柏原市と八尾市の境

柏原市と八尾市の境

藤堂高虎公が八尾の戦いで亡くなった家臣の菩提を弔うために再建した京都の南禅寺三門

藤堂高虎公が八尾の戦いで亡くなった家臣の菩提を弔うために再建した京都の南禅寺三門

スタートから雨の中を歩き続けているにも関わらず、私の気分は軽い。理由は簡単。この雨が、この季節にしか出会えない春雨だからである。人間は認知の生き物なので、普段は憂鬱に感じる雨も、ひとたび特別な存在であると認知してしまえば、愛しくさえ思えてしまう。少し乱暴な言い方をするが、どんな状況であっても、自分自身が幸せだと感じれば幸せになれるし、不幸だと思えば不幸になる。身の回りに潜んでいる幸せを見つけるヒントとなるのが知識であり、教養である。「学校で習うことなんて社会に出たら役に立たない」と口にする人もいるが、それは余りに狭い考え方だと思う。学校で習う知識は、私たちが暮らすこの世界を様々な角度から細かく分解するツール。それを使って幸せを見つける指標が教養である。国語であれば、言葉を介したコミュニケーションだけでなく、今回のように、いま目の前で起こっている自然現象の名前も学べる。数学や理科であればその事象が発生するメカニズムを論理的に学べる。他の科目も同様である。春雨は食べ物の名前だと思っていたが、俳句と短歌を学ぶ際に季語としてその意味を知った。そのおかげでいま、この雨を楽しめている。幸せの本質とは物質的な豊かさの総量ではなく、なにげない瞬間に散りばめられた喜びに気づくことにある。
歩き始めて1時間半。柏原市と八尾市の市境に差し掛かる。大阪市の東に位置する八尾市は、約42㎢の市域に約26万人が暮らす中核市。面積にすると、津市の約17分の1だが人口は津市より1万人少ないだけである。国道沿いの建物の建ぺい率の高さが人口密度の高さを物語っている。
八尾市に来るのは初めてだが、戦国最後の大戦である大坂夏の陣の激戦・八尾の戦いが行われた地であることは知っている。その戦いは津と浅からぬ因縁がある。というのも津藩祖・藤堂高虎公が大坂方の有力者・長宗我部盛親と死闘を繰り広げ、一族や重臣を含む家臣を大勢失った苦い記憶が残るからだ。皆さんご存じの京都にある南禅寺の三門は、この戦いで散った家臣の菩提を弔うために高虎公が晩年に再建したものである。津市で生まれ育った方に、この話をすると驚かれることも珍しくない。三門の楼上には、高虎公の木像や戦死した家臣たちの位牌などが安置されている。あの三門の威容からは、大切な家臣たちを失った高虎公の悲しみの大きさも窺い知れる。
先ほど知識や教養についての所感をお話したが、わずかばかりの教養があるだけでも、一瞬にして、現在地である八尾と地元の津、本来は全く関係ないはずの京都の三点が結ばれる。すると、旅先の景色がより魅力的に映る。幸せの見つけ方も、これと全く同じで、目の前どころか、手のひらの中にもうあるのかもしれない幸せに気付くために、私たちは様々なことを学ぶのだ。それが唯一無二の幸せを得る方法だと確信する。(本紙報道部長・麻生純矢)