日も少し傾き始めた頃、旧東海道沿いに見事な日本家屋が見えてくる。旧輪中散本舗の大角家住宅。国指定重要文化財。輪中散とは徳川家康の腹痛を治したという言い伝えがあった薬。人生50年と謳われた時代に、74歳の長寿を全うした家康は、医学や薬学を積極的に学んでおり、自分で薬を調合するほどの健康マニアだった。その家康のお眼鏡にかない、名付けた薬というのであれば説得力は抜群なので、東海道の名物として広く知れ渡っていたようだ。輪中散を取り扱っていた店は、それぞれ繁盛。江戸時代前期にはドイツ人医師のケンペル、江戸時代後期にはシーボルトが輪中散を買い求めたと言われている。各店は石部宿と草津宿の間で大名や公家たちが休憩に立ち寄る小休本陣の役割を果たしており、この建物は小堀遠州の作庭と伝わる国指定名勝の庭園がある。建物の前には雨戸が閉まっていたため、ネットの名所案内を見ると常時一般公開はされていないようである。建物の内部や庭の画像を掲載した記事に目を通すと、それは見事で思わず目を奪われてしまう。いずれ再訪して、是非建物の中や庭も拝見してみたい。
 時計に目をやると、時刻はちょうど16時でゴールのJR手原駅までは約2㎞。朝から歩きずめで、流石に疲労を感じているが、ゴールがすぐそこと分かると、鉛のように重かった体も羽毛のように軽くなる。勢いに乗じて街道を進んでいくと、立派な松の木がみえてくる。この木は「肩かえの松」と呼ばれており、江戸時代に荷物を運搬していた者たちが木の下で休憩し、荷物を掛ける肩を入れ替えたことに由来している。ちなみに、この松の樹齢は推定200年で、栗東市が、樹齢が長くて見た目も優れている地域のランドマークたる樹木を守るために指定している「景観重要木」の第1号。旧東海道やそれが生み出す風景が地域にとっても非常に重要であると認識されているのであろう。これからも人々の営みを見守ってくれることだろう。
 ほどなくJR手原駅の前に到着。JR草津線が乗り入れているこの駅の一日の平均乗車人数は3000人ほどで栗東市の地域交通を支える重要な存在。手原という印象的な地名は古くは手孕と記したそうで、女性の腹部に手を置いていたら子供が授かった、女性が手を産んだという手孕伝説が由来となっている。多くの人が行き来する交通の要衝だったという土地柄、この伝説は様々な出版物を通じて、全国的に流布されて有名になった。そして、江戸時代には手孕伝説をベースにした人形浄瑠璃の「源平布引滝」がつくられた。歌舞伎にもなったこの物語は、木曽義賢が平氏との戦いで討ち死にした後、後の木曾義仲を身ごもっていた妻の葵御前が、生まれたのは女の手だけと偽ってなんとか厳しい平氏の追及を逃れるというもの。手原駅のデザインはこの物語の舞台となる入母屋造りの民家をモチーフにしている。駅前には伝説をモチーフにしたモニュメントもあり、伝説の内容や駅の沿革も伝えている。
 駅に入った私は券売機で切符を買い、改札を通り、ホームに降りる。ほどなく到着した電車に乗り込むと、貴生川駅までの路線はちょうど歩いた地域を遡る形になっていた。そして、車窓から流れる景色を眺めながら「今度は大津くらいまでいけるといいな」と次回に思いを巡らせる。いよいよ琵琶湖が拝めそうでウキウキしているが、「行き当たりばったり」が信条のこの旅。旅路に散りばめられた未知との遭遇を楽しみにしつつ、帰路に就いた。(本紙報道部長・麻生純矢)