2024年5月

 水口城跡からは旧東海道を西へと進んでいく。今や主要道路としての役割は北を並走する国道1号に譲っており、ロードサイドの店舗も充実している。きっとこの辺りを訪れたことがある人も、そちらのイメージが強いことだろう。一方、街道沿いの風景は「ひなびた」という言葉がぴったり。古い建物はそれほど多くないし、今やこちらの道でも車が主役ではあるものの、多くの旅人が行き来をする中で磨かれてきた地域のアイデンティは静かに息づいている。往時の風景は、ところどころに遺された案内看板や一里塚の跡といった痕跡から想像するしかないが、裏を返せば、想像せずにはいられない。人の少ない平日の午前中に、のんびりと徒歩旅を堪能しているのは役得という他ない。
 4㎞ほど進むと野洲川に突き当り、そこには横田の渡し跡がある。鈴鹿山脈の御在所岳を水源とする野洲川は琵琶湖に流れ込む川の中で最大の流域面積(387㎢)を誇っており、明治時代あたりまでは横田川と呼ばれていた。江戸幕府が整備をした東海道には、舟に乗ったり、人夫に背負われて渡河が必要な十三の渡しがあった。横田川の渡河地点で、川幅は300m以上で往時に旅人たちは船賃を支払って渡っていた。明治24年(1891年)に橋が架けられることで渡しは無くなったが、たった130年ほど前と考えると、「つい最近」である。渡しの跡から豊かな水をたたえる野洲川や対岸を眺め、往時の旅人たちの姿を思い浮かべる。この渡しには文政5年(1822)に建てられた高さ8・1mの巨大な常夜灯がある。水運と関わりの深い金毘羅権現の名と共に、多くの寄進者の名前が刻まれている。東海道でも一際大きかったそうで、ドイツ人の医師で植物学者のシーボルトも、江戸への旅路で目にしたこの常夜灯の偉容を記録に残している。彼もきっと今の私と同じで、次から次へと押し寄せる未知との遭遇が楽しくて仕方がなかったに違いない。
 このまま、徒歩で野洲川を渡るわけにはいかないので、横田の渡し跡から国道1号へと移動。ほどなく、甲賀市と湖南市の市境。湖南市はその名の通り、琵琶湖の南側にある人口5万人ほどの小さな都市。その名とは裏腹に、琵琶湖に面していないのが意外だが、琵琶湖の南側を指す湖南地方が由来のようだ。国道1号で大津方面へと向かう際、湖南市を通過したことはあるが、じっくり歩くのは初めてなので胸が高鳴る。横田橋で野洲川を渡り、JR草津線の三雲駅で休憩し、スマートフォンの地図アプリでルートを確認。旧東海道と国道1号は野洲川を南北に隔てる形で並走しており、湖南市の市街地は旧東海道に沿って形成されている。つまり、この辺りを味わい尽くすには街道を歩くことが欠かせないという訳である。
 時刻は12時過ぎ。駅から少し歩き、ラーメン屋に入る。席に着くと店員さんがラーメンの好みを訪ねてくるので「全部普通で」と伝える。最近は親切に麺のゆで具合やスープの濃さなどを聞いてくれる機会も増えたが「プロのベストが食べたい」というのが私の本音。もちろん、自分好みにして食べたい人が居ることも理解はしている。
 ふと、とある有名ラーメン店で働いていた友人から聞いた話が脳裏に浮かんだ。ある日、友人がラーメンのオーダーを取りにいくと、男性から「化調(化学調味料)抜きで!」と言われた。そのようなサービスはやっていないので、困った友人は店主に小声で相談したところ「普段通りにつくるから」とニヤリ。そして、友人は出来上がったラーメンを恐る恐る運んだところ、男性はラーメンのスープを口に入れるなり、何度も深く頷いたという。そんな様子をカウンター越しに見ていた店主は、友人に向けてウィンクしたそうな。結局、男はスープを一滴残らず飲み干して「以前より美味かったよ!」と満足して帰っていった。この話は、客の要望を無視したお店側の対応が不誠実と感じる人も居ると思うが、素人に口を挟まれたくないという店主の気持ちも理解できる。結果として、客を満足させつつ、店主もこだわりを曲げなかったと考えれば、この対応は両者のニーズを満たす正解といえるのかもしれない。「お客様は神様です」という言葉はあくまでサービスを提供する側の心構えに過ぎない。サービスを受ける側も、また提供する側に相応の敬意を払うのが健全なビジネスの在り方であると思う。
 カウンターで頬杖をつきながら、そんなことを考えていると、ラーメンが来た。空腹に任せて箸を進めると、あっという間にどんぶりは空になる。店員さんに一礼し、店を後にする。空腹さえ満たされれば、今日はもう恐れるものはない。(本紙報道部長・麻生純矢)

