講演する加来さん

 12日、ホテルグリーンパーク津6階伊勢の間・安濃津の間で三重歴史研究会=山口精彦会長=が歴史家で作家の加来耕三さんを招き、創立35周年記念講演会を開いた。
 数多くの歴史に関する書籍を出版し、テレビなど様々なメディアでも活躍している加来さんの話が聞けるとあって約320名の聴衆が集まった。演題は「歴史を学び、未来を読む~藤堂高虎と家康~」。
 加来さんは冒頭で「どうすれば歴史を具体的に仕事や日常生活に活用できるかを実践して頂きたい」と語り、まずは藤堂高虎の仕えた徳川家康についての多彩なエピソードを紹介しながら、人物像を掘り下げた。家康は、国の行く末を見通す大局観では織田信長や豊臣秀吉と比べると劣っていたとしたが、長男・信康の切腹の一因をつくったとされる酒井忠次や、三河一向一揆で自分を裏切った本多正信を許して重用するなど、絶望を乗り越えた先でも寛容さを持ち続けられたことが天下人となったリーダーシップの源であるとした。そして、家康と対立する立場にあった秀吉の弟・秀長の重臣だった高虎を許し、頼ったことも寛容さがあったが故とした。一方の高虎も、恩義のある秀長の死後も豊臣家を守ろうとしたが、朝鮮出兵を機に限界を感じて、家康以外に新しい天下統一の道を見出せなかったため、仕える道を選んだのではないかと推測した。
 また、若い頃の高虎は身長190㎝の巨体を生かした槍働きを得意としていたが、秀長に仕えて以降は、鉄砲隊の指揮や兵站を任されたことで算術を学び、そういったことが積み重なり、高虎の業績の築城術に繋がってくるとした。「高虎は全くやったことのないことを次々とやってのけて、成果をあげながら上をめざす。水軍を率いたと思ったら、最後は忍を操ることになった」と事績を紹介し、高虎から今日の私たちが学び、未来に向けてやるべきことはリスキリング(革新に対応するために新しい技術や知識を学ぶこと)とした。