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本棚を整理していたら、ピーターラビットのオルゴールに目が留まった。回転プレートが巻きネジとなっていて、巻いたらエリーゼのためにが流れ、ピーターがくるくる回った。
ゼンマイ仕掛けは面白い。ネジを巻く私のエネルギーをゼンマイバネに蓄え、少しずつエネルギーを放出してドラムを回転する。ドラムの突起に弾かれた櫛の歯のような金属板が澄んだ音を出す。オルゴールは夢のある楽器だ。懐かしくて何度もネジを巻いた。
昔の腕時計も手巻きゼンマイ式だった。高校に入って買ってもらった時計は、小さくて華奢なデザイン。大切に毎日ネジを巻いた。
居間の柱時計も手巻きゼンマイ式だった。踏み台に乗って時計のネジを巻くのは父。テレビの七時の時報を聞き、一分遅れた進んだと針を合わせていた。父は時間に正確がモットーの人だったので、時計の遅れは許さなかった。振り子の長さを調節していたようだ。
電波で時刻を合わせ、電気エネルギーで時計を動かす時代。何事も自動のこの頃、手巻きゼンマイはまだ使われているだろうか。掃除機のコード巻き取りみたいな動きには、ゼンマイバネが使われていると思うけれど。
ジーッジーッと腕時計のゼンマイを巻く音が聞いてみたい。うわさによると、ウン十万ウン百万円の時計なら手巻きもあるという。 (舞)
2023年8月24日 AM 4:55
ウィンタースポーツで有名な観光地では、夏場の集客力低下が避けられない。また、海辺の観光地でも、シーズンオフには食事や温泉を工夫したり、低価格ツアーに甘んじる必要がある。
これは国内市場が季節商品だとみなしているからだ。しかし、コロナ禍から3年が経った今、この従来型の国内旅行のパターンが変わりつつある。少子高齢化と物価高騰による市場の縮小である。
一方、インバウンド市場は円安の恩恵もあって急上昇している。新幹線ゴールデンルートのオーバーツーリズムも、JRのジャパンレールパスによる地方分散が奏効してきている。
ジャパンレールパスの海外向け広報によると、2009年に利用者数延べ680万人から始まったこのJRのパスは、福島第一原発が爆発した2011年こそ620万人にまで減ったが、それ以降は年々増加の一途を辿り、コロナウイルス・パンデミック前の2019年には3180万人に達している。
しかし、三重の場合、その恩恵は亀山を経由する以外に選択肢はない。快速みえの路線は、三セクの「伊勢鉄道」が導線を断っているからである。だからJRの海外に向けた広報を見ても、申しわけ程度に触れているのは伊勢神宮と夫婦岩のピンポイントだけで殆ど情報がない。
中部エリアを紹介するビデオアーカイブにあるのも、静岡県、愛知県、岐阜県、黒部・立山のみで、三重県はない。インバウンド到達率を見ると三重県は1%未満、47都道府県中46位である。
何度も目のあたりにしてきたが、(お隣の県の)JR奈良駅から市内へと流入するインバウンドはシーズンオフの国内市場の補完として十分機能している。
一方、三重県へのインバウンド訪問率は1%にも満たない。正直なところ、インバウンド集客のための設備投資、費用対効果の面で疑問を禁じ得ない。
ゆえに鳥羽市のホテルマリテームは「地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値化プロジェクト」の補助金採択を得たが、辞退することにした。ハードウェアの改修だけでは、国の求めるインバウンドによる収支改善には至らないからだ。
ところで、この一宿泊施設あたり補助額上限1億円のプロジェクトだが、マリテームの場合は国の補助金2分の1、自己資金2分の1で申請し採択を得たが、金融機関からの融資を前提とした補助金3分の2で申請した宿泊施設の場合、そのハードルは更に高かったようである。融資する側の与信を踏まえた意思決定が必須だからだ。
その前提は、市場回復による投資回収の確実性にあるのだが、松阪から伊勢志摩の現状をみる限り、全国旅行支援が縮小された4月から7月半ば迄の回復がすこぶる良くない。とても確実性が担保できる条件にあるとは言えなかったのである。