 津税務署では、給与を支払う法人や個人事業主に向けた定額減税の説明会を開いている。税制改正で、6月から令和6年分の所得税の定額減税が実施される。控除の基準を満たした人と同一生計の配偶者や扶養親族から3万円が控除される。それに伴い、従業員などへの給与を支払う法人や個人事業主が控除に必要な事務を行う必要が発生する。しかし、控除の対象となる様々な基準があったり、事務処理の手順などをしっかりと把握する必要がある。そのため、津税務署でも説明会を開いている。
 実施日は5月10日10時~11時、14時~15時。5月28日10時~11時、14時~15時。場所は津税務署1階会議室。参加は国税庁の公式LINEアカウントからの事前申し込みが必要。また、国税庁では定額減税の特設サイトも開設している。

 新しい旅立ちの時、希望と夢に向かって歩み始める季節になりました。
 春の花がにぎやかに咲き始め、やわらかな春の日を透かす若葉の葉色の美しさに、見とれてしまいます。
 今回は「俳句と小唄」という題で松尾芭蕉の俳句から小唄二曲をご紹介いたします。
 
 元旦や
元日や 田毎の日こそ恋しきと 翁も若き人々も 逢えば互いに旧冬はだんだん 先ず当年も明けましては むつまじ月の唄の数々を 唄って目出度う 遊ばなくちゃなりやせん オッホン

 この小唄は明治27年頃(新暦晩冬一月)に作詞・三村周、作曲・一中節の都園中、初代清元菊寿太夫、二世清元梅吉の合作による江戸小唄です。 「元日や 田毎の日こそ恋しけれ」
 松尾芭蕉の句「更科日記)
 
 元日に詠んだ俳句を引用しております。初日の出を眺めながら、これが田毎の月(段々畑の水田に写る月)であったら、初日が田毎に写るだろうという意味の有名な句です。
 芭蕉のことを、おきなと呼んでいた所から、これを「老いも若きも」という言葉にして使ったもので、正月ともなれば、お互いに逢えば旧年中は色々とお世話になりました。本年もよろしくという所です。
 次の「むつまじ月」とは睦月(一月)のことで、ひねって「難し好き」として次の唄の数々にかけたもので、唄の好きな人が集まり、江戸小唄を作って目出たく遊びましょう、という意味です。
 明治中期、通人粋客が集まっては、江戸小唄を作って楽しでいた光景が見えるようなしゃれた小唄になっております。

 目もと口もと
目もと口もと 口もと目もと 目は口ほどに物を云う ためしをここに 象潟や 雨に西施が合歓の花
 
 この小唄は、久保田万太郎作詞・山田抄太郎作曲・昭和30年代(新暦晩春四月)の唄です。
 小唄は、夢に「西施」に似た美人を見たという万太郎が、その女性の目もとの美しさは、きりっとした中に憂いを含み、その眼は男性を引き込むような魅力を持っていて、「ためし」つまり、例えていうなら、中国の四大美女の一人、西施のような、美しさであったと唄っております。
 万太郎が引用した俳句は
 「象潟や 雨に西施が合歓の花」
 松尾芭蕉の句(奥の細道)
 
 芭蕉が象潟に舟を浮かべて、その雄大な景色の美しさに感動し蘇東場の「西湖」の詩を連想して、一句としたものです。  雨に打たれた合歓の花は、紫紅色で、白をぼかしたような美しさは西施そのものであるといっています。
 また、抄太郎の作曲も古典小唄調の軽妙な調子で、その女性の美しさを見事に表現しています。
 また、歌舞伎役者は役者名のほかに俳句を詠む時に使用する俳号を持っております。ちなみに、六代目菊五郎の俳号は梅幸、十代目団十郎の俳号は夜雨といい、現在でも団十郎を中心に夜雨の名前からとった小唄夜雨会が続いております。   暖かくなって春はどんどん進むものかと思っていると、意外に寒い日があったり、足踏みをするのは、この時季のお決まりです。お体に気を付けられ、くれぐれも体調を崩ささないようにご自愛ください。
 小唄 土筆派 家元
参考…木村菊太郎著「江戸小唄」

 三味線や小唄に興味ののある方、お聴きになりたい方、お気軽にご連絡下さい。中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。電話059・228・3590。

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