雪が降る椋本のバス停

伊勢道の芸濃ICの高架をくぐり、ラストスパート。芸濃町の旧椋本宿に入る。伊勢別街道の宿場町として栄え、江戸時代には2㎞弱の区間に20軒ほどの旅籠があった。集落の入り口には仁王経碑が設置されており、疾病の流行を抑えることを目的に仁王経を刻んだ小石が碑の下に埋められている。反対の関宿側の入り口にも同様の碑がある。町並みも建物が密集しやすい宿場町らしく、防火のために街道の幅は広く取られており、4箇所直角に街道が曲がっている。三叉路の角には、石と木の道標が建っている。江戸時代後期に設置されたとみられる石の道標には「左さんぐう道」と刻まれている。明治時代に設置された木の道標には、「津市元標へ三里三拾三丁八間」「関町元標へ弐里五丁五拾壱間」「大里村大字窪田へ弐里弐丁五間」と距離まで記されている。道路の起点、終点、分岐点に置かれていたもので、現在の国道の起終点にに設置されている道路原票のルーツのような存在である。元々は人々の自然発生的なニーズや地形などの諸条件が重なり生まれた道が、やがて法によって管理される現代の道路行政につながる道程の道標でもある。
 ゴールである三重交通の椋本バス停には17時半に到着。それと同時に日は完全に沈み、辺りはすっかり闇に包まれ、間も無く雪が降り始めた。明日は大雪という予報に違わぬ勢いであっという間に、バス停前の広場のアスファルトがみるみる白く染まっていく。亀山駅行きのバスは始点だが発車は18時過ぎ。30分以上の待ち時間があるため、軽い空腹と寒さをしのぐために自販機でコーンスープを購入。熱い缶でかじかんだ手を少し温めた後に開封し、味わうと全身へと心地良い熱が広がっていく。飲み干した缶を名残惜し気に握りしめているとあっという間に冷たくなり、逆に手の熱が奪われる。「これがエントロピーというやつなのだろう」などと、万物を統べる法則に対し、酷くいい加減な見識を示しながら、空き缶をゴミ箱に入れる。
 バス停には、気付けば私の他にもう一人。年の頃なら10代後半くらいの若い男性。中々の男前である。「こんな天気の中、この時間からどこへ出掛けるのだろうか」と思って彼の方を一瞥すると「寒いですね」とはにかみながら声をかけてくれた。「早くバスが来るといいですね」と私は返す。それ以降は二人とも無言でスマホを操作しながらバスを待っていたが、少し言葉を交わしただけで、安心感のようなものが生まれるのが面白い。
 その時、待機中のバスのドアが開き、運転手さんが「よかったら中で待っててください」と声をかけてくれた。「ありがとうございます」。私と彼は、運転手さんの心遣いに感謝の言葉を述べ、バスに乗り込んでいく。私たちが待つバスとは別の路線で出発まで一休みしていたところ、寒そうにしている姿を見かねて声をかけてくれたという。心の通った対応が嬉しい。運転手さんに「これからどこかへ行くんですか?」と問われた彼は「帰ってくる友達を待っているんです」と、またはにかみながら答える。それを脇で聞いていた私は「なるほど」と疑問が氷解する。
 しばらくすると、ようやくお目当てのバスが到着したので運転手さんに再び感謝の言葉を伝えて、そちらへと向かう私と彼。雪が降りしきる中、バスから降車してきたのは制服姿の可愛らしい女子高校生。彼女は、彼の姿を見るなり、驚きの表情を浮かべて「なんでおるの!」と大きな声を発しながら駆けよってくる。それに対し、彼はまた「いやぁ…」とはにかんでいる。友達同士なのか、はたまた恋人同士なのか、私には二人の関係性を窺い知る術はない。だが、彼女の歓喜に満ちた表情は、彼のサプライズが奏功したことは語るべくもない。私は、楽しそうに会話をしながら雪夜に消えていく二人の背中を見送りながら、亀山駅行きのバスへと乗り込む。先ほどの運転手さんの心遣いと二人のやりとりを見て、冷えた身体と心はすっかり温かくなっている。「これもまたエントロピーかもしれない」。心地良い疲労と達成感に包まれる中、私は座席に腰を下ろし、帰路に就いた。(本紙報道部長・麻生純矢)