PVを超えた価値の創出へ 従来のモデルからの脱却図る

 日々の暮らしの中に潜む未知からまちづくりまで、多彩な三重の姿を発信しているウェブマガジン「OTONAMIE」。懐かしさとワクワク感が入り混じる様子を「オトナミエっぽい」と表現するファンもいるなど、独自の立ち位置を確立している。代表・村山祐介さん(44)にこれまでの歩みや、多くの県民が気付かない三重の魅力などを聞いた。全3回の第1回。(聞き手=本紙報道部長・麻生純矢)

OTONAMIE代表・村山さん

─まずは、多くの記者の目を通じて、三重県内の情報を楽しく発信するウェブマガジン「ОTОNAМIE(以下オトナミエ)」を始めるきっかけを教えてください。
 村山 きっかけは東京から帰ってきて結婚し、週末にどこに行けば良いかわからなかったことです。特に大学と仕事でブランクがあると、本当に情報が無くて。東京だと地下鉄の駅ごとにフリーペーパーがあったり、テレビですぐ行ける店が紹介されているので、それに慣れると情報がないのは大変。情報を意識し始めたのはここでした。
 ちょうどその頃、スマホが普及して皆さんがフェイスブックをやり始めました。私もデザインの仕事をしているので、情報をまとめたウェブメディアを利用することが多いのですが、これを三重県のローカルで利用できないかと考えました。
─ポータルサイト(様々なサイトへのリンクをまとめたサイト)みたいなイメージですか?
 村山 ポータルサイトはトップページに行ってそこから調べていくという感じですが、ウェブマガジンとかウェブメディアは、常に新着記事が上がっているニュースサイトみたいなイメージ。
 当時、地方創生って言葉も出てきていたのですが、なるべく難しい言葉を使わず、行政だと縛りがあって出来ないことをやろうと、アンドマーク㈱の佐藤成章君と二人で立ち上げました。
 始めた当初はどうすれば面白くなるかなど分かってなかったので絶対に一日一本記事をアップするというルールを設けていました。しかし、物理的に限界もあるし、2人の住んでる周りのことしか上がってこないから全然面白くなくて。当時ブログをやっている人も多かったのですが、個人のものはそれほど見てもらえていなかったので、そういった人が集まれば、書いたら見てもらえるという形を作れるのではないかと、2016年10月にオトナミエをスタートしました。
 最初は芸能人とのタイアップなど色々なことをしたのですが、その後に記者を募集をしたら一日20人くらい集まって、すぐに100人くらいになりました。現在ボランティアから本職のライターまで登録している記者が約220人。日々記事をアップするだけでなく、仕事やプライベートでも繋がる記者同士のコミュニティができたこともとてもよかったです。
─素晴らしいですね。一人で見えるものやできることには限界がある。記者同士で互いに高め合える環境は、かけがえがないと感じます。
 村山 掲載する記事の質について考えていく中で、とある記者さんに「オトナミエは雑多なのが良い」と言われました。記者それぞれの表現があるし、例えばトレイルランが好きな人はそれしか上げてこない。興味がない人には必要ないかもしれないけれど、やっている人には凄い情報。だから、色々な人が書きやすい環境をつくるために、問題のあるもの以外は、あえて記事の質というものを判断せず、掲載するようにしています。 
─ビジネスとしてページビュー(PV)数も意識してますか?
 村山 最初は凄く意識をしてました。でも、どれだけ頑張っても月間10万PVが超えられなかったんです。そんな時、滋賀県のしがトコというメディアの方とお話をして、やっぱりどう頑張っても月10万PVと言われました。「そもそも田舎でこれ以上は伸びへんのちゃう?」とも言われ、田舎においてPV数は意味がないと感じ、追うのをやめました。数ではないところに重きを置き始めると、気楽になって好きなことが書けるようになりました。
 最近、インスタグラムなどを見ていても、凄く沢山フォロワーがいるアカウントは、アルゴリズム(検索などで上位表示されるために必要なプロセス)に則った動画を上げていて皆同じスタイルになってしまいがちです。そういう時に、例えば、自分の子供の写真を上げている人の投稿を見るとほっこりします。むしろ、そっちの方が面白いんじゃないかと。
─確かにPV数を稼ごうと走り続けた結果、本末転倒になってしまうことはありそうですね。
 村山 従来のウェブメディアのモデルを継続させていこうとすると結果そうなってしまうと感じます。(次号に続く)

ステージで演奏するシエンプレ

6月4日、県文化会館小ホールでボーカルユニット・シエンプレが、津城復元応援の第9回コンサート『紡~音を紡ぎ思いを紡ぐ~』を開いた。
 シエンプレは、学生時代からラテン・ヴォーカル&ギターとして活動してきた林敬天さん、ヴォーカル&キーボードの藤堂千秋さん、パーカッションの森和広さんで結成し、今年で11年目のグループ。林さんは元ビストロ・ピアット経営者で、津城復元の会・西田久光会長の長年の友人。藤堂さんは名張藤堂隼人家に嫁いだ人。また森さんは藤堂家の家紋・蔦を屋号とした鰻料理店つたやの前経営者で元家臣筋の人…それぞれの立場で津城復元への想いがあり、演奏会の益金寄贈や会場募金など草の根の立場で復元運動を応援し続けている。
 今回は箏の伊藤昌子さん(沢井箏曲院講師)と尺八の岡本莫山さん(日本尺八連盟県支部長)の邦楽デュオ「妙」が友情出演。「六段調」や「風の歌」など古典や現代曲3曲を演奏。
 シエンプレは「ミス・ノチェス」を皮切りに、世界的大ヒット曲「ベサメ・ムーチョ」などラテンやフォルクローレの名曲を披露し、聴衆を魅了した。
 ライブ売上金の一部と聴衆から寄せられた6万4379円が津城復元の資金として津市に寄付された。

 6月3日、津市大谷町にある大川学園・三重調理専門学校で氷細工を制作する特別授業が行われた。
 パーティなど祝宴にかかせない氷細工を学生たちに学んでもらおうと毎年この時期に実施されているもの。氷細工のプロである津氷彫会の藤岡茂郎さん(75)を含む講師3名が指導に当たった。
 まずは講師たちが氷を削るためのノコギリ、ノミなどの道具の使い方を丁寧に指導。その後に参加した学生33名が7グループに分かれ、1個135㎏の大きな氷の塊りからハープ、白鳥、鷹、皿、エンゼルフィッシュ、花籠など、チーム毎のテーマに合わせた作品作りに取り組んだ。
 氷を大まかな形にするためのノコギリを使った大胆な細部の形を整えていくノミの繊細な作業の組み合わせに学生達は苦戦しながらも素晴らしい作品を作り上げた。
 途中、大川幼稚園・保育園の園児たちも見学に訪れ、氷細工を見たり、冷たい氷にさわって喜んでいた。 
 同校の担当者は「創造力が必要なことろは調理と通じる。調理師を目指す学生らにはよい経験になったと思う」と話していた

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