなるのでちょうどいい固さになるよう調整した」、廣田桜さん(20)は「全体的に均一に締められるように端からゆっくり巻いた」と話し、調理の技術を磨いた。

道の駅かつらぎ(葛城市太田)

道の駅かつらぎ(葛城市太田)

當麻蹶速塚(葛城市當麻)

當麻蹶速塚(葛城市當麻)

側道の旅は続く。奈良県大和高田市から葛城市へ。同市に入ってしばらく、歩くと道の駅かつらぎがあるので小休止。ベンチに座りながら、スポーツドリンクで喉を潤していると「相撲発祥の地」という掲示物が目に飛び込んでくる。
同市がそう呼ばれる由来は、日本武尊の祖父である垂仁天皇の時代にさかのぼる。大和国當麻(現葛城市當麻)に住んでいた當麻蹶速は、剛力無双を誇る猛者。彼は自分と互角の勝負が出来る者はいないかと日頃から豪語していたことが天皇の耳に入り、出雲国に住む豪勇の士・野見宿禰と相撲を取ることになった。
当時の相撲は今と全く違うもので二人の戦いは蹴り技の応酬となった。死闘は、野見宿禰が鋭い蹴りで、當麻蹶速のあばら骨を折り、すかさず腰骨を踏み砕くという壮烈な結末を迎える。その結果、當麻蹶速は領地を没収され、野見宿禰に与えられた。これが日本で最初の天覧試合といわれ、二人は相撲の始祖として崇められている。
しかし、歴史は勝者が綴り、単純化するために善悪の二元論で語られることが多い。敗者は悪しざまにいわれがちだ。日本書紀に記述されている當麻蹶速の言葉からは、傲慢な印象を受け、現代においても勝者の野見宿禰に比べると知名度と人気は劣ってしまう。
しかし、地元の人々には、今も當麻蹶速は愛されており、彼を祀ったと伝えられる塚が残っている。彼の名を関する「けはや座」という全国でも珍しい相撲の資料館もある。その中には実際に大相撲で使われているのと同じサイズの土俵があったり、手形や力士ゆかりの品など多数の資料が展示されている。世間のイメージはどうあれ、郷土の勇者を称え、その生き様を語り継ごうとする姿には共感を覚える。やがて、それが未来に、大きな流れを生み、再評価につながるかもしれない。
道の駅のすぐ近くを走る国道165号は、南阪奈道路の有料区間に。ここから先も当然、歩くことはできないので、道の駅の脇から伸びる細くうねった側道を伝って並走することとなる。ここまでくると、私の歩く行程に違和感を感じている読者もきっといることだろう。そう私は少し前に重大な誤ちを犯している。結局、この日は最後まで、それに気付くことは無いのだが…。ただし、その誤りは、結果として、この旅に鮮やかな彩りを添えてくれた。私が何を誤ったのかを語るのは、もう少し先にしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)

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