この点においても、インバウンドによるシーズンオフの補完は必須だと言える。例えば、平日の伊勢志摩の一人あたりの平均宿泊単価は1万2000円程度であるが、もしこれがインバウンド・バブルの様相を呈してきた箱根の一泊10万円程度だったら、金融機関の与信は自ずと高くなるだろうし、建設業や農林水産業などへの波及も見込める事となり、国や県が求める持続可能な収支の改善や雇用の安定・定着も、シーズンのオンオフ平均化をもって成功するに違いないからである。
(OHMSS《大宇陀・東紀州・松阪圏・サイト・シーイング・サポート代表》)
2023年8月24日 AM 4:55
旧街道に従って、中縄の集落を抜け、三重県道10号津関線を横断。大正時代に開業した私鉄の安濃鉄道の終点があった場所に木の標識が立っている。この路線は、現在の津新町駅の北西約1㎞ほどの場所にあった新町駅を起点とした全長約14・5㎞の軽便鉄道。津市押加部町の新町駅があった場所に行ってみると、住宅街の中で駅の痕跡は全く残っていない。芸濃町史や安濃町史に眼を通すと、この鉄道の歴史がつづられている。軽便鉄道は、幹線鉄道と比べて線路の幅が狭いのが特徴で、小じんまりとした軌道車でマッチ箱のように可愛らしい客車をけん引していた。運行会社の株主に名を連ねているのは地元の人たちが中心であることからも、この鉄道は現在の津市西部にとって欠かせない移動手段だったことが分かる。一時は片田の方に支線も走っていたが、農村部という地域的な特徴もあり、農繁期の5、6月になると乗客数が激減するなど経営的な課題を抱えていた。慢性的に苦しい運営状況の中で、なんとか貴重な地域の足を支えてきたが、昭和19年に戦争のために線路が資材供出されたことで実質的に姿を消した。
今ではこの鉄道のことを知る人はほとんどいなくなってしまった。しかし、このように少しでも痕跡を残しておいてもらえれば、歴史を遡ることもできる。今の世の中は車の移動速度を基準にして回っており、微かな痕跡には気付かず通り過ぎてしまうこともしばしば。ゆっくりと歩いたおかげで、痕跡に気付けたのは僥倖という他ない。「暇を見つけて安濃鉄道の路線を一日かけて歩いてみても楽しいな」。見慣れた日常の中にまだまだ未知はたくさんあることを改めて実感する。
津関線を横断した先は林の集落。ほどなく目の前に白亜の建物が現れる。国の登録有形文化財に指定されている旧明村役場庁舎である。大正5(1916)年に建築された。大正4年開通の安濃鉄道のほぼ同時期の建物と思えばより感慨深い。木造2階建てで、壁面や窓のデザインは洋風だが、屋根は瓦ぶきで入母屋破風、西洋と日本の建築様式が融合した美しさを漂わせている。この施設を文化財として保存し、公開や利活用を行っていくために、耐震工事や基礎の強化などが行われている。戦後からしばらく、日本が経済的な豊かさを追い求める時代には古いものは蔑ろにされ、どんどん姿を消してしまった。しかし、価値観が移り変わった現代では、古き良きものを残したいという考えが一般的になった。地域の人の愛着に支えられているこの建物も土日に見学者が訪れたり、イベントなどでも利用されており、これからも受け継がれていくことになるだろう。
集落を歩いていると、この辺りに初めて来た30年近く前の記憶が蘇る。高校生だった私は、同級生の家に遊びに行くために、JR亀山駅から友達と自転車を交代で乗りながらここまで来たことを覚えている。「確か、この辺だったかな」。微かに見覚えがあるように思える家や門構えを眺めながら、大脳皮質に刻みこまれた情報を引っ張り出す。歴史的事績は記録を辿れば、事実に基づく正解が導き出せるが公的な記録を残すには、データの整理・保管・管理に伴うコストも欠かせない。一方、個人の記憶は当人が死ぬまでの期間限定とはいえ、タダで使えてデータの扱いも自由自在。その分、時に自分にとって都合よく改ざんされることもしばしばで、それを頼りに正解にたどり着くことは至難の業。この辺りも都会などと比べると町並みの新陳代謝がゆっくりしているとはいえ、新しい建物が立っていたり、外構や外壁塗装をやり替えたり、実際には私の記憶の中の景色とは全く別ものになっていることだろう。
28年前のあの日の自分と現在の自分をシンクロさせながら、記憶の海での遊泳を楽しんだ。
その後、再び津関線へと戻り、中ノ川にかかる橋を超え、楠原宿へと入っていく。ゴールの関宿まではあと少しだ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2023年8月24日 AM 4:55